An die Musik 開設9周年記念 「大作曲家の交響曲第9番を聴く」
ショスタコーヴィチ篇
圧制とショスタコーヴィチの交響曲第9番−チェコでの録音を中心に−
文:松本武巳さん
ショスタコーヴィチとソ連の首脳部との確執その他は、ことの真偽はともかく彼の没後も絶え間なく話題の俎上に乗り続けていますが、ここでは、ソ連の周辺国家であるチェコの音源を中心に、この交響曲の感想を記してみたいと思います。ショスタコーヴィチがどんな人物であるか、あったかにかかわらず、周辺国家からショスタコーヴィチの音楽を捉えたとき、ショスタコーヴィチもまたソ連内部の現役の作曲家だったのですね。そんな複雑な絡み合いを求めて、この交響曲の側面的な部分に光を当ててみることにしたいと思います。
ショスタコーヴィチ
交響曲第9番 変ホ長調 作品70
カレル・アンチェル指揮
チェコフィルハーモニー管弦楽団
録音:1966年ライヴ
Praga(輸入盤 PR254 002/03)正直なところ、この演奏はかなり集中力を欠いたものだと言い切れます。チェコフィルの弦が美しく鳴り響けば響くほどに、余計に演奏自体の集中力の無さが目立ってきます。1968年のプラハの春事件直前の、チェコとプラハを言い表しているとも言えるこのディスクは、何か当時の東側からのメッセージを、我々聴き手が読み取るように要求されているようにも思われます。その意味では悲痛なほど静穏かつ空虚な音楽となっています。あまり何度も聴き返そうと思わない音源の、そんな代表格の1枚でもあります。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコフィルハーモニー管弦楽団
録音:1974年
Supraphon(国内盤 COCO-9077)今度はプラハの春事件後の録音です。こちらは、とても品格を感じさせる演奏ですし、指揮者のスコアを見つめる目も確かだと思います。しかし、あくまでもスコアをスコアどおりに演奏したもので、このディスクからは、それを超えた何らの自己主張も聞こえてはきません。あらゆる意味で弦だけに留まらず、総合的な音色の美しさだけが感じ取れます。しかし、一方で8年前にアンチェルと録音をした、同じオーケストラであるとは信じがたいのも事実です。
ズデニェク・コシュラー指揮
チェコフィルハーモニー管弦楽団
録音:1981年3月13日ライヴ
Praga(輸入盤 PR250085)こちらは、オーケストラが随所で崩壊しています。指揮者の意思も明確に伝わっていないのが読み取れてしまいます。したがって、音楽にまったく勢いがありません。とても中途半端な演奏に終始してしまっています。非常に残念なディスクです。
マキシム・ショスタコーヴィチ指揮
プラハ交響楽団
録音:1999年11月30日、12月1日ライヴ
Supraphon(輸入盤 SU3890-2)ショスタコーヴィチの息子の指揮ですが、残念ながらバトンコントロールがきちんと出来ておりません。オーケストラが崩壊寸前になったり、止まりそうになったりしており、非常に危ない指揮振りです。しかし、終楽章の目覚しいほどの勢いに、最後は結構救われます。そのためか聴いた直後の感覚は、決して悪くありません。多少酷い言い方をすれば、言いくるめられたような感じに近いと思います。
ジェイムス・デプリースト指揮
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団
録音:1993年
Ondine(輸入盤 ODE846-2)この交響曲で私の最も好きな音源です。チェコと同様、ソ連の圧制に苦しんできた国家のひとつであるフィンランドのオケと、身体に障害を持つ指揮者との相性が、ものの見事にマッチしたのではないでしょうか。本当に見事な演奏であり、かつ格調も非常に高く、心から楽曲を堪能できます。今年度で東京都交響楽団を去るデプリーストですが、日本での不人気とは異なり、彼が実力派の指揮者であることを実感できるディスクの代表格だと思います。本当にこのディスクはお奨めです。
(2007年12月15日、An die MusikクラシックCD試聴記)