ハイティンクの深淵

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前編

CDジャケット

マーラー
交響曲第8番変ホ長調
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ほか
録音:1971年
PHILIPS(輸入盤 446 195-2

 以前、金子建志編「オーケストラの秘密」(立風書房)を読んでいたところ、ハイティンクのこの録音が登場してきた(p.236)。ハーピストの山口裕子さんの文章で、ハープ奏者が全員で演奏するのは「トータル1時間16分に及ぶこの大曲の、終わり10分間のみ」だが、「...合唱やオルガンがこんなに良ければ、待つのも楽しい」という。「はて?ハイティンクにそんな隠れた名盤があったのだろうか?そのうちに聴いてみたいものだ」と思ってCDショップに出かけたところ、ワゴンに積まれたこのCDが780円で売られていた。駄目でもともと、良ければ勿怪の幸いとばかりに買ってきた。

 聴いてみると、実に良い演奏だった。まずテンポ。ハイティンクのテンポ設定は急がず焦らず、遅くならず、とても心地いい。私の体内時計の動きにぴったり合わせているのではないかと思えるほどだ。ハイティンクはイメージ的には常に安全運転をしているような気がするが、私の体内時計の針の進み具合でも知っていたのだろうか?

 次に評価すべきは声楽陣だ。山口さんが述べておられるとおり、少年合唱を含めて合唱の出来がすばらしい。オランダの音楽界のことはよく分からないが、同地のトンクンストコールToonkunstkoorのほかに、De Stem des Volks、Collegium Musicum Amstelodamense、Children's Choir of St.willibrord's and St.Plus X Churchesが参加している(日本語で何と訳すか分かりません)。これに8人の独唱者が加わる。中でも男声陣が充実していて、「マリア崇拝の博士」のテノール=ウィリアム・コクラン、「法悦の教父」のバリトン=ヘルマン・プライ、「瞑想の教父」のバス=ハンス・ゾーティンそれぞれが深みのある歌を聴かせてくれる。

 そして、演奏の主力となるオケがまたすんばらしい!第1部では金管楽器のまろやかなサウンドに陶酔する。金属的にならないが迫力あるブラスを聴くだけでも一聴の価値がある録音だろう。第1部は声楽陣だけでなく、オケも全開なのだが、単なる熱狂に終わっていない。オケが乱痴気騒ぎに終始することなく、充実した響きを極めているせいだろう。第2部では弦楽器の精妙さと木管の艶やかさに感嘆する。

 第2部冒頭の13分ほどはこの大曲の聴き所でもあるが、ここでは、オケと合唱団の技量が最大限に発揮されていて、何度聴いても感心した。精緻極まりないオケの導入が終わると、とつとつと男声合唱が入ってくる(聖なる隠者たちの合唱と木霊)。その部分はまさにこの録音の白眉で、CDで聴いていると思わず耳を澄ます。もしコンサート会場で聴いたら鳥肌が立ってくるのではないかと思われるほどの出来だ。

 長大な第2部がずっと緩みなしとは言えないが、総じて良くまとまっていると思う。「神秘の合唱」が壮大に終結すると、「ああ、いい曲を聴いた」と感じる。私はこのCDに出会って以来、すっかりはまってしまった。女房と子供が眠り込んだ深夜、ひとりヘッドフォンでこの曲を聴いてから眠る日がしばらく続いた。71年の録音であるから、音の鮮度はやや下がっているようだが、ヘッドフォンで聴くと、オケや声楽陣のすばらしさを独り占めできる。そしてマーラーの美しい音楽を堪能し、私は幸せな気分で熟睡できたのである。誰だったか記憶が定かでないが、この大曲を「馬鹿馬鹿しくて聴いていられない」と述べた音楽評論家がいたが、こんな演奏を聴けば良さが分かるのではないか?

