ARCHIVE OF WHAT'S NEW?
2012年
〜2013年3月

(ブログ掲載文を転載しました)

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CD2013年3月6日:An die Musik 2013年4月末、サイト閉鎖のお知らせ

 An die Musik主催者の伊東です。An die Musikを、4月末日をもちまして閉鎖することといたしました。当サイトは家庭の事情等による休止と、細々とした再開を繰り返してきましたが、今後も継続的に更新をすることができないと判断しました。邪魔になるものでもないので放置しておくのもひとつの手ではありますが、自分に対し踏ん切りをつけるためにも、ここはきっぱりとサイトを閉鎖することにしました。何卒ご容赦ください。

 サイトは4月末日まで閲覧することはできます。しかし、その後は消滅いたします。

  今まで多くの方々に支えられてサイトを運営して参りました。原稿を送ってくださった方々、陰に陽に支援してくださった方、そして応援してくれた家族に対し、心から御礼を申しあげます。 長い間ご愛顧ありがとうございました。

 

CD2012年11月5日:アンプのスイッチを入れる

 一昨日、久々にオーディオルームに入った。そして、アンプのスイッチを入れた。それ以前にアンプの電源を入れたのは、半年以上前のことである。ここしばらくオーディオどころではなかったのだ。私自身、つい先頃までオーディオルームをオーディオのために再度使う日が来るとは思っていなかった。

 聴いたのはベートーヴェンの「悲愴」である。ピアノソナタ第8番ハ短調作品13。長女がこの曲を弾いてみたいというのがきっかけである。この曲といっても長女の場合は第2楽章だけだが。

 それはともかく、私はふとオーディオルームを思い出して、入ってみた。「悲愴」のCDはたくさんある。適当に引っ張り出してみた。聴くなら全曲だ。アシュケナージ、ゼルキン、ギレリスと立て続けに聴いて、ポリーニで止まった。他の演奏に行く気にならない。ポリーニの演奏は、何と形容すればよいのか分からない。あえていえば神々しいのである。そこにベートーヴェンの音楽そのものが屹立しているように感じられてくる。

 この演奏が録音されたのは2003年である。CDジャケットに見るポリーニの風貌はおじいちゃんそのものだ。技術的にもポリーニの最盛期はとうの昔に過ぎている。それでも、ポリーニの演奏がもつ神々しさは格別だ。輝くようなピアノの音、あたりを揺るがす重い和音の響き。明快としかいいようのない音楽の流れ。これは音のみによるベートーヴェンの世界だ。かつて私はベートーヴェン演奏には精神性らしきものが必要だと思っていたし、演奏には「ベートーヴェンの息吹がほしい」などといった実にいい加減な言辞を弄したことがあった。今にして思えば、そのようなものは何かの幻想であり、意味不明である。

 大の大人がオーディオルームに閉じこもり、機械の前でちんまりと座り込んでCDを聴くという姿は美しくない。健康そうな感じが全くしない。聴いている本人には至高の音楽でも周りでは騒音にしかならない。だから周囲の共感を得られることはまずない。オーディオというのは座して聴くのみという意味では完璧に受け身の趣味であり、音楽に集中しようとすればするほど外界から遮断される孤独が待っている。さらに、多くの時間を費やす。わずかな音響改善のためにかかる経費も半端ではない。ほとんど良いところがない。それ故、あまり人に勧められる趣味とは言えない。

 それでも、時折ではあるが圧倒的な感銘を受けることがあるのだ。私はここ半年以上、オーディオルームに入る余裕がなく、卓上のミニスピーカーやiPod、ウォークマンを使いながらクラシック音楽を聴いていた。しかし、本格的にCDに対峙すると、そんなものからは聞こえてくることは決してない世界が目の前に現れるのだ。周囲の共感を得るのは難しく、やや悲しく孤独な趣味だ。が、いいではないか。聴くのは自分である。そして音楽家の目指した演奏に少しでも近づくことができるのだ。オーディオをもう少し続けてみたくなった。許せ、家族よ。

 

CD2012年3月23日:行進曲にもの思う

 昨日は長女の小学校の卒業式がありました。あっという間の6年間だった、と言いたいところですが、私にとってはとても長い6年間でした。本当に長かった。長女が卒業すると、来月は次女が同じ小学校に入ります。また6年間がやってくるのです。今度はあっという間に過ぎ去るのかどうか・・・。

