ドヴォルザーク
交響曲第8番 ト長調 作品88
ラヴェル
組曲「マ・メール・ロワ」
ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管
録音:交響曲第8番:1990年12月13、14日 「マ・メール・ロワ」:1989年11月23,24日、アムステルダム、コンセルトヘボウ
SONY(国内盤 SRCR 2015)
ジュリーニはさらに12年後に再録音します。そして、その演奏が、彼の過去のどの演奏とも、さらに他のどの指揮者による演奏とも完全に違う独特の存在感を備えていることに注目されます。ジュリーニ晩年の面目躍如たる演奏です。
テンポはシカゴ響盤よりも遅くなり、通常の聴き手がドヴォルザークらしさと考える小気味よさがここでは否定されています。このCDを聴く人の多くは、あまりに遅いテンポに嫌気がして、最後まで聴けない可能性があります。第3楽章の出だしを聴くと、これが「どぼっぱち」なのかと疑いたくなるでしょう。
私はオーケストラがよくこのスローテンポについてきていると感心するのですが、その音のすばらしさは筆舌に尽くしがたいものがあります。テンポが遅くなった分、オーケストラは極限的なカンタービレの世界に突入しています。私はスピーカーから出てくる音に聴き惚れ、陶然となります。しかも、音楽には緩みが感じらません。この演奏にかけるオーケストラの集中力が非常なものであったことが窺えます。スローテンポであるという理由だけでこの演奏を拒絶するにはもったいなさ過ぎます。
この演奏も、ボヘミア的であるとは言えません。ただし、無国籍であるとは思えません。私は最高に洗練されたヨーロッパの音を感じます。このような音、そして音楽は他のどの演奏にも求められません。ジュリーニ同様に誰かがスローテンポで演奏したとしても、多分同じようにはならないと思います。1990年という特定の時期にジュリーニという稀代のカンタービレ指揮者がいて、ロイヤル・コンセルトヘボウ管という名器があり、コンセルトヘボウという会場があったこと。さらに、その演奏を録音しようとしたプロデューサーがいて、それを可能な限り美しい状態で録音できるスタッフがいたこと。こうした数々の条件が全て揃って初めて可能になったのだと思います。
もしこの録音がなければ、ジュリーニの指揮者としての評価はかなり違っていたのではないかと私は思っています。他のどの指揮者もこうしたスタイルの演奏をしていませんが、ジュリーニは62年の録音で、おおよそありがちな「どぼっぱち」の演奏スタイルを追求した後は、演奏のスタイルを変貌させていきます。その結果がコンセルトヘボウ管との録音に聴かれる世界になるわけですが、音楽とは人間が生み出すものであり、演奏する人間の成熟や成長がこのように反映されるものなのですね。
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