中休みで参考盤を聴いてみよう。私のお気に入り、セルの演奏はどうだろう。
ベートーヴェン
交響曲第2番 ニ長調 作品36(録音:1964年10月23日)
交響曲第5番 ハ短調 作品67(録音:1963年10月11,25日)
セル指揮クリーブランド管
SONY CLASSICAL(輸入盤 SBK 47651)
ベートーヴェンの交響曲には夥しい録音がある。多分数え切れないだろう。演奏家達が、独自色を出して、他の演奏・録音との差別化を行うのは極めて難しいと思う。再現芸術であれば、全く同じ条件による演奏というものはあり得ないから、どれも少しずつ違っているということはできるだろう。が、どのようなスタイルで演奏しても、録音数が多いために、多かれ少なかれ似たものが既に登場しているのではないだろうか。聴き手も、ベートーヴェンであれば細大漏らさずチェックを入れるから、録音に際して演奏家はひとかたならぬ苦しみを味わうかもしれない。
その中で、きらりと光る演奏で私を唸らせ続けるのがセルの録音である。何度も繰り返すことになるが、セルのベートーヴェンはすごい。指揮者とオケの技術が高い次元で融合した希有の組み合わせだと私は思う。第2交響曲でも、このコンビの力は最大限に発揮されている。演奏は一見スマートで、いかにもスポーティな感じがする。重厚さだけをベートーヴェンに求めるのであれば、物足りないかもしれない。しかし、この録音で聴くベートーヴェンは緻密さ、精妙さで他の録音を圧倒する。そもそもオーケストラというものは、ここまで緻密な演奏ができるものだろうか? オケというものは多数の人間の集まりだから、時には乱れ、時にはバランスを崩したりするのが普通ではないだろうか? そうしたことがセルの演奏には見られないのだ。笑ってしまいたくなるほどの精緻さである(本当)。それも、機械的なのではなく、音楽的な美しい表情に事欠かない。まさに神業の世界である。
ベートーヴェンの交響曲第2番は、初演当時は前衛的と思われていたらしい。「エロイカ」以降を知っている我々はさすがにそうは思わないのだが、頻出するスフォルツァンド(特に強く)、ピアノとフォルテのめまぐるしい交替、スタッカートの山など、ベートーヴェンは刺激的な指示をふんだんに交響曲に盛り込んだ。それが前衛的と受け止められた原因の一つかもしれない。セルの演奏を聴いていると、ベートーヴェンの指示が正確に守られ、いとも簡単に演奏されているのが分かる。その急転する音楽が面白すぎるため、聴き手は気を抜いて聴いていられない。しかもセルはスタジオ録音にも関わらず、ライブの興奮をそのまま持ち込んでいる。呆れるほど精緻な演奏で、なおかつ、一瞬先の演奏が分からないのである。あれよあれよという間に全曲を聴き通してしまう。
セルは実際やや速めのテンポを取っているが、第4楽章の後半になると、「冗談だろ?」というくらい弦楽器を煽り立てる(372小節以降、練習番号G)。繰り返し聴いているはずなのに、聴く度に驚嘆させられる演奏である。こんな演奏を知ると、他の演奏が物足りなくなる。しかし、そうは思っても、なお感動的なベートーヴェンを我々は多数聴くことができる。本当に恐るべきは、無限の可能性を秘めたベートーヴェンの音楽であろう。
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