An die Musik 開設8周年記念 「大作曲家の交響曲第8番を聴く」

シューベルト篇

文:松本武巳さん

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CDジャケット

シューベルト
交響曲第8番「未完成」
デンマーク国王フレデリック9世指揮デンマーク王立歌劇場管弦楽団
録音年不詳:1950年代?のモノラル録音
デンマーク王立歌劇場管弦楽団−歴史的名演集(輸入盤Membran223548)

 

■ なぜ苦手なのか

 

 私は、非常にこの曲を苦手としている。というか、シューベルトの交響曲を聴くこと自体、ほとんど皆無に近い。しかし、私も少年時代、未完成交響曲を好んで聴いていた時代は存在している。なぜこんなことになったのか。多分、これは70年代の後半から、いろいろ始まった古典派交響曲への革新的な取り組みへの拒否反応が、シューベルトに対して最も強く出たのであろうと思う。その典型が、アッバード指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のドイツグラモフォンへの全集であったと思うのである。この全集は極めて高い評価を得て、当時の話題をさらったのであるが、私にはどうにもこうにも我慢がならない、シューベルトを聴いているとは思えない感覚がしたことを覚えている。先に言い訳をしておくが、私は普段はアッバードが好きであるし、高く評価をしているにもかかわらず、このシューベルトだけはどうにもならなかったのである。さらに悪いことに、彼らの来日公演(シューベルト全交響曲演奏会)を聴いたのだが、聴後に受けた感覚や思いはまったく不変であったのだ。

 

■ 心休まる古き良き時代感覚

 

 私はつまるところ、この未完成交響曲を古典派の音楽であるとは捉えていないのだろうと思う。要するに、ロマンティックな美しい音楽であると理解し、そのような演奏を現在も好んでいるのだと思う。大時代的な演奏だと批判されるかも知れないが、事実、私の好むシューベルトは、まさに時代がかった演奏であることが多いのである。たとえば、私は、「ザ・グレート」はフルトヴェングラーのもの(ライヴもスタジオも)が、今なお最も好んで聴く「ザ・グレート」であり、クレンペラーやクーベリックですら、その近代性に若干の違和感を感じてしまうのである。これはまさに個人の嗜好の問題であるので、かえってどうしようもないように感じる。

 

■ 未完成交響楽の強い影響

 

 私のシューベルトの交響曲への嗜好性の根本は、一体どこにあったのだろうか。たまたま、ついこの間、権利切れのために500円で本屋さん等で投売りされているDVDで、名画「未完成交響楽」を何十年ぶりかで観た。そして、その瞬間にこの映画で流れるモノクロ画像と貧弱な音質の音楽こそが、私が現在も追い続けているシューベルトの理想像であったことに、自身で苦笑いをしつつ、人間がいろいろな影響を受ける根幹(ルーツ)が極めて人生の幼少時に形成されることとともに、改めて確認した次第である。この映画こそが、今もなお私が安心して身を委ねることのできる、未完成交響曲そのものであったのだと…

 

■ デンマーク国王フレデリック9世

 

 閑話休題。実は最近、デンマーク王立歌劇場管弦楽団歴史的名演集なる10枚組のCDを入手した。その中に、デンマーク国王であったフレデリック9世の指揮する1枚があった。私はこの王様こそ、プロとしての指揮活動が完全に可能なレベルに到達した王様であったと、以前から確信している王様である。数年前にダ・カーポ・レーベルからこの王様の指揮する2枚組のCDが出されたが、そこでこの王様が指揮したベートーヴェンの第3番と第7番は、名演の誉れを受ける資格が完全に備わっていると、私は強く信じている。第7番の方はそうは言ってもスコアどおりに振れば、それなりにきちんと仕上がるので、アマチュアでも十分に聞かせることのできる交響曲であるのだが、第3番はそうはいかない。プロが振っても、意外なほど全体の構成が曖昧になることも多く、また曲の聞かせどころが多数あるためか、かえって支離滅裂に表現されて終わってしまうことも多い交響曲なのだが、この王様の全体を貫く堅固な構成感とゆるぎない指揮ぶりに、非常に感動したことを思い出したのである。

 

■ この曲の伝統的スタイルによる理想的演奏の一つ

 

 さて、この王様の未完成交響曲の録音を、始めからある種の期待を込めて聴いたからなのかも知れないが、予想通りと言うよりも、はるかに予想を超えて古き良き伝統的な未完成交響曲を聴くことが叶ったのである。本当に懐かしい思いにどっぷりと浸れる、未完成交響曲の演奏にひと時を委ねることができたのだ。多分、客観的には、この演奏をもって古いスタイルでの最高の演奏である、などとは到底言えないのだろうと思う。しかし、このスタイルでの演奏を聴けた最も直近の演奏であったので、ここにあえて紹介する次第である。ただし、念のために、古いスタイルを継承することを基本的に目指していると思われる、現代の指揮者バレンボイムの指揮するものも合わせて聴いてみたが、私には王様の指揮する未完成交響曲のほうが私の琴線に直接訴えかけてきて、結果として身体にしっくりとしたことは、蛇足かも知れないが付け加えておこうと思う。バレンボイムの指揮者としての技量の問題というよりも、オーケストラのメンバーの意識が、近年の録音である分、私の嗜好から捉えると、バレンボイムの指揮したCDの方が劣っていたのだと信じたい。なぜならばバレンボイムもまた、私は結構好きなタイプの指揮者だから…

 

(2006年12月16日、An die MusikクラシックCD試聴記)