An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」

プロコフィエフ篇
プロコフィエフの7番を聴く−私のディスク遍歴

文:松本武巳さん

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■ はじめに

 

 プロコフィエフのいわくつきの最後の交響曲である第7番「青春」には、2つの版が存在しています。終楽章の終結部が第1楽章の2つのテーマのうちの1つに回帰して終わる穏健な版と、元気良く快活なリズム感が溢れたままで一気呵成に終結する版です。この事実を知った上で聴きませんと、最後にズッコケル危険性がある交響曲の最右翼の1つでもあるのですね。

 もう1つは、とても有名な歴史的事実ですが、この第7番の交響曲を書き上げた数ヵ月後にプロコフィエフは人生を終えますが、同日にあの独裁者スターリンも死去したのです。若い時代に日本に短期間在住したプロコフィエフの人生は、とても波乱に満ちたものであったと思いますが、死ぬ日まで波乱万丈であったのですね。

 

■ 聴いたことのあるディスク一覧

 

 実は、この交響曲の印象が私の脳裏に薄く、最初は数種類しか聴いたことが無いと信じていましたが、今日1日思い出し続けた結果、どうやら下記のディスクを聴いたことがあるようです。まだあるのかも知れませんが、思い出す前に締切日を迎えてしまいそうですので、先に一覧にして掲載してしまいます。まったくの順不同ですので、その点はご寛容にお願い申し上げます。

 

指揮者

オーケストラ

レーベル

01

ジャン・マルティノン

パリ音楽院管弦楽団 DECCA
02

ジャン・マルティノン

フランス国立放送交響楽団 VOX
03

アンドレ・プレヴィン

ロンドン交響楽団 EMI
04

アンドレ・プレヴィン

ロサンゼルスフィルハーモニー管弦楽団 PHILIPS
05

ユージン・オーマンディ

フィラデルフィア管弦楽団 Urania
06

ニコライ・マリコ

フィルハーモニア管弦楽団 EMI
07

ニコライ・アノーソフ

チェコフィルハーモニー管弦楽団  
08

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー

モスクワ放送交響楽団 メロディア
09

ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ

フランス国立管弦楽団 エラート
10

小澤征爾

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 DG
11

ネーメ・ヤルヴィ

ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団 Chandos
12

クラウス・テンシュテット

バイエルン放送交響楽団 ヘンスラー
13

Zina

モスクワ交響楽団 Vista Vera=ロシアのレーベル
14

サスモード

モスクワ放送交響楽団 メロディア
15

ヴラディーミル・フェドセーエフ

モスクワ放送交響楽団 CANYON
16

キリル・コンドラシン

ベルリン放送交響楽団 RSOベルリン75周年記念自主制作盤

 ロシア系の指揮者によるディスクが06.〜09.と13.〜16の8枚で全体の半数を占めています。当然といえば当然かも知れません。では、以下順を追ってコメントを記そうと思います。

 

■ まず最初の4枚について

 

 名指揮者のマルティノンと、プレヴィンが二度ずつ録音を残していますが、有名なのはDECCAから出されたマルティノンのディスクでしょうね。現在はテスタメント社からも出されております。しかし、マルティノンでこの交響曲を聴くのでしたら、私はVOXから出されたディスクの方が圧倒的に感銘度が高いのでは、と思います。

 一方のプレヴィンですが、個人的には大変印象が薄いのですね。ややムード音楽風の作りで、現代音楽を聴きやすく演奏しようとしたのでしょうが、やや行き過ぎた感が否めません。現代音楽を浸透させようとするあまり、結果として曲の本質から離れてしまったのかも知れませんね。

 

■ 続いて05.から08.までの4枚

 

 オーマンディはロシアの現代音楽をアメリカで初演することが趣味であったのでしょうか。この曲もやはりオーマンディの手でアメリカに持ち込まれました。パイオニア精神は高く買えますが、録音も悪いうえに、入手もやや困難ですので、どちらかと言えば、現在では資料的な価値に留まっていると思います。

