An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」
ブルックナー篇
文:ゆきのじょうさん
既にあちこちに書き散らしていることですが、私はドイツの指揮者ルドルフ・ケンペを敬愛しております。ケンペのレパートリーにおいて、ブルックナーは重要な作曲家の一つでした。ケンペは晩年にBASFレーベルでブラームスと並んで、ブルックナーの交響曲全集を録音するプロジェクトを開始していましたが、残念ながら第5、第4だけを録音して1976年に他界しました。正規音源としては、あとはチューリヒ・トーンハレ管との第8、ロイヤル・ストックホルム・フィルとの第7がありますが、ケンペがミュンヘン・フィルとのプロジェクトで、次に何番の交響曲を録音するつもりだったのかは分かりません。
尾埜善司先生著の『指揮者ケンペ』によれば、ロイヤル・フィルとの演奏会で第9も指揮しているようです。いったいどんな演奏になったのだろうと無い物ねだりをしてしまうせいか、他の指揮者の既存のディスクを聴いていると「ああ、ケンペならここはこんなふうには演奏しないだろうに」と感じてしまうことが多く、これは、という演奏になかなか巡り会えません。
したがって、今回の企画において、ブルックナー/第9だけは難しいと感じました。豪奢なカラヤンも良いのですが伊東さんがとりあげていらっしゃいました。本当はDECCAのLPで聴いたズビン・メータ指揮ウィーン・フィル盤が、実に面白い演奏なのですが、(その面白いことが理由なのでしょうけど)CDでは現在出ていません。
そんな経緯で、この曲はパスしようかと思っていたところ、このディスクに出会いました。
ブルックナー
交響曲第9番 ニ短調
ジークムント・フォン・ハウゼッガー指揮ミュンヘン・フィル
録音:1938年4月
独PREISER RECORDS(輸入盤 90148)ハウゼッガーは1872年グラーツに生まれ、1948年ミュンヘンで没しています。1920年から1938年までミュンヘン・フィルの常任指揮者でした。ハウゼッガーの名前は、ブルックナーの交響曲演奏史上、重要な位置づけとなっています。というには、第5番と第9番の原典版の初演指揮者だからです。第9番に限って言えば、初演はブルックナーの死後7年経った1903年でしたが、これは初演指揮者のレーヴェ自身が改訂した楽譜を使用していたためほとんど紛い物でした。本来のブルックナーが書いた楽譜に基づいた原典版は1932年に初演され、その演奏がハウゼッガー/ミュンヘン・フィルであり、更に6年後に録音したのが、このディスクというわけです。
当然ながらモノラルです。しかもSPレコードからの復刻です。しかし流れてくる音楽は貧弱などころか、実に骨太な堂々たる演奏でした。
テンポは概して速めです。思い入れたっぷりに纏綿と歌うよりは、がっちりとした構成を大事にしています。ではすべてを削ぎ落とした冷たい演奏なのかというと、そうではありません。弦楽器はときにポルタメントをかけたり、速いテンポなのに、熱く力強く演奏しています。管楽器も咆吼すべきところは、豪快に吹いています。それでいて全体のバランスは、モノラルなのに不自然なところがありません。それどころか、水増しされて余計な装飾を施されたような最近のデジタル録音にはない瑞々しさと迫力があります。各パートのすべてが聴き取れるわけではないのに、ここにはブルックナーの壮大な音楽が厳然として存在します。
第二楽章のスケルツォでは、オーケストラの機能としては流石にアンサンブルの乱れがありますが、細かいところは拘泥せず大づかみに音楽を捉えて、このように演奏するのだという確信を奏者から感じることができます。
第三楽章のアダージョも速いですが、せかせかしたところはなく、情緒にも欠かず、音楽は実に自然に呼吸しています。そこには落日の虚無感も伝わってきます。こういう演奏がブルックナーの死後40年足らずで出来たことが驚きです。ここにはブルックナーの音楽をどう演奏すべきかという答えが存在しています。
ハウゼッガーの指揮は、作為のない豪快さと、確信に満ちた自然な律動があります。これはケンペにも通じるものなので、もしかしたら、ケンペもこのような演奏をしたのかしら、と思わせるものです。ケンペがミュンヘン・フィルで演奏した場合、ハウゼッガーが使用した楽譜が残っていれば参考に出来たかも知れません。ブルックナーの死後から40年後のハウゼッガーの演奏、そして、さらに40年くらい後にあったかもしれないケンペの演奏、その聴き比べが出来たらどれほど心が動かされただろうと、やはり無い物ねだりをしてしまいたくなるのを、これからも必死に抑えなくてはいけないようです。
(2007年12月4日、An die MusikクラシックCD試聴記)