クライバーの痛快な演奏

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CDジャケット

ドヴォルザーク
序曲「謝肉祭」作品92(録音:1948年)
エリッヒ・クライバー指揮ロンドンフィル
スケルツォ・カプリチオーソ作品66(録音:1930年)
エリッヒ・クライバー指揮ベルリンフィル
スメタナ:交響詩「モルダウ」(録音:1928年)
ドヴォルザーク:
交響曲第9番ホ短調作品95「新世界から」(録音:1929年)
スラブ舞曲第1番作品46(録音:1927年)
エリッヒ・クライバー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団
NAXOS(輸入盤 8.110907)

 NAXOSの廉価盤。確か780円だった。NAXOSは当初の非・名盤主義をかなぐり捨て、ワルター、トスカニーニなど、往年の大指揮者による演奏を大々的にリリースしている。それらは戦前戦後の古い録音ばかりだから、音質こそ最新録音とは比べるべくもないのだが、演奏はとびきりのものが多いようだ。

 この父クライバーによる録音もそうだ。収録された曲は全てスタジオ録音で、当時としては最高の録音技術が使われているのだろう、ノイズはたくさん入っているが、今聴いても艶やかな木管楽器の音が聴かれる。CDにリマスターする際の復刻技術も相当なレベルにあるようだ。廉価盤だからと言って馬鹿にはできない。

 しかも、このCDに聴く父クライバーの棒はすさまじい。私はスメタナの「モルダウ」から聴き始めたのだが、何とも異様な雰囲気に呆然としてしまった。「モルダウ」はいかにもNHKの「名曲アルバム」に出てきそうなクラシックの中のポピュラー・ミュージックなのだが、クライバーはアクセル全開、曲のエンディングに向けてオケを煽り立てるように指揮している。全然ロマンティックでない。最後の部分では「これが<モルダウ>か」と呆気にとられるスピード感がある。現代ではこのようなスタジオ録音をする指揮者はまずいないだろう。

 この「モルダウ」だけでもかなりハチャメチャな指揮で、聴き手の度肝を抜いたクライバーだが、「新世界から」でも大爆発。クレンペラーの「新世界から」に匹敵する猛烈な爆演となっている。ちょっと聴いた感じではとても変な演奏で、テンポは大きく揺れ動くし、スコアの指定を無視した強弱の付け方など、まさに唯我独尊的演奏。「これが俺の演奏だ。このように演奏して何が悪いか」とでも言いたげな不敵な演奏である。しかし、そのスピード感は超一流。痛快無比の大熱演である。間延びしそうなテンポで始まる第一楽章では、オケがクライバーに急き立てられるようにしてウルトラ・ハイ・スピードでコーダを演奏している。その痛快なテンポ設定に、聴き手は痺れてしまう。もちろん全曲はあっという間に終わる。演奏時間が短いわけでもないのに、クライバーの強烈なテンポ設定によって、極端に短く感じられてしまう。私はクライバー親子のファンだが、父クライバーとて全てがいいわけではない。すこし疑問符のつくCDもあった。しかし、この演奏はオーラをまとった大指揮者の面目躍如の名演だと思う。

 指揮者もオケも、一体どうしてこれほどのハイ・テンションで指揮をできたのだろうか? 現代であれば、何度でも撮り直しをし、キズのない演奏が完成品として発売されるのだろうが、この時代においてはSP録音にかける情熱は半端ではなかったのだろう。おそらくスタジオで一発取りされた録音だろうが、クライバーのハイ・テンションがオケにも乗り移り、一気呵成に熱く燃え上がりながら演奏されたに違いない。録音されたのは1929年だから、何と70年も前のことだ。演奏が超一流の活きの良さなので録音の古さなどものの数ではない。こんな演奏を聴いて、なお音質に拘る必要は全くないと断言できる。これではデジタル録音による現代指揮者の録音など聴く気も失せてしまう。私はこのコメントを書く前に合計4回この「新世界から」を聴いたが、鑑賞上何ら不都合は感じなかった。それどころか、父クライバーの目もくらむような強烈な指揮振りに陶酔してしまった。ベルリン国立歌劇場管弦楽団の腕前も文句なし。これは超お買い得盤だ。

 

2000年6月19日、An die MusikクラシックCD試聴記