ミレニアム企画 アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く

交響曲第2番 ニ長調 作品36

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 ケンペ盤

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第2番ニ長調作品36
ケンペ指揮ミュンヘンフィル
録音:1972年12月15日〜20日/1973年4月27日〜30日

 ベートーヴェンの9つの交響曲を演奏頻度順に並べると、第2番はどの位置に来るのだろうか? 私が想像するに、最下位だろう。交響曲第1番は、天才ベートーヴェン最初の交響曲として注目を集めるし、「このくらいの規模なら演奏できそうだ」としてアマ・オケなどが演奏曲目に含めるのをたまに見かけることがある。それが第2番ともなると、かなり寂しいのが現状のような気がする。一方、交響曲第3番以降は傑作中の傑作が並んでいるため、第2番は日陰者に甘んじているように感じられてならない。

 演奏頻度はともかく、私は交響曲第2番はとてもいい曲だと思う。作曲は1802年。有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた年だった。ベートーヴェンの耳の疾患が進み、深刻さを増していた時期に当たる。しかし、ベートーヴェンは若い女性との恋愛に光明を見出したのか、深刻さを微塵も見せない明るい曲ができあがっている。それどころか、我々は、第2楽章「ラルゲット」に聴かれるような幾分深遠な音楽を見出すことができる(ブルックナーの緩徐楽章はこの楽章に範を取っているのではないか?)。短くはあってもスケルツォは無駄がないし、両端楽章は堅固な構成の中に激しいダイナミズムを秘めており、ベートーヴェンの熱い血潮が爆発するかのようだ。「エロイカ」の直前ではあっても、交響曲第2番は紛れもないベートーヴェンの音楽になっている。

 「だったら、若書きの交響曲としての位置づけなどしないで、ベートーヴェンの大曲として演奏をしたらどうだろうか?」と思う人もいるだろう。実は、ケンペの演奏はそうした聴き手の要請にほとんど完全に応えてくれるのである。第1楽章に聴かれる重厚かつ豪快な演奏ぶりは、中・後期のベートーヴェンと大きく変わらない。序奏からアレグロ・コン・ブリオの主部に入ると、ケンペの棒は熱く燃え上がり、怒濤のように激しいベートーヴェンを聴かせてくれる。第3、第4楽章も実に立派。この演奏ならば、益荒男ぶりの演奏とでも表現できるだろう。そのダイナミズムは、ケンペならではのもので、ケンペが「どうせやるなら徹底的にやります。楽しく演奏しますから、どうぞ楽しんでくださいよ!」とでも言っているかのようだ。ケンペは小振りなベートーヴェンを演奏することなど、おそらく念頭に置いていなかったのではないかと思われる。また、この交響曲でもっとも魅力的な楽章である第2楽章ではじっくりと歌い上げている。ホルンしか金管楽器が入らないこの楽章は、木管楽器と弦楽器のかけ合いが非常に美しい。ケンペはごく自然なバランスでその音楽を楽しませてくれる。

 ケンペは職人肌の指揮者として知られるが、職人肌とは、学究的という意味ではないだろう。どんな場合においても、オケを自在に統率し、聴き手を楽しませることができる指揮者だったからこそ職人といわれたはずだ。ここに聴かれる交響曲第2番は、そうしたケンペの職人的な腕前を堪能できる。きっとケンペは録音セッション終了後のプレイ・バックを聴いて、「ニヤリ」と微笑んだことだろう。

 なお、録音セッションは、1972年12月15日〜20日と1973年4月27日〜30日の2つの期間に分かれている。全曲で33分の曲をこれほど時間をかけて録音したのは、どういうわけなのだろうか? ケンペはたちどころにオケを掌中に収める技術があったというが、この曲はそのケンペの力を持ってしても難しい「何か」があったのだろうか。謎である。

 

■ セル盤

CDジャケット

中休みで参考盤を聴いてみよう。私のお気に入り、セルの演奏はどうだろう。

ベートーヴェン
交響曲第2番 ニ長調 作品36(録音:1964年10月23日)
交響曲第5番 ハ短調 作品67(録音:1963年10月11,25日)
セル指揮クリーブランド管
SONY CLASSICAL(輸入盤 SBK 47651)

 ベートーヴェンの交響曲には夥しい録音がある。多分数え切れないだろう。演奏家達が、独自色を出して、他の演奏・録音との差別化を行うのは極めて難しいと思う。再現芸術であれば、全く同じ条件による演奏というものはあり得ないから、どれも少しずつ違っているということはできるだろう。が、どのようなスタイルで演奏しても、録音数が多いために、多かれ少なかれ似たものが既に登場しているのではないだろうか。聴き手も、ベートーヴェンであれば細大漏らさずチェックを入れるから、録音に際して演奏家はひとかたならぬ苦しみを味わうかもしれない。

