An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」

ベートーヴェン篇
往年の大指揮者達の演奏を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 今回の伊東さんの企画に便乗して、日頃、往年の大指揮者が「持たされている」イメージに敢えて逆らってみたいと思います。あくまでも私個人の感想ですので反論もあろうかとは思いますが、ここはお祭りということでご容赦願えれば幸いです。

 

ワインガルトナー盤

CDジャケット

交響曲第7番 イ長調 作品92
フェリックス・ワインガルトナー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年2月24-26日、ムジークフェライン・ザール
OPUS蔵(国内盤 OPK2038)

 この演奏ほど、先入観のために誤解されているものはないと思います。例えば所有しているLPでの解説では「平静な態度」「正直に端的に処理」「どこか平坦にすぎる表現」と評しており、本CDの解説に至っては「弦主体の上品な演奏」「凄みに欠ける」「アンサンブルが雑」と散々なものです。しかし、本当にそうなのでしょうか?

 ワインガルトナーがオーストリア人で、ウィーンの常任指揮者を長く勤めていてウィーン的な典雅さをもっていたこと、“正統的”“古典的”演奏スタイルであったこと、ベートーヴェンの交響曲についての論文を書き其処での「校訂」が長く演奏スタイルとして規範とされたこと、などがそのような印象を持たせることになったのでしょう。確かにこの演奏では、LPでの印象と同様に弦楽パートに比べて管楽器が小さく収録されているのは事実です。しかしながら、だから上品とか平坦とは到底思えません。マイクでは捉えきれなかった奥から聴こえる金管群も咆吼しているのは判りますし、終楽章での加速されるテンポでもアンサンブルは整然としています。おそらくステレオで録音されていればホール天井から轟くような豪快な音楽が降り注いでいたに違いないと思います。基本的なテンポは一つですが、感興に従って自然に揺らめく様も見事です。上品とか平静とは似ても似つかぬ凄みに満ちた音楽があると考えます。

 

メンゲルベルク盤

CDジャケット

交響曲第7番 イ長調 作品92
ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1940年4月25日
PHILIPS(輸入盤 468 630-2)

 この演奏はワインガルトナーとは正反対に恣意的とも言える時代がかった豪快なテンポの動きと、大見得を切るような格好良さ、楽譜は見ていないので判りませんが、あちこちいじっているような印象を受けます。オーケストラがよく付いていけるなと思うような自由闊達な指揮ぶりのように思います。でもそうなのでしょうか?

 確かにメンゲルベルクの演奏は、ルバートやポルタメントが多く使われて、冒頭のティンパニがフライングして叩いているところからも、一昔前のロマン的な演奏のように思います。しかし、意味なくオーケストラ泣かせの不自然な動きではなく、全体的には骨太の大きなうねりを感じさせます。テンポが動かないとひたすら驀進していき、音楽は音楽として塊になっていきます。ただの虚仮威しではない、「確かな伝統に根ざしたベートーヴェンだ」と納得させるものがあります。

 

トスカニーニ盤

CDジャケット

交響曲第7番 イ長調 作品92
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
録音;1951年11月9-10日、カーネギー・ホール
BMG Classics(輸入盤 74321 55836 2)

 楽譜通りにインテンポで仮借なく音楽を突き進める、アンサンブルをガリガリと徹底的に磨き上げる、そんなトスカニーニの印象は、この曲の第二楽章の冒頭を聴くと崩れ落ちてしまいます。伝統的な2小節ごとのアクセントが最小限度となって奏される弦楽はふんわりとして、これが一層磨き上げられてしまえば、あのカラヤン/ベルリン・フィルの演奏と似てくるように思います。トスカニーニは此処では、フレーズごとにテンポを微妙に動かしてかすかなカンタービレを歌います。強奏時を除いてフレーズの出だしは寄り添うような柔らかさです。私はここに「女性的なもの」を感じてしまいます。

 一人一人の古き大指揮者に抱いたイメージは、多くは古くから語り継がれたものの積み重ねなのでしょうから一種の「伝統」なのかもしれません。でも、「まずイメージありき」ではなく、現在のデジタル録音からみれば貧相な音から、読みとれる「鼓動」をいろいろ楽しんでみるのも、芸術の楽しみの一つであると、勝手に思っています。

 

(2005年11月15日、An die MusikクラシックCD試聴記)