 ハイティンクは少なくともスタジオで激烈な演奏を行うタイプではなかった。いかにもぼんやり、ぱっとしない風貌だが、音楽もそのとおりだと私は思っていた。でもこのマーラーはどうなのだろう。一見無作為的演奏でありながら、曲の良さを再認識させるに十分だ。いくらオケや合唱団が優れていたとしても、凡庸な指揮者では、こうはいくまい。平凡さの中に非凡なものを隠し持っているのだろうか。ハイティンクが評価されるようになったのは80年代以降なのだが、71年当時でこんなレベルの演奏があったとは驚きである。大器晩成といわれ、最近の録音ばかりが脚光を浴びているが、これではもっと昔の録音が気になってくる。

 なお、このCD、国内盤は2,000円で出ているようだ。こんな名演を輸入盤とはいえ、780円で売っていいものだろうか?

 

中編

 

 ハイティンクは1961年からコンセルトヘボウ管の首席指揮者に就任している。彼は1929年生まれだから当時31才であった。といっても、最初は首席といっても次席だったらしい。61年から64年まではヨッフムと共同で首席指揮者だったのだが、ヨッフムが首席(こんな日本語あるかな)だった模様。しかし、その後は単独で首席指揮者となり、88年までその座にあったのである。

 61年当時、当局はこの若者をよほど高く買っていたのだろう。単なる成り行きだけでは世界最高オケの一角を占めるコンセルトヘボウ管の首席指揮者になどなれない。それまでにどんな経緯があったのだろうか。音楽之友社刊「指揮者のすべて」によると、ハイティンクはこんな経歴を持っている。

 55年にオランダ放送フィルの第2指揮者となり指揮デビュー。56年には急病のジュリーニの代役でコンセルトヘボウ管を指揮して成功を収め、翌年第1指揮者となる。58年にはベイヌムの推薦でロスフィルに客演。59年にはコンセルトヘボウ管とイギリス楽旅。

 この文章を読むと、ハイティンクは若くして卓越した指揮の才能を発揮、人気、実力を一手に集めてコンセルトヘボウ管の首席指揮者の地位を得たように見える。おそらく、指揮者としてデビューして以来、コンサートでは見事な演奏を聴かせ、聴衆を魅了していたのだろう。さらに、オケとも非常に良好な関係を構築していたのだと思われる。不思議なのは、それだけの指揮者だと思われるのに、彼の録音を聴くと、どうもぱっとしないのが多いことである。PHILIPSという世界的大レーベルの後押しがあったにもかかわらず、彼の若い頃の録音が名盤としてもてはやされたことは皆無に等しい。「試しに聴いてみよう」と思って買ったCDでも指揮者の顔が見えてこないものが多かった。「一体何を主張したいのか?」。それが分からない場合が多かった。

 しかし、ハイティンクは、少なくとも録音において激しい自己主張をするつもりなど更々なかったのではないだろうか。駄盤だと思っていた彼の録音を聴き直してみると、どれも指揮者の個性が希薄なのだが、だからといって、傾聴に値しないかといえば、そうでもないのだ。私は少なからず激烈な演奏を好むので、ハイティンクの演奏が没個性的、悪くいえばつまらなく思えたのだが、今冷静になって聴いてみると結構良かったりする。彼の録音を聴いていると、ハイティンクから、まるで「音楽は優れていれば優れているほど、指揮者の自己主張など必要としません。スコアの通りに演奏しますから、作曲家の書いた音楽をそのままお楽しみください」とでも言われているような気になる。本当である。そんな気持にさせてくれる例をひとつご紹介しよう。

CDジャケット

Dutch Masters
portret van Bernard Haitink Vol.11
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
PHILIPS(輸入盤 462 080-2)

Disc 1
バルトーク
管弦楽のための協奏曲 sz.116(録音:1960年)
舞踏組曲 sz.77(録音:1960年)
コダーイ
「ハーリ・ヤーノッシュ」作品15(録音:1969年)

Disc 2
バルトーク
バイオリン協奏曲第2番 sz.112(録音:1969年)
バイオリンと管弦楽のためのラプソディー sz.87(録音:1969年)
バイオリン演奏:シェリング
弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 sz.106(録音:1968年)

 この2枚組CDに収録されている録音は、いわゆる名盤案内に載っていないものばかりだ。私も、録音の存在すら知らなかったし、このCDが店頭の目立つところに並んでいなければ、ずっと気がつかないままであっただろう。録音年次は最も新しいもので1969年。古いものはハイティンクがコンセルトヘボウの首席指揮者になる前年のもの。彼のルーツを知るという意味では打ってつけのCDであろう。

