不思議な指揮者ハイティンク
レコ芸3月号「海外盤試聴記」に、ハイティンク指揮のマーラー交響曲ライブ集を絶賛している記事が載っていた。山崎浩太郎さんが書かれた文章で、面白そうだと思ってCDショップで探してみた。
マーラー
交響曲集(第6番、第8番、大地の歌を除く)
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1977年〜87年(すべてライブ)
PHILIPS(輸入盤 464-321-2)これはDutch MastersシリーズのVolume 50に当たる。9枚組CDで値段は6,900円だった。「これほどのお買い得CDはない」と思ってさっそく買った。ご存知の方が多いと思うが、Dutch Mastersシリーズは、優れた企画だ。PHILIPSのかつての名録音がまとめて販売されているが、その演奏ははずれがない。そんな評判がどこからともなく伝わってくるのか、Dutch MastersシリーズのCDは、さっさと買わないと入手できなくなる。このハイティンクのマーラー選集も危ないのではないか。
実は、私はまだこのマーラー選集を全部聴き通していないので、この内容についてコメントするのは今回は差し控える。ではなぜ、このCDのことを持ち出したかというと、理由があるのだ。それは「海外盤試聴記」における山崎さんの最後の言葉にある。曰く、「こういうライブ録音を聴くたびに思う。スタジオ録音って、いったいなんなのだ?」。
難しい問題だ。この選集の中で、山崎さんは第3番の出来映えを絶賛している。私も聴いてみたが、ハイティンクらしからぬ豪快な指揮をしているところがあり、私は「ハイティンクって、こんな演奏ができた人だったのか」と驚くことしきりであった。収録曲を全部聴き通せば大変な発見をする可能性すらある。しかし、その第3番であるが、ハイティンクには極めて優れたスタジオ録音があるのだ。
マーラー
交響曲第3番
ハイティンク指揮ベルリンフィル、ほか
録音:1990年
PHILIPS(輸入盤 432 162-2)これはとてつもない演奏である。ちょっと大げさな表現をすれば、このCDで、我々はオーケストラ演奏の極限を知ることができるのではないか。ライブに比べると、録音時の諸条件が格段に恵まれていることを十分考慮に入れてもすごい。すごすぎる。テープの継ぎ接ぎもあっただろう。しかし、そうであったとしても、ここまでの精緻な演奏はなかなかできるものではない。ベルリンフィルの技術水準はまさに超絶的で、どのように楽器が重なったとしても濁ることはないし、頻出するソロの妙技は言語を絶する。特筆すべきはティンパニーで、聴いていると腹にずーんと重量感が浸透してくるすさまじさ。
オケの超絶技巧は、PHILIPSのホールトーンを活かした優秀録音で完全に捉えられている。CDプレーヤーのスイッチを押すと、冒頭のホルンが部屋中に朗々と鳴り渡る。弱音の部分になってもベルリンフィルの音は大変クリアに、そして自然に聞こえてくる。PHILIPSには名録音が多いが、これは老舗レーベルが総力を挙げて取り組んだような趣がある。
このCDは、ベルリンフィルの極限の技術と、PHILIPSによる最高級の録音を聴くだけでも元が取れるすばらしいCDだ。ハイティンクはどちらかといえば面白みがない指揮者で、スタジオ録音盤で燃えている例はあまりないと思う。このマーラーでも丁寧な指揮ぶりではあるが、それ以上ではない部分も多い。しかし、それでもオケの技術、録音の技術が傑出しているために何の不満も感じない。マーラーの3番は呆れるほど長大で、このハイティンク盤では1時間43分もかけて演奏されているが、オケの信じがたいほど高度な演奏を聴いていると、その長さが嬉しくなる。聴くことの喜び、音楽にただひたすら身を委ねることの喜びを感じずにはおれない。
しかも、ハイティンクは終楽章(第6楽章)において、感動の演奏を行っている。そこでは珍しくも独自色を出したハイティンクは、音量を徹底的に抑え、静謐の中で音楽をゆっくり奏でている。その成り行きは、天上の音楽を聴いているのではないかと錯覚させるほどだ。
ハイティンクは、本当に不思議な指揮者だ。オケをあまり縛らないのかもしれない。オケの機能を最大限に発揮させるのに長けている。没個性的な演奏が多いにもかかわらず、仕上がりのレベルは群を抜いていることがある。この人こそ、職人と言えるのではないか?
話は戻るが、このCDを聴いて、私はやはりすばらしいと思った。ライブ盤の出来もかなり良い。しかし、スタジオ録音にはスタジオ録音の良さがあるわけで、この録音の価値がいささかも減少することはないのではないだろうか。それどころか、私はこの名演奏・名録音はもっと評価されても良いのではないかと考えている。
なお、このスタジオ録音盤、どういうわけか、中古でよく見かける。とびっきりの幸福に浸れるというのに、売り飛ばす人が後を絶たないのだろう。もったいないことだ。
2000年3月27日、An die MusikクラシックCD試聴記