An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」

ドヴォルザーク篇

ケンペ指揮の4+α種を聴く

文:ゆきのじょうさん

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 ルドルフ・ケンペは、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲集、このサイトでも採り上げられているベートーヴェンの交響曲全集を始めとして、ブラームス、ブルックナーなどのドイツ・オーストリア音楽を得意とした指揮者として知られています。

 ところが、ケンペはドヴォルザークの「新世界から」も十八番にしていたようで、正規音源としてリリースされているものだけで4種に上ります。本稿ではその4種を採り上げてみます。

 

 

CDジャケット

ドヴォルザーク
交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
ルドルフ・ケンペ指揮ベルリン・フィルハーモニー
録音:1957年9月2日、グリュネヴァルト教会、ベルリン
英TESTAMENT(輸入盤 SBT121281、分売はSBT1269)

 市場に現存するケンペの最初の「新世界から」です。当時47歳のケンペが、まだフルトヴェングラーの残像が残っていたであろうベルリン・フィルを指揮したディスクです。モノラル期からステレオ期に移行するこの頃に、ケンペはベルリン・フィルと「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲録音を始めとして、比較的多くの録音を行いました。このディスクについての評論としては、レコード芸術1979年12月号(p.273-279)の連載「続・世界の名指揮者 ルドルフ・ケンペ」において、小石忠男氏は同じコンビのチャイコフスキー/第5と併せて次のように書いています。

 「いずれも実に手がたい造形と音楽的な起伏、重厚なひびきをもった演奏で、いわゆるドイツ的なスタイルのチャイコフスキーあるいはドヴォルザークの典型である。しかしこれらが音楽の質として極上でありながら、それ以上に大衆の関心をひくものがないこともまた認めねばならない。」

 確かに一度聴いただけでは、この演奏の何処が良いのかと思う人も多いだろうと考えます。

 冒頭の響きの置き方は、ややゆったりとしており、後年の録音に見られるようなリズムの冴えは余りありません。これはケンペがベルリン・フィル相手に萎縮したから出来なかったわけではなく、この時はこのテンポを選択したのだと思います。というのも、同じディスクにカップリングされているシューマンの「春」第一楽章では、天下のベルリン・フィルをアンサンブル崩壊まで追い込むような煽り方をケンペはしているからです。続いてじっくり歌われる第二楽章でのソロの妙技はやはりベルリン・フィルならではだと思いますし、第三楽章も後年に比べると遅めのテンポが選ばれており、整えられたアンサンブルで堂々と演奏されています。第四楽章は最初から畳みかける指揮ぶりで、これは後の3種類と同じ趣になっています。最後のフェルマータは10秒近く、長く演奏されています。

 どこを取っても、ケンペの解釈は迷いがなく、むしろそれを徹底させたことで、このどっしりとした演奏になったものと思います。そしてとても信じられないことに、ここでの基本的な解釈はその後のディスクにおいて、ほとんど変わらないのです。

 

 

CDジャケット

ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニー
録音:1962年1月26-30日、ウォルサムストウ・タウン・ホール、ロンドン
欧SCRIBENDUM(輸入盤 SC040)

 世に多いとは言えないケンペ・ファンの中では、4種の「新世界から」のうち最も人気のある演奏です。51歳でビーチャムの後を受けて首席指揮者に就任した翌年の録音です。ケンペが初めてコンサートオーケストラの常任になった時でもあります。上品で典雅な響きはビーチャムの薫陶を受けた名残かもしれませんが、ここでのケンペの指揮はやはり迷いのないのですが、ベルリン・フィル盤ではなかったリズムの冴えは見事で、第一楽章の音楽はどんどん高揚していくのが分かります。第二楽章も比較的早めのテンポですが、歌うべきところは歌い抜いており、中間の弦楽四重奏のような掛け合いは滋味豊かです。第三楽章は颯爽として疾風のような速さで演奏されます。二つのトリオでわずかにテンポが緩められるバランスも素晴らしく、第四楽章の追い込みも息を付かせないものがありますが、金管は終始上品に吹いているので、都会的な演奏とも言えます。最後はそれでも豪快に強奏して終わります。フェルマータは5-6秒と短めです。

 このロイヤル・フィル盤で、ケンペの解釈はほぼ完成に至ったと言って良いと思います。気品のよさも加味すれば、この演奏が一番好まれるのもよく分かります。

 

 

CDジャケット

ルドルフ・ケンペ指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
録音:1971年6月29日-7月1日、トーンハレ、チューリヒ
欧SCRIBENDUM(輸入盤 SC001)

 ケンペは1965年から1972年まで、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の常任指揮者でした。従って、このディスクは常任としての最後のシーズンにスタジオ録音されたものです。61歳の指揮者とオケがお互いを知り尽くした収穫の時期の演奏と言えます。

 個人的には、最初に購入したケンペの「新世界から」でした。TUDORレーベルを日本フォノグラムが国内盤にしたものです。ジャケットは銀を基調としていました。残響が豊かなトーンハレでの録音です。

 どっしりとしていながら推進力のある第一楽章冒頭から、あっという間に惹きこまれてしまいます。フルートソロが入るところの洒落たテンポの落とし方から、すぐテンポを戻してくるあたりは何度聴いても至芸だと感じ入ります。第二楽章のイングリッシュ・ホルンの哀愁はケンペの全ての異演盤の中だけでなく、今まで聴いたどの演奏をも凌駕していると思います。尾埜善司先生の大著『指揮者ケンペ』p.146によれば、ケンペ自身が「《新世界》のラルゴの楽章のイングリッシュ・ホルンのソロを、このオーケストラは他のどこよりも美しく演奏した。」と言っているように言葉には表せないくらいの名演奏ですが、弦楽器のニュアンスも、威圧的ではないが骨太の金管も、全てが圧倒的なできばえです。第三楽章の沸き立つような、それでいて決してはしたなくない躍動感はまさに円熟。テンポはこうでなくてはならないという確信に満ちています。第四楽章はゆったりと始まったと思えば、すぐテンポは速められて豪快な第一主題となって、経過部になると更に心地よい加速が得られます。その後もテンポやニュアンスを絶妙に変化させながらコーダになるのですが、音楽が熱を帯びてきて強烈なアッチェランドがかかります。そして、最後の弦楽器がユニゾンで弾ききるところは、いつ聴いても鳥肌が立ってしまいます。響きが充満したトーンハレに、最後のフェルマータは7秒ほどでスマートに終わります。