 CD2枚、全部を聴き通すと、2時間半もかかるのだが、それぞれ良い演奏だった。時間があれば、何度でも聴きたい。そう思わせるCDである。彼は今も穏和で決して激烈な表現を好まないようだが、30才で録音したバルトークの「管弦楽のための協奏曲」や「舞踏組曲」においても先鋭な表現は見られない。しかし、音楽において語るべきところはきちんと語っている。また、類い希な力量を誇るオケが演奏していることもあり、充実した出来映えになっている(バルトークはコンセルトヘボウ管ほどのオケが演奏すると感動的に美しい!)。

 聴き物はDisc 1のコダーイ「ハーリ・ヤーノッシュ」とDisc 2の後半に収録されているバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」であろう。ハイティンクが大衆受けする手練手管を使わないで音楽を最善の姿で聴かせてくれていることが分かる。「ハーリ・ヤーノッシュ」では、各曲が丁寧に演奏されているし、短い曲の中にも大きな盛り上がりを作ったり、とても気持ちの良い演奏をしている。また、69年録音の「弦チェレ」は驚嘆に値する演奏だった。「弦チェレ」は、ハイティンクの風貌からは最も遠いところにある音楽だと思うが、美しさの限りだ。先鋭な表現こそ見られないが、恐いほど美しい。第3楽章、チェレスタがきらめき、背後で弦楽器がざわざわ動き出すあたりは目もくらむほどの美しさで、形容のしようもない。第2楽章におけるリズミックな表現も申し分なかった。終楽章が終わると、ブラヴォーを叫びたくなる。

 このCDに収録されている曲それぞれに、それ以上の録音を探すことは容易である。「オケコン」なら、ドラティ指揮コンセルトヘボウ管があるし、「舞踏組曲」ならスクロヴァチェフスキーの愉快な名演もある。「ハーリ・ヤーノッシュ」にはセル指揮クリーブランド管の録音、「弦チェレ」にはブーレーズ指揮BBC響の録音がそれぞれ挙げられるだろう。それらは指揮者の強い主張が如実に感じられる。が、繰り返し書くけれども、ハイティンクの録音からはハイティンクの顔が見えてくることはない。自己主張が希薄だからだ。でも、音楽をあるがままに聴かせてくれることに対して私は不満をまるで感じない。ハイティンクはコンセルトヘボウという超絶技能集団を手にし、オケの美質を余すことなく引き出している。そして、穏和に音楽を語りかけてくる。指揮者は別に激情的でも非人間的である必要もない。いい音楽を聴かせてくれればいい。その意味で、大変優れたCDだと思う。どこから聴いても音楽そのものを楽しめるだろう。

 

後編

 

 ハイティンクには偉業がある。世界の名器コンセルトヘボウ管の音色と技術を維持したことだ。技術面については問題なかろう。一方、音色については完璧に維持したとは言えないかもしれない。ある程度ハイティンクの好みを反映させた音色に変えているからだ。私が最も好きなコンセルトヘボウのサウンドは、1950年代、ベイヌム指揮で聴くCDに現れている。それは、大変輝かしく、張りがある。

 ハイティンクはその輝かしい伝統の音色を継承したが、ベイヌム時代とは好みのサウンドが違い、やや柔和な音色が聴けるようになった。その性格を一言で言えば、「ノーブル」。カタカナ用語をそのまま使うのは、私の普段からの主義主張に大きく反するのだが、あえて使わせていただく。なぜならカタカナで書きたくなるほど上品なサウンドであるからだ。下卑た音、汚い音というものをコンセルトヘボウから想像することはとても難しい。どのような時でも、きらめくようなサウンド、ソフトなサウンドが聴けるコンセルトヘボウ管はそれだけで音楽界の奇跡ではないかと思う。

