An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」

ベートーヴェン篇

文:伊東

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CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第8番 ヘ長調 作品93
クーベリック指揮クリーブランド管
録音:1975年3月1日、クリーブランド
DG(国内盤 UCCG-3935)

カップリング
交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
クーベリック指揮ベルリンフィル


 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」のトップに登場する曲は、ベートーヴェンの交響曲第8番です。演奏時間は25分前後で、交響曲というわりには軽い印象がありますね。ベートーヴェンの交響曲について何かを語るとき、この曲を真っ先に思い浮かべる人は少ないのではないでしょうか。

 しかし、聴けば聴くほど味のある曲です。軽さの中にも哀愁が漂う感じもします。笑いとともに哀愁があります。軽快かと思えば交響的威容も十分に併せ持ちます。特に両端楽章の展開部の充実ぶりには目を見張ります。その意味ではやはりベートーヴェンの交響曲としての存在感があるわけですね。さらに、瀟洒かつ優美でもあり、全く一筋縄ではいきません。「ベートーヴェンの後期にはこうして繋がっていくんだな」と聴きながら納得します。派手な曲ではありませんが、聴き所満載の名曲といえます。

 こんな曲ですから、雑な演奏ではだめです。完璧なアンサンブルをオーケストラに要求してやみません。

 この曲に関しては今回いくつもCDを聴き直しましたが、音質面まで含めて完璧という演奏は非常に少ないと思います。重厚で立派すぎるマッチョ的演奏もあれば軽快なだけというのもあり、この曲に内在する様々な要素を万全に表現するのは至難の業なのだと分かります。

 今回私が取りあげたクーベリック盤は、おそらくこの曲に聴き手が要求する全てを満たしてくれます。文字通り、この曲のあらゆる面を垣間見せてくれます。クリーブランド管の高度で洗練されたアンサンブルがそれをやすやすと達成しているように聞こえるから驚きです。音楽の自然な流れ、楽器間の絶妙のバランス、その響き。どれをとっても実にすばらしい。この演奏を聴いていると、ピリオドアプローチによる演奏を聴きたいとは思わなくなります。しかも、録音まで立派です。1975年の録音ですが、こういう録音を聴いていると最新録音が薄っぺらに聞こえてきます。録音技術が退化しているのか、1970年代という古き良き時代がこうした音を生んだのか。

 クーベリックのベートーヴェン交響曲全集は、1971年から75年にかけて9つの異なるオーケストラを起用して録音されました。一般的に、「一応」全集のひとつとしてカウントされることはあると思いますが、クーベリックがベートーヴェンの傑出した指揮者として知られているとは私は思えません。これはどうしたことでしょうか。クーベリックとクリーブランド管の組み合わせは恒常的なものではなかったにもかかわらず、非の打ち所のないベートーヴェン演奏がクーベリックの本拠地を遠く離れたアメリカのクリーブランドで行われています。それも、録音データが正しければたった1日のセッションで、です。並の指揮者ができることではないでしょう。

 こういうCDを聴いていると最近のCDには手が伸びなくなってきます。これは単に古いものへの愛着があるからではないのだろうと私は思っています。


余談

 この曲に哀愁を感じるのは私だけかもしれません。枝葉末節にとらわれやすい私の話に少々お付き合い頂きたいのですが、まず、第1楽章に「泣き」のフレーズがあります。単純な下降音階ですが忘れられないメロディーです。それは主題提示部が終結する直前、72小節目から木管楽器によって奏され、次いでビオラとコントラバスに現れます。これは第1楽章後半にも現れます。まるでベートーヴェンがべそをかいているようにも聞こえておかしくもあります。ある時このフレーズが気になりだした私は、しばらくここばかりを注意して様々な録音を聴いたことがあります。指揮者によっては見事に「泣き」を決めてくれるのですが、そんな聴き方をしているうちに、この曲をそらんじてしまったわけです。

 ついでに書くと、第4楽章も泣いて聞こえることがあります。終結部が始まる267小節目からの木管楽器と弦楽器の軽妙な掛け合い。さらに282小節目から弦楽器がいかにも儚なそうなフレーズを奏で始めます。ここからこの曲がぐっと盛り上がっていくわけですから、聴き所のひとつだと私は思うのですが、何とも切ない音楽だと思うことが多々あります。

 皆さんにも、そんな枝葉末節へのこだわりはありませんか?

 

(2006年11月1日、An die MusikクラシックCD試聴記)