 つぎのニコライ・マリコ(日本での発売時は『マルコ』と表記されました)ですが、モノラル時代に一世を風靡した名演奏だと思います。マルティノンとともに、この曲の普及に寄与しましたが、マルティノンの方がDECCAの優秀録音かつステレオ録音であったために生き残った感がありますが、実際にはニコライ・マリコの指揮の方が、はるかに曲の深層部分まで描ききったうえに、当時の時代背景まで取り込んだ名演であると、私は今もなお信じています。

LPジャケット
アノーソフ指揮チェコフィルのLPジャケット

 さて、07.のアノーソフは、08.のロジェストヴェンスキーの父親です。アノーソフの方がチェコフィルを振ったせいもあるのでしょうが、核心部分に踏み込んだ名演で、ロジェストヴェンスキーの方が気楽に聴ける利点こそありますが、この曲の場合は父親に一日の長があったと思います。当時のチェコフィルの弦楽器群の優秀なアンサンブルを聴く上でも、父親の録音の方に分がありそうです。ただし、アノーソフのディスクは入手困難かも知れません。

 

■ 09.から12.までの現代の名指揮者たちの演奏

 

 実のところ、この4人の個性的な名指揮者を、ひと括りで片付けるのは心苦しい上に、とても申し訳ないとは思っていますが、パイオニアたちの演奏や、ロシア人の演奏に比べて、あまりにも曲の個性も指揮者の個性も、どちらも見えてこないのですね。ロストロポーヴィッチはロシア人ですが、この4名の共通項は、「コスモポリタン」としてプロコフィエフのスコアを切り刻んでいると考えられます。みなさんとても上手い指揮で、過不足なくこの7番の交響曲をまとめておられますが、結局のところ、4名のうち、どなたの演奏も私の心には響いてきませんでした。

 

■ 13.〜16.の4種類のディスクについて

 

 Zina指揮のディスクは、近年ロシアでの放送録音を発掘したCDですが、まず指揮者のお名前を、カタカナで表すこともできません。『ジーナ』だとは思いますが…

 ところで、13.から15.までの3名はいずれも「コテコテのロシア人によるコテコテのプロコフィエフ」であることを特長としている点で、とても良く似ていますが、もっとも有名なフェドセーエフが一番その中では穏健な演奏です。13.と14.は、形容のしようもありません。スゴイです。ロシア人以外にこんな演奏の仕方は想定が不可能ですね。しかし、インパクトを超えてインパルスを与えられました。一聴をお薦めします。

 最後にコンドラシンは最終楽章のみの演奏で、ベルリン放送交響楽団創立75周年記念CD(6枚組)の中の1枚です。実は終楽章終結部の、元気ヴァージョンでの録音の中では、このコンドラシンを超える演奏を私は知りません。本当に感動します。そのために敢えて終楽章のみで、かつ自主制作盤であるにもかかわらず、ここで最後に挙げさせて頂きました。

 

■ この交響曲のまとめ

 

 正直なところ、第3楽章までをロシア人の誰かで聴き、終楽章はコンドラシンに引き継ぐと、私の理想的な、プロコフィエフ像に近い「青春」交響曲が完成します。典型的な無いものねだりですが、私の偽らざる実感でもあるのです。何卒ご容赦くださいね。

 この曲は、第1楽章の美しい主題(2つあります)が、いずれも展開部を持たない、素材のままで終結する形式であり、ある意味では非常にもったいない作曲技法とも言えるでしょうね。つづく第2楽章は、到底ロシアとは思えない「舞踏会」だと感じます。第3楽章は、抒情詩をつづった緩徐楽章であるにもかかわらず、随所にとても違和感を感じる不協和音が挿入されており、結果として、大変に美しい部分が多い曲であるにもかかわらず、あまり積極的に聴かれることなく、現在に至っています。その意味でとても惜しい曲、もったいない曲だと思います。

(2005年11月20日記す)

 

(2005年11月24日、An die MusikクラシックCD試聴記)