An die Musik 開設7周年記念 「大作曲家7人の交響曲第7番を聴く」
シベリウス篇
シベリウスの7番を聴く−私のディスク遍歴文:松本武巳さん
■ はじめに
シベリウスの交響曲には、すでに幾多の名演奏が残されておりますし、私の遍歴をすべて記すことに、実際のところそんなに意義があるとも思えませんので、好き嫌いの基準となったディスクを、その原因や結果をもたらした理由の紹介とともに、自由な形式で書かせていただこうと思います。
■ このエッセイで取り上げるディスクの一覧
実は、シベリウスのディスクは、全集だけでも相当数に上りますが、その割りに印象に残っているディスクは多くありません。ここでは、私が遍歴を書くために必要な、最低限のディスクの紹介にとどめさせていただこうと思います。
指揮者 オーケストラ レーベル
1ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 DG 2ジョン・バルビローリ
ハレ管弦楽団 EMI 3サイモン・ラトル
バーミンガム市立交響楽団 EMI 4コリン・デイヴィス
ボストン交響楽団 フィリップス 5コリン・デイヴィス
ロンドン交響楽団 BMG 6コリン・デイヴィス
ロンドン交響楽団 自主制作 7ネーメ・ヤルヴィ
エーテボリ交響楽団 BIS 8ネーメ・ヤルヴィ
エーテボリ交響楽団 DG 9レナード・バーンスタイン
ニューヨークフィルハーモニック CBS 10レナード・バーンスタイン
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 DG 11パーヴォ・ベルグルンド
ボーンマス交響楽団 EMI 12パーヴォ・ベルグルンド
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団 EMI 13パーヴォ・ベルグルンド
ヨーロッパ室内管弦楽団 オンディーヌ 14ロリン・マゼール
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 DECCA 上記の配列は、これで意図するとおりなのです。私のイメージでは、1.が別格、2.〜6.が一括り、7.〜10.でもう一括り、11.〜13.にコメントを残し、14.は1.とは異なる意味で別格なのです。以下、この順序で紹介していこうと思います。
■ まず別格のカラヤンについて
カラヤン指揮ベルリンフィル(DG)。
録音:1967年カラヤンがドイツグラモフォンに残したシベリウスは、どれも絶品だと思います。ベルリンフィルが渋ったと云われる、これら一連の録音が後世に残されたことが、もしかしたらカラヤンの最大の業績ではないかと思うほどに、スタンダードでかつ緻密で、加えて北欧の音楽の美質もきちんととらえ、しかもカラヤンらしさまできちんと出ているのですね。普段、必ずしもカラヤンを好んでいない私ですが、このディスクから学んだものは今なお計り知れないほど多いのです。
■ 続いて 2.から 6.までの5枚
イギリス出身の、3名ともに『サー』の称号を持っている名指揮者たちですが、意外なほど演奏から受け取れる印象は異なったものとなります。
バルビローリ指揮ハレ管(EMI)。
録音:1966年7月。まず、バルビローリですが、オケの非力さが喧伝され続けておりますが、私はこのバルビローリの解釈と演奏スタイルは、むしろ非力なオケであったからではとの感じも受けるのです。このシベリウスの最大の特長は、朴訥とした語り口が、北欧のイメージとぴったり重なることとも言えるでしょう。オケが上手くなく、必死についていこうとしているさまと、バルビローリの表現力があいまって、このようなユニークな名盤になったのだと思います。バルビローリの真骨頂は、このようなオケから紡ぎだす、絶妙の語り口であると信じています。
次に、ラトルですが、こちらは単一楽章の交響曲を若干扱い損ねた感覚が最後まで付きまとい、演奏自体を楽しむことができませんでした。ラトルの美点が上手く生かされなかったように思います。まだまだ若いラトルですから、シベリウスの7番を演奏するには若すぎたのかも知れませんね。老境に入ったころに、彼の再録音をぜひ聴きたいと思っています。
