ミレニアム企画 アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く

交響曲第1番 ハ長調 作品21

ホームページ WHAT'S NEW? CD試聴記 「アバド・ケンペ」のインデックス


 
 

 アバド盤

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第1番 ハ長調 作品21
アバド指揮ベルリンフィル
録音:2000年3月、ベルリン

 アバドの全集では、ボックスの中に紙ジャケット仕様のCDが5枚入っている。ジャケット写真は全部違う。また、紙ジャケといっても、ぺらぺらのものではなく、内部はプラスチックでできている。本を開けるようにしてケースを開くと、見開きになり、そこにもアバドの写真がある。さらに、CDを固定するツメは、折れにくく作られており、斜め四方から手を入れてCDをとりやすくしてある(こういうCDをもっと作ってくれないものか?)。これは企画段階から綿密に商品設計をした証拠で、DGにおけるアバドの位置づけがよく分かる。これだけ丁寧な扱いをされる例はあまりないのではないか。

 それはさておき、演奏である。これは実に爽快な演奏だ。清冽と言ってもよい。解説によると、アバドは「交響曲第1番、第2番、第4番、第8番はダブルベース3人、チェロ4人、ビオラ6人、第2バイオリン8人、第1バイオリン10人で演奏した」という。この編成だけを見ても、アバドが重量級のベートーヴェンを目指していないのは明らかだ。アバドは編成を小さく抑えただけでなく、透明度を徹底的に追及している。それが演奏の最大の特徴だろう。

 しかも、アバドはスケールの小さい演奏をしているのではないのだ。第1楽章、第3楽章、第4楽章を聴くと明らかになるが、アバドは切れ味鋭いリズムを与えながら、躍動的な音楽を展開している。それはそれで大変精力的ある。極端に巨大とはいえないが、別にスケールが小さいわけではない。もっと言うと、かなり熱を入れて演奏していながら、全く暑っ苦しくならないのが面白い。それというのも、オケが名人揃いのベルリンフィルだからだ。弦楽器の小刻みな動きが、私のスピーカーでも全て聴き取れる。録音のよさも手伝っているのだが、音符のひとつひとつを丁寧に、そして颯爽と弾き切るベルリンフィルの弦楽セクションを耳にすると、それだけでも驚嘆する。また、管楽器も自在に歌っている。これだけのオケを手中にしているからこそ、アバドは思い通りの演奏に取り組むことができたのだろう。

 この新全集で、アバドはベーレンライター版を用いたとされるし、ここしばらくクラシック音楽界を席巻している古楽器による演奏をある程度意識しているはずだ。それらをウリにすることもできるのだろうが、アバドはベーレンライター版を再現することを意図したわけでもなく、古楽器奏法の研究成果を披露したかったわけではないと思う。アバドは長いキャリアを通じて培った自分のベートーヴェンを打ち出しているのである。中でもベートーヴェン最初の交響曲である第1番では、アバドの洗練された音楽が聴ける優れものだと私は思う。

 これは、何度聴いても爽やかなベートーヴェンだ。アバドはあえてこうしたベートーヴェン演奏をしたわけだが、他にこうした演奏を私は思いつかない。人と違う演奏を聴かせるという意味で、これは貴重な録音だろう。「これは軽量級のベートーヴェンだ」といって好まない人もいるかもしれない。しかし、アバドはアバドしか選ばなかった演奏を行ったのであり、それは高く評価されるべきではないか。私はこの演奏を聴いてとても気持ちよかった。多くの聴き手を満足させうる演奏だと私は思う。

 

アバドに関わる批評について

 

 上記のように、アバドの新盤はとても面白い。好き嫌いはあるかもしれないが、全曲どれを取ってみても、何かしら新しい発見があると私は思う。もしかしたら、下手に古楽器奏法に走るだけの演奏より、よほど斬新な演奏ではないかと私は思っている。

 私はアバドという指揮者が特に好きなわけではない。昔は好意を持っていた。ロンドン響時代までのアバドはほとんどプリンス扱いされていたように記憶しているが、私にとってもアバドは半ばプリンスだった。しかし、「ベルリンフィルの音楽監督になってからのアバドはどうも生彩がない」と私は感じていた。ベルリンフィルの音楽監督といえば、指揮者が望みうる最高の地位だ。それだけにファンの期待も高くなる。アバドは私の高すぎる期待には必ずしも応えてくれなかった。もっとも、本人が特に大きな変化を示しているのでなければ、過大な期待を寄せて、それが満たされないからと言って騒ぐ方が間違っていると自分では承知している。

