An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」
ベートーヴェン篇
文:伊東
「第九」。名曲だけに夥しい数の録音が行われています。どのような演奏家にとっても、これをルーティン・ワークで片づけることなど考えられません。相当な意気込みで演奏に臨むはずです。録音に至る経緯自体が祝典的な場合もあることを考えると、録音ひとつひとつに意味があると私は考えています。従って、この曲のベスト盤を決定するということがあっても、私はあまり意味がないと考えています。皆さんも、自分だけが大事にしているこの曲の録音があるのではないでしょうか。私にも大事な録音がありますが、今回は多くのリスナーに多大な影響を与えてきたと思われるフルトヴェングラー盤、バイロイトでのライブ録音を取りあげてみます。
ベートーヴェン
交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
エリーザベト・ヘンゲン(アルト)
ハンス・ホップ(テノール)
オットー・エーデルマン(バス)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団
録音:1951年7月29日、バイロイト
EMI(輸入盤 7243 5 66953 2 0)この録音を聴いたのは大学に入ってからだったと思います。最も印象的だったのは第4楽章の終結部でした。威風堂々と奏でられてきたこの曲は、最後の最後で歓喜の絶頂に達します。フルトヴェングラーはそこで猛烈なアップテンポでオーケストラを煽り、信じがたいほどの狂騒の中で曲を終わらせます。そのわずか数分のできごとに私は呆気にとられたものでした。これが私の「第九」体験のひとつです。その後、「第九」を聴くときには、最後の最後でフルトヴェングラー的な極度の高揚感を求める癖がしばらくついてしまいました。
もちろん、そのような癖があっても、現実がそれを矯正しました。もはや世の中にフルトヴェングラーのような指揮をできる指揮者も、それを受け入れるオーケストラもなかったためです。
考えてみれば、EMIはよくもまあこのような録音を発売したものです。フルトヴェングラーという巨人の名前がクレジットされていなければ、おそらくはとてつもない珍盤とされていた可能性があります。フルトヴェングラーが狂ったように指揮棒を振り回し、テンポを上げていくものですから、オーケストラはついていくのがやっとです。そのすさまじさに圧倒されるものの、演奏はハチャメチャに聞こえます。それどころか、きちんと最後の音まで辿り着いていないように思えました。
それだけではありません。第4楽章で合唱が「vor Gott」と叫ぶと、それが延々と続きます。フェルマータがついているとはいえ、一体どこまで伸ばすのか、と思うくらい伸ばします。しかも、その最後でクレッシェンドしているではないですか。絶叫の上に絶叫であります。そして、それからの長い長い沈黙。大まじめにやっているのですごい迫力があります。
これを何度も聴いていくと「第九」とはこう演奏すべき曲なのだと思ってしまうのです。「ライブ録音」と明記してあることも手伝って、一頃まで私がライブにこうした極端とも言える激しさを求めるようになってしまったのは、この録音の影響だったのかもしれません。その後にクレンペラー盤やジュリーニ盤などを聴くに至って私の偏向的な聴き方は緩和され、現在に至っています。
しかし、フルトヴェングラーの音楽が持つ生命力は半端ではありません。CDショップに行くと新しい復刻盤が出ていて、私はよくそのCDを手にしてしまいます。例えば、以下のCDです。
GRAND SLAM(国内盤 GS-2009)
盤鬼として知られる平林直哉氏が良好な状態のLPをもとに復刻したCDです。これを俗に「板起こし」と言うそうですが、半信半疑で聴いてみると驚くほど音が良い。EMI盤でも特にartリマスタリング盤はきれいな音を聴かせる替わりに線が細くなる傾向があるので、比較の対象とするには不向きかもしれませんが、平林盤は本当に同じ録音なのかと思うほど骨太で豪快、圧倒的な音でフルトヴェングラーの演奏を楽しめます。LPから起こしたCDが、マスターテープから作ったと言われるCDより音が良いのは一体どういう訳かと首をひねります。マスターテープが劣化しているのか、マスターテープがなくなって何世代もコピーされた後のテープをマスターと称して使っているのか。謎です。
それはともかく、この復刻盤を聴いて、「これが決定盤だ」などと私は考えていました。ところが、今年2007年になって大きな動きがありました。フルトヴェングラー・センターから会員向けにバイロイトの「第九」が発売されたのです。それも、編集がない、正真正銘のライブ盤だとか。
フルトヴェングラー・センター(会員向けCD WFHC-013)
何と、1951年7月29日のテープがバイエルン放送局の倉庫に眠っていたのですね。それが21世紀になって発掘されたわけですが、この「センター盤」が出現したことで、EMI盤が当時のプロデューサー、ウォルター・レッグによる編集を経て作られたことがほぼ明らかになりました。
例えば、EMI盤にあった「vor Gott」のクレッシェンドは「センター盤」にはありません。というより、「センター盤」は全体的に音楽の流れがとても自然です。つぎはぎをされたらとてもこのように自然な流れにならないでしょう。
気になったのは第4楽章の終結部です。もしかすると普通のテンポになっていないかと興味津々で聴いたのですが、猛烈なスピードで畳みかけるのは一緒ですが、音はよく揃っていて「ハチャメチャ」な感じは全くしません。見事に最後の音に着地しています。
こうなるとますます奇妙です。レッグはわざわざハチャメチャな方を編集材料に選んだことになります。また、「vor Gott」にクレッシェンドをつけて強力に厚化粧をしています。ライブ盤と銘打って発売するからにはこれくらいのことをしておいた方がインパクトがあると考えたのでしょうか。実際に多くのファンに強烈な印象を与え続けたわけですから、レッグの目論見は完全に成功したと言えます。
「ここがこのように違う」という指摘はいくつもできるでしょうし、おそらく専門家や好事家の間でその一覧表でも作られているに違いありません。しかし、こうしたことは枝葉末節なのかもしれません。全体としてみればこの「センター盤」もレッグ編集のEMI盤もフルトヴェングラーの演奏を充分に伝えています。
いずれにせよ、死後50年も経過している指揮者の録音が今も話題になり続けていることは興味深いです。ベスト盤を選定することに意味がないと考える私ですが、フルトヴェングラーはベートーヴェンに真剣に取り組むその姿勢が最も顕著に音に現れている指揮者の一人であるとは思っています。復刻盤が出たらまた買ってしまうことでしょう。古いモノラル録音であるのに。
蛇足です。
現在も「ライブ盤」と記載のあるCDが大量に生産されています。本当にライブ盤なのかちょっと疑いたくなるこの頃です。何回かのコンサートのつぎはぎをしてもライブなのか。それはライブ盤と言えるのか。スタジオで部分部分を録音し、つなぎ合わせたものとどう違うのか。ライブだから良しとする風潮がないわけでもないようですが、私は疑問を感じています。少なくとも編集をしたものをライブと呼ぶのはやめてみてはどうでしょうか。
(2007年11月1日、An die MusikクラシックCD試聴記)