ARCHIVE OF WHAT'S NEW?
2006年7月アーカイブのインデックス ホームページ WHAT'S NEW
2006年7月22日:陰々滅々たる雰囲気? 「コンセルトヘボウ管のページ」に「ブラームスの交響曲第4番」を追加しました。文は青木さんです。青木さん、原稿ありがとうございました。
2006年7月18日:宝は自分のCD棚の中にある
漫画「のだめカンタービレ 第15巻」(二ノ宮知子、講談社)に主人公の「のだめ」がリサイタルで、リストの「波を渡るパオラの聖フランシス」を弾くシーンがあります。・・・と書いてあるのを読んで、その曲を皆さんはすぐ思い出せますか? 私は皆目見当が付きませんでした。多分一度か二度くらいは聞いたことがあるのかもしれないな、と思いながら自分のCD棚を探してみました。この曲が入っているCDは直ちに見つかりました。
リスト
ピアノソナタ ロ短調
伝説
〜小鳥に語るアッシジの聖フランシス
〜波を渡るパオラの聖フランシス
悲しみのゴンドラ 第1番、第2番
ピアノ:ブレンデル
録音:1981年?
PHILIPS(輸入盤 410 040-2)
漫画では主人公が教会の中でいきなりfで轟音を立てながら演奏するので、猛烈な曲であるような印象を受けるのですが、全然違いますね。静謐さの中に徐々に気持ちが高まっていく曲で、実にすばらしい。私はこのブレンデルの演奏を夜な夜な聴くに至っています(楽曲についての詳しい解説はこちらをご覧下さい)。
しかし、このCDを私はおそらく21年か22年ぶりに聴いたのであります。私はリストの音楽、とりわけピアノ曲を非常に苦手としていました。このCDも学生の頃必ず何度か通して聴いたはずですが、ロ短調ソナタの印象しか記憶には残っておらず、よもやこれほど感動的な曲がその後に続いていたとは思ってもいませんでした。このCDを捨てたり、売り飛ばしていなくて良かったと思います。
私がクラシック音楽を聴いてきた時間は膨大で、名曲はかなり聴き知っていると思い込んでいましたが、どうもそうではないらしいですね。それに、20数年もこうした曲に見向きもしないでいたのは実にもったいないことです。私もクラシックヲタクの例に漏れず、部屋の中にCDが溢れかえっているのにさらにCDを買い続けるタイプですが、本当の宝物は既にラックの中にあるのかもしれません。時々何年も聴いていなかったCDを引っ張り出してくるのは価値があることだと思います。皆さんのところにもすごい宝物が隠れているかもしれませんよ。
2006年7月17日:コンサートで何を聞いている? 15日(土)に東京クワルテットのコンサートを聴いてきました。場所は東京国立(くにたち)、一橋大学にある兼松講堂です。「何でまた東京クワルテットが国立まで?」と思いつつも、OB会会報誌で先頃改修工事が終わったと記載されていたこともあって興味津々、久しぶりに母校に行ってきました。私の記憶ではこの講堂にはエアコンがなかったはずなのですが、改修工事の一環でエアコンが取り付けられていました。夏は意識朦朧となるような暑さ、冬は体の芯まで冷え込む寒さだったのです。学生の頃、しかも真冬にここで大学オケによるマーラーの交響曲第9番を聴いたことがあります。主催者が聴衆にホカロンを用意してくれていて、それで何とか手足を温めて我慢して聴いたものです。演奏していたオーケストラの団員は手がかじかんでいたはずですが、よく最後まで演奏できましたねえ。
それはともかく、東京クワルテットです。第2バイオリンの池田菊衛さんがかつて一橋大学管弦楽団にエキストラで演奏していたことがきっかけて今回のコンサートができたそうな。ひえーっ。そんな助っ人が入っていたなんて!