 

 

CDジャケット

ルドルフ・ケンペ指揮BBC交響楽団
録音:1975年8月29日、ロイヤル・アルバート・ホールでのライブ録音
英BBC legends(輸入盤 BBCL4056)

 ケンペがプロムスで演奏した生涯最後の曲で、上述の『指揮者ケンペ』の表紙がその時の演奏会の写真です。ケンペはこの年からBBC交響楽団の常任となりましたが、翌1976年5月12日に持病のB型肝炎に肝臓癌を合併して亡くなってしまいます。

 基本的な解釈は、前の3種、特にチューリヒ盤とほとんど違いがありません。常任になる前ですから、オケとそんなに頻繁に演奏していないでしょうけど、ケンペの解釈がしっかりと伝わっているのは、驚きです。元々ディスク化を想定していたわけではなかったのですからマイクセッティングにも制約があったのでしょう、やや遠目の録音は最上とは言えず、弦楽パートはぼけ気味で、金管とティンパニの音が盛大に入っています。ケンペ・ファンなら脳内イコライザーで調整できますが、ケンペの「新世界から」を初めて聴かれる場合は、正直このディスクはお勧めできません。

 しかし、ケンペ・ファンにとっては格別の感慨を持って拝聴せざるを得ない演奏です。既に健康面に不安を抱えており、三年契約のBBC交響楽団の任期も全うできないだろうということは公然の秘密ですらありました。それでもケンペはBBC交響楽団と新たな道を歩もうとしていました。この「新世界から」を演奏する直前の休憩時間に、ケンペはインタビューに応じて「来年のプロムスではレハールの『金と銀』をやってみたい」と語っていたと言います。ケンペの視線は常に音楽とともに未来を向いていました。

 この「新世界から」の最後のフェルマータは9秒ほど伸ばされています。それが終わると同時に割れんばかりの歓声と拍手が押し寄せます。この演奏を生で聴くことができた観客は幸せです。そして、その感動をほんの少しでもお裾分けしてもらえた私も幸せ者だと感じます。尾埜先生が「ケンペのバトンのもとでは、みんながしあわせになった。」と副題を付けられたのは至言だと確信できる演奏なのです。

 

 

 

  ケンペの「新世界から」には、少なくともあと3つライブ音源が存在します。一つ目はシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したモノラル音源で、おそらくベルリン・フィル盤より前、東独時代の演奏です。Tahraからリリース情報がありましたが、何らかのトラブルで頓挫しています。二つ目は1973年8月15日、ルツェルンにおけるスイス音楽祭(後のルツェルン祝祭)管弦楽団を指揮したものです。その第3楽章のリハーサルの一部と、第4楽章の最後は、次のDVDで観ることができます。

DVDジャケット

ルツェルンの大指揮者たち〜トスカニーニからアバドまで〜
キング KIBM-1028

 巷で抱かれているケンペのイメージとは似ても似つかぬ、髪を振り乱して指揮棒を振り回すケンペと、汗みどろになって叩きまくるティンパニ奏者が強烈な印象を残してくれます。エアチェックで聴いた演奏は、やはり正規音源と変わらぬ解釈です。臨時編成ゆえのアンサンブルの乱れはありますが、終楽章の盛り上がりはBBC盤を凌ぐかもしれません。

 そして最後がミュンヘン・フィルを指揮した1975年5月15日の定期演奏会です。これがNHK-FMで流れた時、解説の渡辺学而氏と、もう一人ゲストが担当していたのですが、演奏が終わった後二人して、「いやぁ、素晴らしかったですねぇ」と言い合い、渡辺氏が番組最後の締めの言葉を言っているバックで、ゲストがまだ感動しているようで、「はぁ・・・」とため息をついているのが印象的でした。ヘルクレス・ザールの響きが豊かな中での、ミュンヘン・フィルの柔らかく美しい音色と、後半は燃えに燃えるのですが、深い充実した音楽は変わらないという奇跡のような演奏でした。確か、バイエルン放送提供のテープだったはずでしたから、オルフェオは、この演奏を是非正規リリースしてほしいと願わずにいられません。

 

 

 

  これだけ透徹したケンペの一連のディスクを聴いてしまった結果、他の指揮者が振る「新世界から」を聴くとどうも何処かに間延びしたところがあったり、無理にテンポを動かしているような感じがしたりしてしまいます。ケンペの解釈が楽譜通りとはとても思えず、かなり手を入れているようにも感じますが、楽譜と照らし合わせた聴き方はしていないので分かりません。でも、音楽的に見ればケンペの「新世界から」はきわめて完成度が高いと感じます。それは、ケンペがこの曲を若い頃から大好きだったからだと思っています。

最後に今回採り上げた4種の演奏時間を掲げておきます。

楽団
録音年
演奏時間
第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章
BPO
1957
9:52
12:01
8:14
10:40
RPO
1962
9:41
11:33
7:54
10:29
TOZ
1971
9:43
11:10
7:50
10:39
BBC
1975
9:50
11:47
7:42
10:40
 

(2007年11月29日、An die MusikクラシックCD試聴記)