鷲田清一 『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』

鷲田清一の『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(ちくま新書)を読む。

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平易で明解。『じぶん・この不思議な存在』より平易なので瞠目したが、それには理由があった。底本がNHKラジオ番組のためのテキストだったのである。全体は13の章に分かれ、それぞれの章で鷲田思考のエッセンスがエッセイ風に述べられていく。これだけ平易・明解なら中学生にも安心して薦められる。

上記のような成立事情であるために、どの章の内容も鷲田の著作を読んできたものにとっては目新しくはない。しかし、逆に、鷲田がどのようなことを考え、述べてきたかを一望するためには有用だろう。「問いについて問う」「こころは見える?」「顔は見えない?」「ひとは観念を食べる?」「時は流れない?」など魅力的な章がずらりと勢揃いだ。

鷲田の文章の魅力はいくつもあるが、そのひとつに例え話がとびきりうまいことが挙げられる。会社を定年退職して家庭に戻ろうとする男とその妻について鷲田は以下のように書く。

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(二人が)同じ<時>の流れのなかを生きてきたというのはひどい幻影であり、二つの異なる列車が同速度で並んで走っているときに、二つの列車に別々にいるひとがたまたま同じ列車内にいると勘違いしていただけのことなのだ。
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鷲田は現実を直視するので、恐ろしいことをいとも簡単に分かりやすい例を使って説明する。さすがとしか言いようがない。

(2015年8月3日)