An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」

ショスタコーヴィチ篇

文:伊東

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CDジャケット

交響曲第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」
ハイティンク指揮ロンドンフィル
録音:1979年5月、キングズウェイ・ホール
DECCA(国内盤 F00L-29050/62)

 

 このところショスタコーヴィチの交響曲録音は珍しくもなくなりましたが、かつてはそうでもありませんでした。交響曲第7番は、各地で初演される前から過熱気味の人気を誇っていた大人気曲ですが、それでもごく限られた録音しかなかったと思います。80年代後半あたりから録音が増えてくるのは、折からのマーラー・ブームと、ポスト・マーラーはショスタコーヴィチであるという大方の認識が一致していたことの証左であると思われます。ただし、CDが増えた割には・・・というのが私の偽らざる印象です。

 私が愛聴するのは1979年に録音されたハイティンク指揮ロンドンフィル盤(DECCA)と1988年にライブ録音されたバーンスタイン指揮シカゴ響盤(DG)です。このところの流行は、ロシア出身の指揮者かロシアのオーケストラを起用した録音なのでしょうが、私の場合、ハイティンク盤とバーンスタイン盤から受けた印象が強烈すぎ、それらに必ずしも満足できません。今回の「交響曲第7番を聴く」シリーズでは、過去にAn die Musikで扱ったCDをできる限り取り挙げない方針でCDを選択してきましたが、こればかりはやむなくハイティンク盤を挙げることとしました。

 ところが、このハイティンク盤は、2005年11月現在国内盤が単売されていないようです。この優れた録音がどうしてそのような憂き目にあっているのか理解に苦しみます。私がかつて購入した全集盤は何と36,400円もしました!今は安くなっているとはいえ、おいそれと全集を買えるものでしょうか?輸入盤は簡単に手に入るのでしょうか?

 ハイティンク盤が優れているのは、この指揮者ならではの着実・丁寧な音楽の進め方がショスタコーヴィチに適合しているからだと思います。急がず、遅くならず、過度に騒がず、深刻になりすぎず。

 実はこのうち「急がず」以外はバーンスタインが極端なまでに実行しています。とりわけ「過度に騒ぐ」のであります。シカゴ響の圧倒的なパワーとバーンスタインの音楽性の相乗効果による過激さが決定的な魅力ともなっているわけですが、日頃これを好んで聴き、大きなカタルシスを味わっている私にさえも時としてやかましすぎ、ばかばかしく聞こえることもあります。バランス感覚ではハイティンク盤の方に分があります。

 ハイティンクはこの交響曲を録音する頃、大した評価を受けてはいませんでした。今の聴衆はハイティンクを絶賛する傾向にありますが、かつてはハイティンクを評価することすら勇気がいることだったのです。An die Musikを開設した7年前ですらその雰囲気は濃厚にありました。

 ハイティンクが今評価される要素の全てはこの「レニングラード」にもあります。着実きわまりない正攻法によるアプローチによって、一見淡々とした、それこそ機械的無味乾燥な音楽を作るのかと思いきや、大きなスケールの演奏を展開していきます。作曲家がスコアに書き残した音楽を丁寧に表現することによって、その中にあるエッセンスを聴衆に届けることをハイティンクは可能にしていると思います。

 ロンドンフィルもハイティンクのもとで最上の演奏を繰り広げます。ハイティンクははじめロンドンフィル、その後にコンセルトヘボウ管を使ってショスタコーヴィチ全集を完成させましたが、ここに聴くロンドンフィルの演奏は、「これがコンセルトヘボウ管だったらよかったのに」などという考えを聴き手に起こさせません。このCDを聴いている限り、これ以上呼吸のあった組み合わせを考えつきません。さらにDECCAのスタッフによるスペクタキュラーともいえる録音によって音の一大パノラマが作り出されています。DECCAは1995年にアシュケナージ指揮サンクト・ペテルブルクフィルでこの曲を収録しましたが、金管楽器とティンパニが極端に鳴り響くやや不自然な音作りをしていて、音はきれいでもハイティンク盤の水準に及んでいません。新録音の方がいつも優れているわけではないのですね。

 願わくは、このCDが廉価で単売されんことを。「レニングラード」のマスト・アイテムだと私は確信しています。

 

(2005年11月9日、An die MusikクラシックCD試聴記)