 1990年代に入ると、若き俊英シャイーのもとでまた新たな国際的な音色に変わりつつあるようだが、ハイティンクは四半世紀に及ぶ在任期間中、おおよそ伝統のサウンドを維持し、しかも世界最高水準にある技術も低下させることがなかった。これはハイティンクの驚くべき業績である。どう見てもオーケストラ・トレーナーらしからぬハイティンクであるが、61年から88年の在任中、このオケがずっと「ノーブルな」サウンドで聴衆を魅了したことは大きく評価されて良いのではないか。ゲヴァントハウス管のように、ある指揮者が長期にわたって在任することで技術も音色も著しく低下した例もある。少なくともコンセルトヘボウに匹敵する高貴な音色を他のオケで聴くことはできないと私は思う。

 さて、その「ノーブルな」サウンドを聴くのに最適なCDは何だろうか? 有名なベートーヴェン交響曲全集だろうか? それともシューマン交響曲全集? いやいや、An die Musikで扱うからにはやはりブルックナーだろう。

CDジャケット

ブルックナー
交響曲第8番ハ短調(録音:1981年5月)
テ・デウム(録音:1966年9月)
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
PHILIPS(輸入盤 462 943-2)

 Dutch Masters Volume 46。ご存知の方が多いと思うが、これはオリジナルジャケットではない。オリジナルジャケットではハイティンクがセンスの悪いシャツを着て、ぬうぼーと立っている姿が使われていた(カップリングはワーグナーの「ジークフリート牧歌」であった)。オリジナル盤は、ハイティンクの録音としては例外的に、初発時から評論家先生方の評価も上々だった。しかし、値段は高かった。記憶に間違いがなければ、2枚組で8,000円もしたのである。学生だった私はとても手が出なかった。社会人になってCDを自分のお金で買えるようになってくると、今度はこのCDが市場から姿を消した。しばらくすると、同じPHILIPSからハイティンクがウィーンフィルを指揮したゴージャスなCDが発売された。要するに、この旧盤は新盤に取って代わられ、見捨てられることになったのである。ところが、PHILIPSにもこの録音の価値を理解している人はいるらしく、Dutch Mastersシリーズで復活を果たしたのである(オリジナル盤は今になって中古CD屋で出回っているようだ)。

 私としては、このCDに聴くブルックナーには不満がないわけではない。ブルックナーにふさわしい野人的な荒々しさや激しさ、厳しさが欠けているからだ。私が最も愛聴するヨッフム盤と比べるとその差は歴然。シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したヨッフムは、楽器間のバランスを省みないほど荒々しさ、猛々しさ、厳しさをオケに要求し、その結果、特に第4楽章では粗野なサウンドも耳にするが、ハイティンク盤では全くそのようなことがない。徹頭徹尾サウンドは「ノーブル」。しなやかでソフトで、実に美しい。金管楽器の強奏も、ティンパニの一撃も耽美的な美しさだ。だから、まろやかすぎて、「これはブルックナーではない」という人もいるかもしれない。しかし、これはこれで立派な威容を誇るブルックナーである。おそらくこれほど高貴で流麗なサウンドによる演奏を聴けば、ブルックナー本人は涙を流して喜ぶのではないだろうか。

 ハイティンクの指揮は危うげない。黙々と指揮棒を振っているようだ。巨匠然と構えることもない。しかし、音楽的には極めて充実している。第3楽章アダージョの最強音を全曲の山場として設計しているらしく、ヒタヒタとクライマックスに近づいていく。何もしないような演奏なのに、聴いているといつの間にかブルックナーのアダージョに溺れてしまう。第3楽章でテンションが高まったハイティンクは、第4楽章では人が変わったように気合いが入ってくる。ただし、この人は激情に流されることがない。自分を抑えつつ指揮をしているようだ。これは、長い長い交響曲だが、ハイティンクの演奏で聴くと、「ノーブルな」サウンドと充実した音楽展開のため、長さを感じて飽きが来ることはまずないであろう。大変優れたブルックナーだ。これなら、ウィーンフィルとの新盤を向こうに回しても十分戦えると思うのだが...。