 式は2時間半ほどかかりました。これも十分に長いですね。小学生はよく頑張りました。私は何をしていたかというと、式に使われる曲をひたすら聴き込んでいたのであります。そんな親は私だけだったと思いますが、まあ、許してくださいね。

 入場には、ワーグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、退場にはエルガーの行進曲「威風堂々」第1番。その間、バッハのブランデンブルク協奏曲第4番第1楽章や、ハイドンの弦楽四重奏曲第77番「皇帝」第2楽章、ヘンデルの「水上の音楽」等が使われていました。当事者たちにとってはただのBGMですけれどもね。

  なぜこんなことを書いているかというと、私がクラシック音楽にわずかながらでも関心を持ち始めたのは、中学校の朝礼で体育館に入場するときの音楽、要するにBGMが切っ掛けであったためです。おぼろげな記憶を辿ってみると、私の通った中学校では毎月1度体育館に集まって気の遠くなるほど長い朝礼を行っていました。その入場に際しては、これははっきり覚えていますが、校舎と体育館にとどろき渡るようなかなりの大音量で、行進曲が流されていました。オーケストラによる演奏に加え、壮麗な合唱まで入っているのが印象的でした。

 中学校1年の、まだ何も知らない私は、その曲が気になってたまりませんでした。そのうちに何という曲であるのか知りたくなったのです。思い起こせば、それがクラシック音楽との最初の出会いです。クラシック音楽がBGMではなく、意識的に聴き込むべきものになった瞬間でした。

 ただ、少年の疑問はなかなか氷解しませんでした。それがワーグナーの歌劇「タンホイザー」の大行進曲「歌の殿堂をたたえよう」だと分かったのは、それからずっとずっと先で、大学に入ってからでした。

 朝礼の入場行進に使われていた曲に関心を持ったのが私のクラシック音楽との出会いでしたが、おそらく、最初の何度かの入場では関心を持つどころではなく、入場するだけだったでしょう。入場するという行為を当事者として行わなければなりませんからね。曲を認識し始めたのは数回の入場の後だったはずです。

 昨日卒業式に出席していた小学生たちはどうだったでしょうか? どの曲かに関心を持ったでしょうか? 50歳になるクラシックヲタクのおじさんは入場の曲が「マイスタージンガー」だと最初の音で分かったのですが、あなた方小学校6年生にはまだ難しいでしょう。でも、あなた方のうち、何人かは「あの曲は何々だ」とそのうちに分かるようになります。豊穣なクラシック音楽の世界がこれから待ってくれているわけです。そう思うと、私は羨ましくもあり、私の子供のの頃を思い出して懐かしくもなるのであります。

 

CD2012年3月21日:ハイドン

 サイトを休止している間も、幸いなことにCDを聴く時間はありました。聴いていたのは、バッハ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ショパン、ドビュッシーといったところです。1年2ヶ月の間、聴いていたのはほとんどこの作曲家だけです。An die Musikを始めた1998年頃、私が最も好んで聴いていたのは、ブルックナーであり、マーラーであり、R.シュトラウスでした。これにワーグナーが加わるとおおよそ日々のリスニング・メニューが決まったのものでした。

 しかるに、ここしばらく、ブルックナーもマーラーも、R.シュトラウスも全く身体が受け付けません。試しにマーラーを聴こうとしてスピーカーの前に座っても、5分と聴いていられません。ちょっと前までは毎日であっても喜んで聴いていたのに。今はどの曲のどの楽章を聴いてもだめです。ブルックナー、R.シュトラウス、ワーグナーは聴こうという気すら起きてきません。大好物でも、身体が受け付けないのではどうしようもありません。

 拒絶反応の理由を私は考えました。私の加齢によって体力が落ち、長大な曲が聴けなくなってきたのだとずっと思い込んでいたのですが、必ずしもそのためだけではないようなのです。だって、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」や「フーガの技法」のような曲が聴けるのですから。拒絶反応の理由が加齢による体力低下ではなく、楽曲の長大さにあるのでもなく、どうやら自分自身の精神的な健康状態にあるのではないかと理解できたのは半年前のことです。様々な不安材料を抱えているため、自分でも気がつかないうちに精神的に不健康になっていたのかもしれません。そのため、健康な精神状態でなければ聴き通せないようなマーラーの交響曲を少なくとも今時点では身体が拒否しているのでしょう。もっとも、昨今の日本では気が滅入ることが多いのは私だけではないでしょうから、私の気のせいだったら良いのですが。