 今回、アバドの新全集を買うのには勇気が要った。ばら売りがなかったからだ。いきなり全集の形で発売されると、良いのか悪いのか予備知識がないとなかなか買いにくい。しかも、ウィーンフィルとの旧全集が、ネット上で賞賛されているのを私は見たことがない。5枚組で7,000円という値段でも、大量にCDを買う私としては博打同然であった。ただし、結果は大満足で、それだからこそ今回の企画が生まれた。

 私はアバドの新全集を聴いて、アバドがアバドなりに音楽家としての道をかなり上まで登ってきたな、と感じた。アバドはこれからもっと高みにいく可能性がある。そうしたことが少しでも分かったのだから、この全集を聴く価値は十分あったと思う。

 

■ ケンペ盤

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第1番 ハ長調 作品21
ケンペ指揮ミュンヘンフィル
録音:1972年6月23日〜26日

 昔、俵孝太郎が自著で、「少ない予算でベートーヴェンの交響曲全集を揃えるなら、ケンペ指揮ミュンヘンフィルのCDがよい」という意味のことを書いていた。当時の私は若気の至りで、「いくら指揮者がケンペでも、ミュンヘンフィルの演奏なんて大したことないに決まっている。いくら廉価で買えるからといって、そんなCDを薦めるのはおかしい」などと思ったものだった。知らないとは恐ろしいもので、私は穴があったら入りたい。そして、あの俵孝太郎がとてもしっかりした聴き手であると再認識した。

 ケンペ指揮のミュンヘンフィルは堂々のベートーヴェンを演奏している。オケの技術も申し分ない。ミュンヘンフィルは80年代後半から90年代にかけて、チェリビダッケのもとで飛躍的に技術を向上させたというが、これを聴くと、70年代前半にはかなりの腕前であったことが分かる。さすがに弦楽器はアバド盤に聴くような揃い方をしないのだが、木管楽器などは十分美音を聴かせる。何よりも、特定の楽器が突出せず、どの楽器もオケの音色の中に溶け込んでいる。私はシュターツカペレ・ドレスデンのスタイルに近い、と感じた。ケンペはドレスデン近郊の出身で、シュターツカペレ・ドレスデンと非常に深い関係を持っていた。ケンペはカペレのサウンドをミュンヘンフィルでも作ろうと考えていたのだろうか?(これは、仮説として打ち立てておき、じっくり時間をかけて検証することにしたい)。アバド盤では透明性は高いが、その分、各楽器が華麗さを競っている節もある。さらにアバドの解釈により、ティンパニが突き刺さってくるのではないかと思われるほど刺激的に鳴り響く。ケンペ盤ではティンパニはオケの響きの中にほとんど埋没している。オケの鳴らし方は両盤で全く違うのだ。どちらかといえばケンペのスタイルの方が穏当なのである。それほどアバドの新盤は斬新といえる。

 演奏内容だが、ケンペはあえてベートーヴェンの若い頃の作品というアプローチをしていないようだ。いわゆるベートーヴェンらしいベートーヴェンだ。音楽の骨格は極めて太く、がっしりしている。アバドが透明性を求めているのとは対照的に、ケンペは堅牢性を求めているように思われる。このようにどっしりと足が地に着いたベートーヴェンを聴くと、私のような保守的な聴き手は何だかほっとしてしまう。ケンペの時代において古楽器奏法による演奏は、あったにせよ、一般的ではなかったはずだ。伝統的なベートーヴェン演奏の枠組みの中で、自分の音楽を示そうと思えば、堅牢性を追求する方向に向かったとしても何ら不思議ではない。その中でケンペはオケのサウンドをまとめ上げ、重厚なベートーヴェンを作りだした。それは第1楽章から、「ああ、ベートーヴェンだ!」とすぐ納得できるほどベートーヴェンの息吹を感じさせるものだ。どんなに重厚でもベートーヴェンの息吹を感じさせない演奏はある。技術的に優れたオケを指揮しても必ずしもベートーヴェンらしくならない。繰り返すが、これはベートーヴェンらしいベートーヴェンだ。第1番からこのような演奏をされては、第2番以降が気になって仕方がなくなる。ケンペは全く聴かせ上手の指揮者である。

 

(2000年11月21日、An die MusikクラシックCD試聴記)