クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1967年2月15-18、21-24日、ロンドン、キングズウェイ・ホール
EMI(国内盤 TOCE-3235/36)
EMI(輸入盤 0946 3 80003 2 7)
クレンペラーはバーンスタインとは逆に、指揮者の感情移入を徹底的に排除してマーラーを演奏しています。ある意味で乾いたマーラーです。そうではあっても、クレンペラー盤はマーラー演奏史における金字塔です。長大な作品のどこをとっても適当には演奏されていません。クレンペラーはしかるべき箇所で、しかるべき音を出させています。まず間違いなく、楽譜に書いてある音を確信を持って再現させているはずです。聴いていると、これ以外の音、これ以外の表現など考えられなくなってきます。聴き終わった後の充実感は比類がありません。
クレンペラーはマーラー直系の弟子です。であるにもかかわらず、クレンペラーはマーラーの交響曲すべてを録音したわけではありませんでした。交響曲第5番はムード音楽であるとして演奏しませんでした。師匠の作品であろうと、クレンペラーなりの厳しい批評眼が拒絶する場合もあったのですね。逆に、クレンペラーが録音まで行った曲には限りない愛着があったのではないかと推察されます。愛着があっても、その愛着を感情移入という形ではなく、譜読みの深さで表出させるのがクレンペラーらしいと思います。
クレンペラーが残した交響曲第9番の録音は、クレンペラーの譜読みがオーケストラの団員に徹底されたことで極めて高い価値を持っています。録音には実に8日もかけています。現代ではこのような贅沢なセッションを組むことができません。しかも、たまに客演していたオーケストラではなく、クレンペラーが長期にわたって君臨していたニューフィルハーモニア管とのセッションなのです。ここは大変重要なポイントです。コンサートでは指揮者とオーケストラが初顔合わせをし、すばらしい演奏を残す場合がありますが、指揮者とオーケストラの間に多かれ少なかれ齟齬が生じることは想像に難くありません。クレンペラー盤の場合は、長いつきあいの中で相互の理解がある上で8日間もかけたセッションが行われているために、クレンペラーの意図が完璧に音として残されることができたのです。
録音も優れているので、この演奏はもう少し脚光を浴びても良さそうですが、人気の点ではバーンスタインの後塵を拝することになってしまいました。しかし、この演奏が時代遅れになることはないでしょう。
私はこの録音をオリジナルLPで聴いてみたいと以前から願っています。さすがにこれ以上自宅に機材を置く余裕がないので諦めていますが、さぞかし優れた音だったのではないかと思われます。EMIから現在発売されているCDには一長一短があります。artリマスタリングによるCDでは音の鮮度を上げるためにエネルギー感がそぎ落とされるケースが多いのが難点です。HS2088リマスタリングによる国内盤は一般的に高音に若干の癖が認められるために私はあまり好みませんが、artリマスタリングと比べてみると明らかに音に芯があり、エネルギー感が残っています。どちらを取るかは趣味の問題と言えるでしょう。
なお、クレンペラー指揮の交響曲第9番については、TESTAMENTからライブ盤が出ています。1968年のウィーン芸術週間に客演したクレンペラーはウィーンフィルを6晩にわたって指揮し、伝説的な演奏を行いました。マーラーの交響曲第9番も幸運なことにステレオで収録されており、クレンペラー最晩年の解釈を聴くことができる重要な録音となっています。しかし、私たちはウィーン芸術週間客演のわずか1年前に収録された上記ニューフィルハーモニア管盤を手にできるのです。ライブ盤至上主義か、ウィーンフィル至上主義の方でもなければ私としてはニューフィルハーモニア管とのスタジオ録音を強く押します。
さて、もう一つ例を挙げておきます。ジュリーニ指揮シカゴ響盤です。
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