 もうひとつの理由は、最初の理由に関連しますが、激しい音響に心が動かされなくなったことがあります。に、小編成の曲に大きな魅力を感じるようになってきたのです。代表例がハイドンです。

 1年2ヶ月の間に最も多く聴いたのは間違いなくハイドンでした。かつて計画していた「ハイドン・マラソン」は交響曲第5番まで書いたところで中断してしまいましたが、CDはドラティ盤もアダム・フィッシャー盤も全部聴き終えました。いずれも33枚組ですから、これだけでも66枚。それ以外にも、82番以降の傑作交響曲群、いわゆる「パリ・セット」「ザロモン(ロンドン)・セット」は何種類も、それも繰り返し聴くことができました。そうして、ハイドンがすっかり好きになり、明けても暮れてもハイドンという状態が一頃到来しました。文字通り、夢中になりました。

 ハイドンの交響曲は、仮に最晩年の傑作群に接しなくても、初期の比較的小編成の楽曲を聴いても格別の魅力があります。いったんハイドンの語法が分かってくると、壮快で疾走するような旋律やリズム、構成の妙、ユーモアなどに取り憑かれ、たまらなく好きになってしまいます。音響が、というより、この良識ある作曲家の機知を味わうのが楽しみになるのであります。・・・などという人はクラシック音楽ファンの中にどれだけいるのか分かりません。古楽器演奏によって復活の兆しはあるのでしょうが、ハイドンは音楽ファンの間では他の作曲家の間に埋没してしまったような感があります。

 実演でも、例えば、あくまでも例えばの話ですが、ブルックナーの交響曲の前にハイドンが演奏されると、ハイドンの音楽の「意外な」良さに驚くことはあるかもしれませんが、それはそれ。ひとときの印象で終わってしまいます。コンサートの印象を決めるのはメイン・プログラムであるブルックナーであることはほぼ間違いありません。結局、今のクラシック音楽の世界でハイドンというのは前座的曲目になっているのですね。しかし、これは致し方ないのです。コンサートホールでの訴求力が段違いだからです。これまた表現が極端であり、かつ誤解を招きかねないことを重々承知の上で書きますと、このコンサートの例で言えば、ブルックナーはへビ・メタ・バンドで、ハイドンはフォーク・ギターを持って現れるデュオ・グループであるわけです。フォーク・バンドの持ち時間は20分。デュオ・グループの歌を聴いている間はその味わいに感心している聴衆も、いざヘビ・メタが始まればその圧倒的な音量と刺激に引きつけられるわけです。いや、それが悪いとか良いとかの問題ではありません。私だってその場にいたらヘビ・メタに引きつけられるに決まっています。

 ただ、私のようにヘビ・メタを聴き続けられなくなると、フォーク・ギターのデュオが奏でる音楽で十分に満足できてしまい、さらに、ヘビ・メタでは得られなかった心地良さに浸ることができるわけです。私は今その状態にいるのですね、きっと。ということは、またヘビ・メタが恋しくなることもあり得るわけです。そういう日がいつ来るか分かりません。わざわざ自分で選択肢を狭める必要はありませんから、そういう日が早く訪れることを願った方が良いかもしれません。私はただのリスナーなのですから、聴きたくなったら勝手に好きな音楽を聴けばよいのです。ですからハイドンだけを今後ずっと聴き続けるなどというようなことはありえませんが、1年2ヶ月のサイト休止期間中、ハイドンを集中的に聴いたお陰で、ハイドンの魅力を堪能できたのはの望外の喜びでした。

