バルビローリの演奏に浸る
BARBIROLLI at the OPERA
バルビローリ指揮ハレ管
録音:1946年〜1955年
DUTTON(輸入盤 CDSJB 1004)収録曲
- R.シュトラウス:歌劇「ダナエの愛」交響的断章(録音:1955年)
- ウエーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲(録音:1951年)
- ヴェルディ:歌劇「椿姫」第1幕への序曲、第2幕への序曲(録音:1954年)
- モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲(録音:1949年)
- ウエーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲(録音:1946年)
- ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲(録音:1946年)
- R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」組曲(録音:1946年)
私は情緒纏綿型演奏が大好きである。私は音楽評論家などではないし、ただの音楽ファンなので、どんなに音楽学的に正しくても情緒の不足する演奏は好きにはなれない。そもそも音楽は感情表現のひとつの手段だとまで考えているので、正確なだけの演奏や、無味乾燥な非人間的演奏にはほとんど興味がない。どんなにスコアに忠実だからといっても、有り難く拝聴して貴重な時間を浪費する気にはなれないのである。私にとって、音楽は楽しむべきものであり、学問として蘊蓄を語るものではないから、どんなに時代の趨勢に合わなかろうが、好きなものを聴いていればよいと開き直っている。できれば情緒纏綿の演奏に浸っていたい。
そんな私の思いこみを満足させるのがバルビローリだ。私はバルビローリを偏愛している。この人のCDを買って外れたことはほとんどなく、買う度に大きな感銘を受ける。というのも、私の経験からいって、この指揮者は私が好む情緒纏綿型演奏家の代表なのである。おそらくは私生活でも面白い人だったのではないかと勝手に憶測しているのだが、どうなのだろう。
このCDは、「BARBIROLLI at the OPERA」と題するバルビローリらしい1枚だ。バルビローリはオペラの経験が長く、イタリアオペラもドイツオペラも相当手掛けている。オペラの全曲録音が数種類しか作られなかったのは何とも残念なことだが、少なくとも序曲の類はこうして録音された。
どれも楽しい。「魔弾の射手」などオケのピットが燃え立つような雰囲気である。イタリアものが「椿姫」だけとは寂しい限りだが、序曲だけではとても満足できず、全曲を聴きたくなるような演奏ばかりなのである。
このCDの目玉は二つのR.シュトラウスである。解説によれば、「ダナエの愛」交響的断章も、「ばらの騎士」組曲も最初の録音だという。「ばらの騎士」組曲はどうもいろいろな版があるらしく、これは、ある版における最初の録音だという。また、「ダナエの愛」交響的断章はクレメンス・クラウスの編曲によるものだが、バルビローリはクラウスの楽譜が出版されるや、すぐに飛びついたという。楽譜はひっそりと出版されたらしいのに、バルビローリは見逃さなかったらしい。もっとも、私も「ダナエの愛」という歌劇はまだ全曲を聴いたことがないので(2000年1月末時点)、この演奏がどのようなものか正しく評価することはできない。が、録音された55年にはハレ管の水準もかなり向上しているのが分かる。録音環境に左右されるところが多いが、「ばらの騎士」組曲とは随分違う。
「ばらの騎士」組曲そのものはあの序曲、ワルツ、終幕の三重唱などを含めた名曲オンパレードである。原曲のオペラは世紀末の退廃的な気分が横溢し、しかも隠微なところまである。また、R.シュトラウスが腕によりをかけてオーケストレーションを施したために、音楽が極度に洗練されている。
しかし、バルビローリの演奏は、語弊があるかもしれないが、洗練されていない。少し野暮ったい気もする。バルビローリがそうした演奏を目指していなかった可能性もある。また、オケの技術がこの難曲に到達していないからかもしれない。多分録音のせいだろうが、アンサンブルはこの曲では特に荒っぽい気がする(特に「ワルツ」以降)。洗練された「ばらの騎士」を望むのであれば、とても推薦できない。また、退廃的でも、隠微でもない。私は貶しているのではない。念のために強調して書いておきたいが、それでも私はこれは面白い演奏だと思う。
この演奏を聴いていると、何だかアマチュアのオケが一所懸命に演奏している姿を思い出す。バルビローリの薫陶を受けて大躍進を続けていたプロのオケであるハレ管には失礼千万な表現だが、この演奏はアマチュアの良さをもっているのである。例えば、こんな感じである。
「指揮者も、オケも、自分たちがステージに載せる曲が大好きで、たくさん練習してきた。気合い十分で、全員が100%以上の力を出して演奏できた。演奏している自分たちも楽しかった。ちょっと下手なのは認めるけれど、会場の聴衆も大喜びだ。」
こんな演奏だったら、仮に洗練されていなくても私は文句はいわない。それどころか、聴いていて嬉しい。特に終幕の三重唱が出てくるあたりでは、バルビローリ節が全開で、旋律を思い切り歌わせ、まるで演歌になっている。洗練が売り物のR.シュトラウスの曲でも、こうしたアプローチが可能らしい。こんな演奏ばかりをバルビローリがいつも行っていたわけではないだろうが、このCDではどの曲に対してもバルビローリ&ハレ管は全力投球だ。演歌っぽくなるのはわずか一部分だが、そこに至るまでのひたむきさがすばらしい。
2000年2月3日、An die MusikクラシックCD試聴記