An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」
ベートーヴェン篇
文:たけうちさん
■ ベートーヴェンにとっての8番とは?
私は第8番の交響曲を聴くと「ベートーヴェン自身は、この作品をどのように位置付けていたのだろう?」と思います。単に交響曲だけで言えば、この前にはパッションの塊のような「7番」この後には、仰ぎ見るような音の大伽藍である「9番」、この二つの巨峰の間にさり気なくたたずむようなこの曲は、既に円熟の境地に達していたベートーヴェンが、それまでの交響曲のエッセンスを全て投入して、その真価を世に問うたのだと思います。
「集大成ならば第9では?」と反論されそうですが、あれはもう神がかり的なイマジネーションに支配されたベートーヴェンが、自信をも超越してしまった結果の創造物であり、もはや「音楽」とは形容出来ません。(これはちょっと大げさですか)
一方、第8番はこちらが身構えするような代物ではなく、聴けば聴くほど味わい深く、親しみがあります。何も特別な事をやっていないようで、至る所にベートーヴェンスタイルの奥義を散りばめた旋律、そればかりか遊び心が顔を覗かせたり..。しかもそれらを30分足らずというコンパクトな時間に凝縮した手腕には改めて脱帽あるのみです。これを作曲した当時の背景は詳しくは知りませんが、彼自身の創作意欲が昂揚した幸福な時だったのでしょう。
こんな曲ですから逆に演奏する立場からすると手に余るものになるかもしれません。「これがベートーヴェンだあ!」と大見得を切った演奏は、聴く方が引いてしまいますし、あまり淡々と演られるのも曲の魅力が堪能出来ません。それ故か、この曲のスタンダードな演奏としてよく取上げられるのが、8番以外では常連ではないイッセルシュテットという渋い通好みの指揮者であるのもうなずけます。がしかし、私が今回あえて御紹介するのは、指揮者そのものが過剰と言えるほどに前面に溢れ出た異色の演奏です。
■ シェルヘンの8番
ベートーヴェン
交響曲第8番 へ長調 作品93
ヘルマン・シェルヘン指揮ルガノ放送管弦楽団
録音:1965年3月、ルガノ放送局スタジオライブ
日本コロンビア(国内盤 PLCC-730)「シェルヘンですか...?!」という声が、伊東さんをはじめあちこちから聞こえてきそうです。 確かに、ここでこの人を取上げるのはいささか奇異と思われるかもしれませんが、私はこの演奏がいたく気に入ってしまったのです。シェルヘンの名をご存知の方は多いと思いますが、日頃からこの人を好んで聴いている人はどの位いるのでしょう?
LP創成期に設立されたウェストミンスターというレーベルから、精力的にレコードをリリースしていた彼のレパートリーはバロックから現代音楽までの広範囲に及ぶものでしたが、実験的とも言える癖のある演奏は、必ずしも評判の良いものではなかったようです。同じ個性でも、クナッパーツブッシュの如き、比類ないものとして芸術の域まで達して、巨匠としての名声を得ているのならともかく、シェルヘンに対しては終生「ちょっと風変わりなB級指揮者」が当時の一般的な見方でしょう。
しかし彼が素晴らしいのは、周りが何と言おうと自分の信念を貫いて来たと言う事です。そして、その信念が最後の最後に行き着いた結晶が、ルガノとのこのベートーヴェンだったのです。
ところで偶然ですが、この原稿を書いている最中に、黒田恭一さんのFM番組でブロムシュテットがドレスデンを指揮した第8番を聴いたのです。ブロムシュテットは大風呂敷を広げるような人ではありませんから、正面から楽譜と向き合った丁寧に創り込まれた演奏は、それはそれでこの名曲の深みを教えてくれてます。「こういう演奏で聴くと、やはり良い曲だなあ」とその余韻も覚めやらぬまま、シェルヘンを聴きました。何も知らない人が聴いたら、さっきの演奏と同じ曲だとはとても思えないでしょう。第1楽章から「シェルヘンさん、そんなに急いで何処に行くのですか?」と言いたくなるような猛烈なスピードです。もっともベートーヴェンのメトロノーム指定に則した演奏だそうですが、他の指揮者は音楽的に破綻をきたすため、まず指定どおりには演奏しないようです。しかしシェルヘンのハイテンションはとどまる事を知りません。それを決してAクラスの技量を持つとは言えないルガノ放送管弦楽団も熱演で応えようとますが、最後の方ではさすがにアンサンブルにも乱れが生じ、倒れこむように終わります。演奏後、肩で息をするシェルヘンと楽団員の姿が目に浮かぶようです。
さらにここで特筆すべきは、この記録はルガノ放送局スタジオでのライブ録音であると言う事です。当時としては音質も素晴らしく、聴衆をも巻き込んだであろうこの壮絶ともいえる演奏の生々しさがリアルに伝わってきます。一体、こんなベートーヴェンを聴かされた聴衆の胸のうちはどのようなものであった事か?
ちなみに、本ディスクには同じくスタジオライブ録音で、第7番がカップリングされていますが、これもすざまじい演奏です。特にコーダのまくり方は、アンサンブルの完成度を別とすれば、かのカルロス・クライバーの更に上をいくものです。このような演奏をよく「ヘタウマな演奏」と評価する人がいますが、私はそんな表現は好みません。確かにこれは、フルトヴェングラーのように他に変え難い価値のあるものでもなければ、バーンスタイン、クーベリック、セルのような名匠が名門オーケストラを指揮したベートーヴェンとは同じ次元では論じる事は出来ないかもしれません。これはむしろ「私はシェルヘンだあ!」という信念を貫き通して来た彼の「これが私のベートーヴェンだあ!」とも言える最後の魂の叫びの記録として人々の心に残るでしょう。
事実、この録音の1年後にシェルヘンは亡くなっています。
そして、30年余りの後の1990年に、この演奏を含むベートーヴェン全集が世に出た事により、当時、殆んど忘れかけられていたシェルヘンへの再評価が高まりました。きっとこのようなベートーヴェンは、好き嫌いがはっきり分かれるでしょう。しかし繰返して申しますが、私はこの演奏が好きです。皆さんはいかがですか?
(2006年12月15日、An die MusikクラシックCD試聴記)