プログラムは以下のとおりです。
- モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番 ハ長調 K.465「不協和音」
- 武満徹:「ア・ウェイ・ア・ローン」
- ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96「アメリカ」
武満の後にインターミッションがあり、その後にドヴォルザークが演奏されました。「アメリカ」がすぐ演奏されるのかと思いきや、何と団員から15分程度のお話がありました。代表して誰かがしゃべるのではなく、4人がそれぞれ心に思うよしなしごとをしゃべるといったふうでした。会場もそう大きくはありませんし、何となくサロンコンサートの雰囲気になってきます。しかも、私は席が最前列だったので、臨場感抜群! 4人のトークを聞いた後ではさらに親しみを感じてしまい、インターミッションの前と後でまるで違った団体の演奏を聴いているような気になってしまいました。もちろん、ドヴォルザークの演奏が特に血の通った演奏に聞こえたわけです。東京クワルテットというと、非常にシャープな演奏をする超人的な団体というイメージが強かったのですが、すっかりそのイメージが払拭されました。
コンサートには、演奏家の演奏を聴きに行っていることになりますが、必ずしもそれだけではないのでしょうね。実際には聴衆の雰囲気、ステージの動き、会場全体のイメージなどが複雑に絡み合ってコンサートができています。演奏するのは機会ではなく、生身の人間です。演奏しているときの顔も見えます。今回のようにしゃべり始めることもあります。そういうことを考えると、必ずしも音楽だけを聴きに行っているわけではなく、コンサートを楽しみに行っているのだと考えた方が良さそうです。
もっとも、彼らがしゃべったのは主催者側からの要請があったためです。演奏家としての東京クワルテットは、ステージ上でしゃべることをどう評価しているのでしょうか? 本当に嫌ならやらなかったと思いますが・・・・。
2006年7月2日:ラック オーディオ・ラックを新調しました。クワドラスパイヤ社のQ4D(Q4DB/RN)です。その後、アンプの足下にはAcoustic Revive社の「天然クォーツインシュレーター」を置きました。
ラックは2つのスピーカーの中央に置いています。今の家に引っ越す直前から使っていた自作のラックにはとても愛着があったのですが、なにぶん不器用な私が作っただけに、仕上がりが悪く、人に言えない欠点がひとつあり、それを解決するために新調したのです。オーディオに詳しい方からはラックも立派な機材であるからと、それこそ40万円近くするラックを勧められたこともあったのですが、さすがに庶民ではボーナスが出た直後であってもそこまでは手が出ません。いつもお世話になっているプロジックの石黒社長に予算を言って相談したところ、クワドラスパイヤの製品を勧められました。
で、先頃ラックを交換したわけですが・・・。全く予期もしなかったのですが、何と、大きく音が変わるんですね。ラックなんてアンプやCDプレーヤーを置いているだけのものだと私は思っていました。それが交換したとたんにステレオ感が向上し、すっきりした音になりました。ちょっと意外な気持ちで手元にあったCDをいくつか聴いてみましたが、どれも急に音が良くなっています。変わったのはラックだけなので、原因はそれしかありません(インシュレーターはその後に追加)。
どうやらポイントは、ラックの構造にあるようです。自作のラックは、横板がありましたが、クワドラスパイヤ社のラックには横板がなく、4本の支柱によって天板と底板がつなげられています。横板がなくなったのと、ラックの高さが低くなり、全体的にこぢんまりとしてきたことが大きいのではないかと思います。
とすると、このラックをスピーカーの間に置くのではなく、どこか別の場所に置けば、さらにすっきりするのでは?と思いましたが、これはもう置き場所を確保できずアウト。スペースを確保できたところで、今度はケーブルを長くしなければならず、その効果についてはちょっと疑問符であります。
それにしても、ラックひとつでこれだけ変わるというのはオーディオの恐ろしい点であります。音を出さないラックですらこれですものねえ。いろいろやってみたくなるのが人情ですが、庶民としてはこの程度の買い物が関の山です。家計が悪魔的趣味の抑止力になっているわけですが、これはありがたいことなのかもしれません。
(An die MusikクラシックCD試聴記)