 さて、フィッシャーとドラティのハイドン交響曲全集のうち、どちらがどのように良かったのか。フィッシャーはドラティ以後のハイドン演奏の成果・歴史・研究を踏まえて録音に臨みました。しかも、やる気と実力を併せ持つ演奏者たちに加え、立派な演奏会場にまで恵まれていたわけで、全曲とも面白く、非常に優れた全集だと断言できます。一方、ドラティは全集録音の先駆者であり、ドラティはドラティなりに最善を尽くした演奏を残しました。フィッシャーもドラティもハイドンの魅力をきちんと伝えていると思います。リスナーはとかく期待が膨らみがちで、期待値を高くしすぎる嫌いがありますが、私はいずれも良しとしたいです。

 1曲ずつのコメントを書き、楽曲を1曲毎に完全に自分の中で理解し、消化しながら全曲を聴き進めるのが「ハイドン・マラソン」の当初の目的でした。が、いいじゃないですか。そのような分析的な聴き方をしなくてもハイドンは十分に理解できますし、楽しめます。33枚×2=66枚のCDのどれを取ってもハイドンを楽しめるのです。しかも、その全集が今や廉価で販売されているのです。堅いことを言わずに楽しむが勝ちです・・・と、自分に都合良く解釈しています。

 

CD2012年3月19日:再開

 当サイトは、家庭の事情等のために2011年1月末をもって更新休止としておりました。最大の理由であった妻の病気も少し改善してきたので、様子を見ながら更新を再開します。

 休止していたのは1年2ヶ月ほどです。この間は日本人全員にとって激動の時期でもありました。

 私の郷里は福島県福島市であります。昨年の地震と福島第一原発問題で我が郷里は世界的な注目を浴びてしまいました。私は埼玉県さいたま市に住んでいるので、これといった被害もありませんでした。しかし、郷里の親戚や友人たちは一時生活の場を失いかけました。昨年の今頃は、我が家に親戚8人と犬2匹が避難してしばらくの間共同生活をしていました。あれから1年が経過したものの、何かが劇的に改善したわけではなく、郷里の人間はいろいろな不安を抱えながら生活を続けています。さいたまにいる私は、郷里で頑張る親兄弟、新天地に移った親戚に恥じない毎日を送らなければという思いに駆られます。

 一方、妻の病気は劇的に回復をしたわけではありません。妻は胸郭出口症候群という奇妙な病気にかかったため、一時は手が痺れてほとんど使えなくなっていました。この病気は薬や手術で治すわけではなく、適当な運動をしたりして治すらしいのですが、1年以上経った今も時々手が痺れるようなのです。しかも、妻はたまに顔まで痺れると言います。手から腕、首、顔まで痺れると妻から言われると本当にどきっとします。何かが脳に達してそのまま死んでしまうのではないかと不安になります。ところが、脳の方には問題ない模様で、この奇妙な病気にすっかり慣れっこになった妻は「痺れる痺れる」と言いつつ健気にも毎日ピアノの練習をしています。一頃は全く何もできなかったのですから、ショパンの「マズルカ」やドビュッシーの「ベルガマスク組曲」を弾けるというのは大変な改善と呼ぶべきなのでしょう。が、そういう矢先に痺れが来てピアノどころではなくなるので、それを見ている私はただひたすら無力感に襲われます。

 とはいえ、いろいろなことが最悪期を脱したと私は考えています。このサイトも放置しておりましたが、閉鎖ということだけは過去一度も考えませんでした。放置はしていても、サーバの利用代金は毎月支払っていますし、ドメインの更新もしっかり済ませています。いつ、どんなふうに再開すべきかということだけが課題として残っていました。ずっと思案しているだけなのは時間の浪費なので、思い立ったが吉日とし、今日から折に触れて更新をすることにしました。

 「An die Musik クラシックCD試聴記」というタイトルは変えません。クラシック音楽もしくは、クラシック音楽のCDについて私の思うことをつらつらと書き連ねていく予定です。といいつつもしばらくは様子見で日記だけになるかもしれませんが、何卒ご容赦ください。

 なお、この「What's New?」を実験的にブログ形式で始めました。ツイッターやフェイスブック全盛の今、ブログ形式など珍しくもありません。が、ブログ形式でうまく運用できるかどうか定かではありません。もしブログ形式でうまくいかなければ、以前の「What's New?」のように、時代錯誤的なHTML形式のファイルを作るつもりです。自分中心で申し訳ありませんが、自分が納得できる方法で運用しなければ、続けられないだろうと思います。これも何卒ご容赦ください。


 

(An die MusikクラシックCD試聴記)