An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」

ブルックナー篇

文:青木さん

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CDジャケット

ブルックナー
交響曲第8番 ハ短調
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1955年6月 コンセルトヘボウ、アムステルダム(mono)
PHILIPS(輸入盤選集:464 950-2)

 なにかと対比させて語られることも多いマーラーとブルックナーのシンフォニー群。わが国の二大映画作家に例えると、マーラーが黒澤明でブルックナーは小津安二郎です。前者は個々の作品ごとに個性豊かな特徴がそれぞれあり、後者は作品全体を通じて一つの大きな世界観を形成している、という意味ですが、ワタシが好きなのは圧倒的に黒澤明なんですね。小津映画はどれを観ても同じような俳優たちが同じような役名で同じようなストーリーを繰りひろげ、題名までが似通っているので、最初のうちはどれがどれだか混乱してしまったものです。やがて、それらに共通した「小津的な世界」に浸ることが心地よくなり、個々の作品はその大きな世界を少しずつ違う側面から描いたものに過ぎない、と思うようになってきました。

 ブルックナーも同じである、というとちょっと飛躍してしまいます。しかし、各曲の個性・特徴をいまだ十分には把握しきれず、何曲か続けて聴くと混乱してしまうことがあるのです。その点で、ワタシはブルックナーのよい聴き手ではありません。これまで『コンセルトヘボウの名録音』他でブルックナーを採りあげなかった理由がこれです。今回は第8番のCDを何枚も聴きましたが、もっとも強く残った思いは「ああ、堂々たるブルックナーだな…」というものでした。

 それでもさすがに密度の高い名作であるという認識はあります。ブルックナーのシンフォニーは建築物に例えられることもあり、その意味ではこの第8番がもっとも立派な大伽藍のような建築だと思います。これが第7番だと終楽章がいかにも物足りなく感じるので、スマートなハイライズの建物を連想するのですが、この曲は基壇部がどっしりして安定感のある建造物です。

 コンセルトヘボウ管のCDで聴いてみると、この構成感にふさわしい演奏は、意外にも速いテンポで貫かれたベイヌム盤とセル盤でした。ハイティンクのスロー・テンポはかえってしっくりこない印象です。81年の新盤は、音響的には最高なのですが。シャイー盤の壮麗なサウンドも、やや違和感はあるものの聴き応えがあります。セル盤は1951年のライヴ録音なので音質面の条件がよくありません。

 こうして聴き較べて改めて痛感するのは、ベイヌム先生のブルックナーの不思議な魅力。80分を超えてCD二枚組になる演奏も多い中で72分しか要していませんし、朗々と歌わせるよりもフレーズを歯切れよく刻ませる表現のほうが目立つほどなのに、セカセカしたせわしない印象などまるでなく、堂々たる威容で巨大な作品世界が再現されている。まさに絶妙、神業。もちろんこれには、深みとコクのあるコンセルトヘボウ・サウンドが大きく貢献しています。その美しい響きがクリアな音質で捉えられており、モノラル録音の不満はありません。素晴らしい「第8」だと思います。


追記)上記CDについて(文:伊東)

 ベイヌムは全曲をわずか72分で駆け抜けていますが、これは第3楽章を23分で演奏していることに原因があります。数字を見るだけだと上滑りしている演奏のように思われますが、かなり情感もあります。続く第4楽章は必聴です。悪鬼が指揮者に乗り移ったような演奏で、極端・性急なフレージングが見られ、ベイヌムが指揮をしながら燃えてしまったことを窺わせます。特にコーダは強烈です。そのベイヌムにコンセルトヘボウ管がついて行っている。青木さんが「神業」と書いておられるのは、こうしたことを表しているのだと思います。ライブでもないのにこんな演奏が残されたことに、当時の「録音」にかける意気込みが感じられますね。

 録音は1955年です。あと少しでステレオ録音になったことを考えると非常に残念です。モノラル盤でも実にクリアで聴きやすい音になっているので、当時のコンセルトヘボウ・サウンドを満喫できますが、ステレオだったら、と想像すると、演奏がすごいのでわくわくします。

 

(2006年12月5日、An die MusikクラシックCD試聴記)