コリン・デイヴィスは私には『エニグマ』です。70年代のボストンでの全集は、本当にすばらしい演奏で、コリン・デイヴィスの名をわれわれに知らしめた、名演奏の誉れ高いディスクです。ところが、再録音のBMG盤では、オケの響きの薄さはともかくとして、指揮自体まできわめて薄味の、特徴の感じられない全集であり、私は発売時に大きなショックを受けました。期待はずれの最たるものでした。しかし、同じロンドン交響楽団との自主制作盤では、イギリス人のオケと指揮者ならではの、とても爽やかなシベリウス演奏となっており、これが同じ指揮者と同じオケなのかと、本気で疑ってしまいます。もとより、コリン・デイヴィスには、豹変したような変わり身と言いますか、突然気の抜けた演奏をすることが多い指揮者であるのは事実のようですね。したがって、評価の困難な指揮者であり、このシベリウスの場合は、録音順に『当り→外れ→当り』の順になるようです。
■ ネーメ・ヤルヴィとバーンスタインの不思議な共通点
ヤルヴィ指揮エーテボリ響による全集(DG)。
交響曲第7番の録音は2003年8月バーンスタイン指揮ウィーンフィル(DG)。
録音:1988年10月ネーメ・ヤルヴィとバーンスタインの、それぞれ2種類ずつある7番ですが、2人ともに、1回目の録音では、多くの実験要素的な表現を多用しつつ、演奏の推進力に最後は頼ったところが散見され、若干力ずくのイメージも受けましたが、再録音では、きわめて穏当で妥当な、シベリウス演奏の王道を行く演奏となっており、事情を知らないで聴きますと、ヤルヴィの旧盤とバーンスタインの旧盤が同一の指揮者の演奏で、両者の新盤がやはり同一の指揮者だと勘違いしてしまいそうな演奏となっています。2人の新盤は、ともにスタンダードな演奏として、今後に語り継がれると信じます(注:左のジャケット写真はいずれも新盤)。
なお、バーンスタインの新盤の遅いテンポ設定ですが、個人的には、表現力がきわめて豊富であるためか、そんなに遅いという風には、少なくとも聴いている最中には感じませんでした。適切なテンポ設定であると、この演奏をホールで聴いた場合には、感じるのではないかと思っています。
■ ベルグルンドの3種類のディスクについて 世評の高いベルグルンドですが、私は彼の3種類に序列をつけるとすれば、古いものほど高い評価をつけることになってしまうのです。それぞれを単独の7番の録音だと思って聴きますと、とてもレベルの高い演奏ばかりだと信じます。しかし彼の場合は、再録音をすればするほど「ルーティン・ワーク」に近似してしまったように感じます。したがって世評の高さほどには、個人的には彼の演奏するシベリウスを高くは評価しておりません。
■ 異次元の別格、マゼールの旧盤
マゼール指揮ウィーンフィルによる全集。
交響曲第7番の録音は1966年3月。これが、本当に60年代の中ごろに、当時あれほど保守的であったウィーンフィルを振った全集であるとは、今なお半信半疑である全集です。しかし、あえて、別格の地位をマゼールに与えたのは、実はこの試聴記が交響曲第7番を対象にしたものであるからなのですね。マゼールの旧全集は、有名な1番や2番では、オケとの軋轢をストレートに感じてしまい、さすがに広くお奨めする気持ちにはなれません。しかし、当時はまだまだそんなには聴かれておらず、かつ単一楽章の交響曲である7番のみに関しますと、マゼールの斬新な解釈を、ウィーンフィルが真摯に、かつ意図を正確に汲み取った演奏をしているのです。もちろん、かなりアグレッシヴな演奏ですし、オケがついていっていない部分も散見されますが、私は当時の一連のウィーンでのマゼールの指揮した音源の中では、このシベリウスの第7番を最右翼の名演として推したいと考えます。
現在の大家となったマゼールをわれわれは知っております。そして、その事実を前提としまして、この交響曲の演奏を虚心坦懐に聴きますと、この交響曲から聴こえてくる若きマゼールの、天才的とも言える音楽性に、惚れ込む方も出てくるのではないかと期待して、このシベリウス編を閉じたいと思います。
(2005年11月20日記す)
(2005年11月26日、An die MusikクラシックCD試聴記)