 なお、カップリングされている「テ・デウム」もすばらしい。1966年録音であるから、ハイティンクはまだ30代。未熟者呼ばわりされていた時代であったはずだが、とんでもない。これはハイティンクが後にウィーンフィルと録音した同曲と比べても全く遜色ない。1988年録音の新盤がオペラティックな演奏であるのに対し、こちらはストレートな表現で、それだけに聴き手を掴んで離さないだろう。この「テ・デウム」だけでも聴く価値は十分ある。よくこの曲をカップリングしてくれたものだ。

 

余録 「特選盤」の行方

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲全集、「エグモント」序曲
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1985年〜87年、コンセルトヘボウ
PHILIPS(輸入盤 416 822-2)

 ハイティンクには1985年から87年にかけて録音した立派なベートーヴェン全集がある。これは録音順に単売され、好評を博した。レコ芸でもそれぞれが特選盤のお墨付きをもらっていたと思う。全曲の録音が完了すると全集が発売され、これまた絶賛されていたのを記憶している。ところが、この録音、しばらくすると誰も誉めなくなってしまった。なぜだろう?

 私は全集発売当初、友人から貸してもらって全曲を聴いたことがある。友人は特選盤の誉れ高いこの全集を買ったが、演奏が彼の好みでなかったらしく、私に試聴を依頼したのである。実はその時、「何でこれが絶賛されたんだろうか? 演奏が穏和すぎる」と私は思ったのだが、そんなことを言うと、大枚をはたいてこの全集を買った本人がショックを受けそうなので、あえて黙っていた。「きっと、かんでいれば、スルメのように美味しくなるよ」という言葉で逃げたことがある。

 しかし、私は(カペレの次に)コンセルトヘボウ管が好きなので、その後もう一度この録音を聴きたくなり、全集を買ってしまった。演奏はともかく、コンセルトヘボウ管の「ノーブルな」音色を楽しむという意味では、この上ない全集だと思っていたからだ。ベートーヴェンの交響曲は、オケの技量を確認するにも適しているし、後期ロマン派の音楽のように、あまりうるさくないので家庭で聴くのに丁度よかった。穏和な演奏には少し不満があったが、結果的に、ソフトで上品なベートーヴェンをじっくり楽しめることになった。

 そうこうしていると、驚くべきことに、この全集がスルメと化してきたのだった!「こんなに均整がとれていて、奇麗なベートーヴェンがあっていいのだろうか?」と思った。最初は少し馬鹿にしていたのだが、それはそれで大変な価値があるものだ。威圧的なベートーヴェンでなくてもベートーヴェンはベートーヴェン。交響曲第5番を聴いてもその美しさに惚れ惚れする。交響曲第3番「エロイカ」や第4番は清冽そのもの。ましてや、このオケの美質が最大限に現れた第6番「田園」を聴くと、ひとつの理想に出会ったような気になってくるのである。奇数番号、偶数番号にかかわらずしっとりとした音色を楽しめるし、演奏の出来にもムラがない。録音もとても聴きやすい。

 私は、今でもこのベートーヴェン全集の演奏を完全に支持するわけではない。例えば、クレンペラーの巨大なスケールを持つ演奏と比べると、ハイティンク盤はどうしてもスケール感に乏しい。ベートーヴェンの激しい息づかいを期待していると肩すかしを食らうだろう。しかし、コンセルトヘボウ管の演奏は、ベートーヴェン解釈のひとつの極致を示していると私は思う。こうした均整がとれ、清冽で美しい演奏があっても私は構わないと思う。拳を振り上げて大騒ぎするだけの演奏からは最も遠いところにいる、実に気品ある演奏だと思う。こうした演奏を堂々と世に出すハイティンクは、実は並々ならない自信を持っているのではないだろうか? 我々はあのおっとりとした風貌に騙されているが、もしかしたら、ハイティンクはすごい人なのかもしれない。

 というわけで、私は私なりにこの全集を高く評価するのであるが、10年以上前、このベートーヴェンが発売された際、口を揃えて褒めそやした評論家の方々は、一体どう思っているのだろうか? 今や名盤案内の片隅にも載ってこないこの全集は、ほとんど忘れ去られてしまった。何とも情けない話である。

 

2000年9月11日、An die MusikクラシックCD試聴記