An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」
ベートーヴェン篇
文:伊東
交響曲第7番 イ長調 作品92
チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
録音:1989年1月20日、ミュンヘン、ガスタイクにおけるライブ録音
EMI(輸入盤 7243 5 56841 2 7)
併録:ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 作品93ベートーヴェンではチェリビダッケにご登場頂きました。チェリビダッケはAn die Musikの試聴記本文初登場です。
皆様のご想像通り、テンポは極めて遅くなっています。第1楽章の主部はVivaceと表記されていますが、果たしてあのゆっくりとしたテンポがVivaceと言いうるものなのか若干疑問は残ります。始めてこの演奏を聴き、木管楽器の旋律線を耳で追っていくと、もどかしい思いをすること必定です。チェリビダッケがミュンヘンフィルの首席指揮者のなったのは1979年6月ですから、この演奏時は10年が経過し、団員は指揮者のテンポにはすっかり慣れていたと想像されます。が、それでもあのテンポでの演奏は奏者に負担がかかりそうですし、聴き手の耳が慣れていない場合は、たちまちつらい拷問演奏に変わってしまいます。なにしろチェリビダッケは第1楽章の演奏に実に16.06分もかけているのです(ちなみに、皆様ご存知のクライバー指揮ウィーンフィル盤(DG、録音:1975-76年)では13.36分となっています)。
では、一本調子に遅いテンポで演奏しているかというと必ずしもそうとは言えないのです。第2楽章がAdagioにでもなるのかと期待していると、おおよそAllegrettoで演奏しています。
これは第3楽章Prestoでも第4楽章Allegro con brioでも同様で、普段私たちが耳にする演奏におけるテンポよりは遅いものの、曲の構造をぶちこわしにするようなテンポ設定を行ったりはしません。実に微妙なテンポで、第1楽章を聴いた後には十分に速く感じられてきます。テンポとは相対的なものだと分かります。
さて、このテンポで聴くベートーヴェンですが、極めて重厚であります。例えば、第1楽章のコーダ。低弦がものすごいうなりを挙げているのが明瞭に聴き取れていますし、オーケストラが重量感をもって驀進するようで大変な迫力です。第4楽章でもややスローテンポでありながらもリズムをきっちりとおさえ、躍動感を実現しています。
それだけではありません。チェリビダッケを聴く楽しみはこのCDでも十分に味わえるのです。すなわち、チェリビダッケのCDでは、音楽が今そこで生成しているさまに立ち会っているかのごとき音の鳴り方をするのです。彼は音のひとつひとつが生まれ、ホールの中で鳴り響くのを確認しないでは気が済まなかったのでしょう。それ故、テンポ設定がどんどん遅くなったのではないかと私は推測しています。したがって、このテンポ設定はチェリビダッケを聴くときには醍醐味になるのです。
EMIから発売された正規盤の音質はマニアの方々から批判されていることは十分承知しています。かつて市場を席巻した海賊盤の足元にも及ばないし、正規盤を買う必要がないとまで主張していた方々もいることを私は承知しています。しかし、私はその悪評紛々たる正規盤の音を聴いてさえ、チェリビダッケの魔術に引き込まれるのです。私はこのCDを含め、チェリビダッケを聴いていると、心から陶酔することがあります。音楽が生まれる瞬間とは何と美しいのか、ため息をつくことしきりです。ミュンヘンで生を聴けば一体どれほどすばらしい体験になったのだろうかと今さらながらに臍をかんでいます。
チェリビダッケに対しては全否定か全肯定かの立場しかないというのはヨーロッパでも同様だったようです。私が上に記した内容も全く理解されない可能性もあります。わざわざベートーヴェンでチェリビダッケに登場してもらいましたが、もとより私の考えるベスト盤のつもりで紹介したのではありませんし、私は彼のベートーヴェンもクライバーのベートーヴェンもそれぞれ愛好しています。全否定というのは全肯定の裏返しなのでしょうが、私はそのいずれでもありません。念のため。
ここからは余談になります。
その1
チェリビダッケといえば、ブルックナー演奏で有名です。しかし、彼がブルックナー指揮者として有名になったのは、本当に幸せなことだったのだろうかと思うことがあります。ほとんどの人はあの長さとテンポにつきあい切れないでしょう。
幸いチェリビダッケには大量のCDが残されました。その中にはハイドンの交響曲やリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」をはじめ、神秘的としか言いようのない超絶的な演奏が含まれています。チェリビダッケのブルックナー演奏を聴いて嫌気がさした人は、ブルックナー以外を当たってみることを強くお勧めします。
その2
チェリビダッケはミュンヘンの路上でクライバーに会ったとき、「君のテンポは速すぎるよ」と言ったというエピソードがあります。真偽のほどは定かでないですが、ウソだとしても二人の表情が想像できそうな実に面白い話です。
(2005年11月1日、An die MusikクラシックCD試聴記)