 その中で、きらりと光る演奏で私を唸らせ続けるのがセルの録音である。何度も繰り返すことになるが、セルのベートーヴェンはすごい。指揮者とオケの技術が高い次元で融合した希有の組み合わせだと私は思う。第2交響曲でも、このコンビの力は最大限に発揮されている。演奏は一見スマートで、いかにもスポーティな感じがする。重厚さだけをベートーヴェンに求めるのであれば、物足りないかもしれない。しかし、この録音で聴くベートーヴェンは緻密さ、精妙さで他の録音を圧倒する。そもそもオーケストラというものは、ここまで緻密な演奏ができるものだろうか? オケというものは多数の人間の集まりだから、時には乱れ、時にはバランスを崩したりするのが普通ではないだろうか? そうしたことがセルの演奏には見られないのだ。笑ってしまいたくなるほどの精緻さである(本当)。それも、機械的なのではなく、音楽的な美しい表情に事欠かない。まさに神業の世界である。

 ベートーヴェンの交響曲第2番は、初演当時は前衛的と思われていたらしい。「エロイカ」以降を知っている我々はさすがにそうは思わないのだが、頻出するスフォルツァンド(特に強く)、ピアノとフォルテのめまぐるしい交替、スタッカートの山など、ベートーヴェンは刺激的な指示をふんだんに交響曲に盛り込んだ。それが前衛的と受け止められた原因の一つかもしれない。セルの演奏を聴いていると、ベートーヴェンの指示が正確に守られ、いとも簡単に演奏されているのが分かる。その急転する音楽が面白すぎるため、聴き手は気を抜いて聴いていられない。しかもセルはスタジオ録音にも関わらず、ライブの興奮をそのまま持ち込んでいる。呆れるほど精緻な演奏で、なおかつ、一瞬先の演奏が分からないのである。あれよあれよという間に全曲を聴き通してしまう。

 セルは実際やや速めのテンポを取っているが、第4楽章の後半になると、「冗談だろ?」というくらい弦楽器を煽り立てる(372小節以降、練習番号G)。繰り返し聴いているはずなのに、聴く度に驚嘆させられる演奏である。こんな演奏を知ると、他の演奏が物足りなくなる。しかし、そうは思っても、なお感動的なベートーヴェンを我々は多数聴くことができる。本当に恐るべきは、無限の可能性を秘めたベートーヴェンの音楽であろう。

 

■ アバド盤

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第2番 ニ長調 作品36
アバド指揮ベルリンフィル
録音:2000年3月、ベルリン

 交響曲第1番と第2番の録音を、アバドはフィルハーモニーの小ホール(正確にはKammermusiksaal)で行っている。第1番同様、小さな編成で演奏し、小さなホールで収録したわけだ。もちろん、アバドはこの曲の演奏で「大きさ」を求めていない。ケンペの益荒男ぶりタイプとは対照的である。どのようなベートーヴェンを求めるかで好き嫌いがはっきり出る演奏だと思う。このような小さなベートーヴェン、極論すれば軽量級のベートーヴェンを好まない人も多いと思う。アバドのベートーヴェン全集の評価が分かれるのは、大きさを追求していないからだろう。

 アバド盤を最初聴いたときは、とても刺激的な演奏だと思った。透明感が保たれた上、リズムを明確にし、スフォルツァンドなどをかなりはっきりつけて行く演奏は、分厚い響きの中で重量感あるベートーヴェンを聴き慣れた耳にはとても新鮮で、刺激的である。「さすが現代のベートーヴェンは違うわい」と唸ったものだった。

 しかし、上記セル盤を参考に聴いてしまうと、アバド盤の刺激度はセル盤に到底及んでいないのである。オケの技術、楽器の音色も、驚くべきことにクリーブランド管の方が上なのだ。あくまでも録音を比較してのことだから、実際はどうか分からない。が、セル指揮クリーブランド管が1960年前後に、とんでもない高みに達していたことは十分察することができる。それを参考にしてしまうと、どのような演奏も霞み始めるから、困りものだ。

 それでもなお、これはよい演奏だと私は思う。セル盤にさえなかったものがアバド盤にはある。演奏の温かさだ。ケンペは益荒男ぶりの豪快さ、セルは完璧さと熱狂を聴かせる。アバドは悪く言えばその中間に位置しており、決して厳しさを感じさせる演奏ではない。が、アバド盤はベートーヴェンの躍動的な力強さや、微笑みを感じさせる。第1楽章から第3楽章までは、アバドの円満な人間性まで垣間見られる。きっと、アバドはこの曲に対して何かしら心温まるものを感じていたのではないだろうか?(指揮者の心象風景がそっくり指揮に現れていると考えるのは滑稽だろうか?) 第4楽章では、アバドは変貌し、阿修羅のごとく一気に全楽章を駆け抜ける。オケに対する煽り方はセル盤さえ凌ぐ。前楽章までとはうって変わった情熱的な演奏だ。決して重い演奏ではないが、如実にベートーヴェンの息吹を感じさせる。

 ベートーヴェン演奏とは、かくも多くの解釈を可能ならしめる。比較試聴の醍醐味である。

 

(2000年11月27日、An die MusikクラシックCD試聴記)