An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」

マーラー篇

文:伊東

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CDジャケット

交響曲第7番
インバル指揮フランクフルト放送響
録音:1986年5月14-17日、フランクフルト、アルテ・オパー
DENON(国内盤 COCO-70402)

 

 マーラー演奏史に重要な足跡を残した指揮者のひとりに、エリアフ・インバルがいます。1974年にフランクフルト放送響の首席指揮者となり、この楽団を起用して1982年から88年にかけてはTELDECで初稿によるブルックナー交響曲全集を完成、85年から88年にかけてはDENONで「大地の歌」を含むマーラーの交響曲全集を完成させています。そのいずれも高水準の演奏であったため、インバルとフランクフルト放送響は少なくとも日本においては一挙にメジャーな組み合わせとして認識されるに至りました。特にマーラーの交響曲第4番や第5番では、B&K社製のマイクを使ったワンポイント録音による卓越した録音が話題を集めました。今それらを聴いても最新録音と比べ遜色はありません。このコンビの最良の姿を示す偉大な瞬間の記録であります。

 インバルのマーラー演奏は、優秀録音であるが故に受け入れられていたような観がありますが、理由はそれだけでないと思います。80年代には空前のマーラーブームが起き、マーラーの病的な側面を強調した重々しい演奏や支離滅裂なだけの演奏もありました。その中でインバルはすっきりとしたマーラー演奏をしていたように思えます。ただし、すっきりはしていても、独自の譜読みによるこだわりをしっかりと刻印した演奏を繰り広げていました。彼のマーラー全集はそれ故にその存在価値を失いません。

 この交響曲第7番にしても、表面的には軽量級の演奏だと言えます。演奏時間にして77.39分。マーラーの交響曲第7番といえば、かつてはCDでも2枚に収録されるのが通例で、今でも2枚組のCDは多数存在しますが、インバル盤は1枚にすっぽり入っています。音響的にも決して重厚すぎず、もたつきもしません。じめっともしていません。インバル指揮フランクフルト放送響は、透明感のある音の中でマーラーの旋律を奏でています。おそらくインバルが最も意識したのは透明感で、大音響となってオーケストラが荒れ狂う時でさえ、濁りがなく、骨格がはっきり見えるような演奏を目指したのではないかと思われます。

 インバルの音楽表現がそれだけにとどまらなかったことがインバルをインバルたらしめていると思います。この交響曲第7番でも、第1楽章からしてインバルらしい。Langsam(Adagio)で開始される第1楽章は、最初の数小節を聴いただけで指揮者がどのようなテンポで始めるか、どのような響きを作り出すかを知ることができますが、インバルはリズムを明確に刻んだ後、5小節目からはガシャガシャと弦楽器のトレモロを強調します。いかにもインバルらしい細部へのこだわりが感じられますが、これをDENONの録音スタッフが完璧に捉えているのです(多分、最新録音SACDにも負けません)。指揮者、それに応じるオーケストラ、録音スタッフと、関係者全ての仕事がこのCDの中で結実したと思います。それはこの交響曲第7番だけに限らず、インバルが残したマーラー録音全てについて当てはまることです。こうしたCDを次から次へと制作し、わずか2年程度でマーラー全集を作ってしまう指揮者とオーケストラが有名にならないわけはありません。DENONについても、名録音が量産された黄金期だったと思われます。

 私にはひとつの疑問があります。インバルは、マーラー全集を再録音するか否かということです。もし再録音するとすればそれはいつで、どのオーケストラと録音するのでしょうか。その際に録音を実際に行うレーベルはどこなのでしょうか。そして、再録音は、フランクフルト放送響との全集を演奏面であれ音質面であれ、凌駕することが可能なのでしょうか。DENONに残されたマーラー全集は、もしかしたらインバル自身にとっても今後凌駕できない高いレベルに達しているのではないかというのが私の考えです。

 このところ、インバルは1980年代に見られたような輝きを感じることができません。レコード会社のマーケティングのせいもあるのでしょうが、私としてはこの職人的気質を持つ指揮者の変貌と大成を期待しないではいられません。

 

(2005年11月7日、An die MusikクラシックCD試聴記)