ロシア魂に酔いしれる夜

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CDジャケット

ムソルグスキー
交響詩「はげ山の一夜」(原典版
合唱曲集(オーケストレーション:R.コルサコフ)

  • 「センナヘリブの陥落」
  • 歌劇「サランボー」:巫女たちの合唱
  • 「アテネのオイディプス王」:神殿の人々の合唱
  • 「ヨシュア」

組曲「展覧会の絵」(オーケストレーション:ラヴェル)
アバド指揮ベルリンフィル、ほか
録音:1993年5,9月、フィルハーモニーにおけるライブ録音
DG(国内盤 POCG-1778)

 ある日曜日の朝、私は近所の公園で開かれていたバザーでこのCDを見つけた。新品同様の国内盤が、何と200円だった。これなら「ダメモト」ですむので、すぐ買った。定価は3,000円もするのだ。このCDを買った頃は、ベルリンのアバドに対して、私は少なからず落胆していたので、期待せずに聴き始めた。が、買って良かった。これは大変な名盤である。アバドはムソルグスキーのマニアらしいが、このCDを聴くと、そのマニアぶりは異常なほどらしい。

 まず、「はげ山の一夜」から度肝を抜かれる。これは通常耳にするR.コルサコフによるオーケストレーションではなく、1968年になってからようやく発表されたというムソルグスキーの原典版による演奏である。いきなり猛烈な迫力で始まる。岩石をぶつけ合っているような音を出す強烈なティンパニの乱打の中で、悪魔的な唸りをあげる第1主題が始まるのだ。R.コルサコフの音に親しんだ耳には、グロテスクそのもの。それをベルリンフィルは悪鬼のように演奏する。普段のスマートさはどこに行ったのか。プロの中のプロが本気になったときの凄さを、この演奏はまざまざと見せつけている。

 そして4つの合唱曲集。これが実に心憎い選曲だ。合唱はプラハ・フィルハーモニー合唱団、さらに「ヨシュア」では合唱団に加えて、メゾ・ソプラノ(エレーナ・ザレンバ)を使っている。まるで地の底から沸き上がってくるような寒々とした音楽。背筋がぞっとするような音楽。大きな音を伴うわけでもないのに、腹に響いてくる音楽。こう書くと、全然楽しそうではないのだが、もうたまらない。私も合唱団の仲間に入って一緒に歌ってみたいぞ。これを歌ったら、自分がゾンビになって、仲間を増やしていくような気持になれるだろう。

 さらに「展覧会の絵」。これはラヴェルのオーケストレーションであるが、通常の演奏とはひと味もふた味も違う。高機能オケなら、その機能性だけを見せつけることによって、鑑賞に足る演奏を行うことができる。シカゴ響の各種録音のように、トランペット(泣く子も黙るハーセス)をはじめとした金管セクションがむやみやたらと上手いオケなら、文句なしにかっこいい演奏ができる。ベルリンフィルも世界屈指(最高か?)のオケだから、指揮者さえその気になれば、きらびやかな演奏ができるのだ。なのに、アバドはそうしていない。このCDで聴く演奏は、全くきらびやかでない。シカゴ響の「展覧会の絵」(例えばこちら)がぴっかぴかに光るオケのサウンドを聴かせているのに対し、アバド盤はどす黒くなって、周囲の光を吸い込むような暗いサウンドを基調にしている。派手な色彩はない。それだからこそ、言いようのない迫力を味わえる。これは実に渋い「展覧会の絵」だ。その暗黒の音楽を聴いていると、ムソルグスキーの音楽に陶然としてしまう。興味深いのは、あのベルリンフィルが、このような暗黒、漆黒のサウンドを見事に出していることだ。ここまでの表現を可能にするオケは、やはり世界一の機能集団といわざるを得ない。ベルリンフィルのシェフになって以来、あまりぱっとしないように見えるアバドだが、このようなおぞましいCDを作っていたのだ。やはり実力のある指揮者なのだろう。

 なお、アバドは「はげ山の一夜」も、「展覧会の絵」も別の録音があるらしい。原典版を用いたもうひとつの「はげ山の一夜」もぜひ聴いてみたい。

 

続編

 

 上で「もうひとつのはげ山..」と書いたが、私は合唱が入っているというSONY CLASSICAL盤をどうしても聴きたくなり、ついに買ってしまった。以下に試聴記を載せるが、私は本気で書いている。「おいおい、馬鹿なやつだな」と笑って下さい。

CDジャケット

ムソルグスキー
交響詩「はげ山の一夜」(バス・バリトン、児童合唱、合唱と管弦楽のための版
歌劇「ホヴァンシチナ」より

  • 前奏曲
  • シャクロヴィートゥイのアリア
  • ゴリツィン公の流刑
  • マルファの予言の歌ペルシャの女奴隷達の踊り

スケルツォ変ロ長調
古典形式による交響的間奏曲ロ短調
凱旋行進曲(歌劇「ラムダ」より)
アバド指揮ベルリンフィル、ほか
録音:1995,96年、フィルハーモニー
SONY CLASSICAL(国内盤 SRCR 1991)

 こ、これは面白いぞ! 合唱が入った「はげ山の一夜」は初めて聴くが、まるで別の音楽。DG盤が岩石を激しくぶつけ合うようなティンパニの音で開始されるのに対し、こちらはいきなり男声合唱が入る。それが、すごく恐い! 一緒に聴いていた女房は恐れおののいてしまった。歌詞は「サガナ、サガナ! ペゲーモト、アスターロト!....」。これははげ山に集まってくる悪魔達の歌声だ。こんな謎の言葉が延々と歌われる。「何を意味しているのだろう?」と思って解説を読むと、「カタカナの言葉は意味不明の悪魔語」となっている。さもあろう、ここは若者が夢の中で見る幻影を表しているのだ。ト書きでは、「丘の上の荒涼とした場所。地底からは、地獄の魑魅魍魎たちの合唱が近づいてくる」とある。「地獄の魑魅魍魎」! いかにもそんな感じがする。

 ムソルグスキーの原典版は、上記DG盤とこのSONY CLASSICAL盤になるらしいが、そのいずれもがユニークで、甲乙つけがたい。どちらを聴いても面白い。これでは、リスムキー・コルサコフのオーケストレーション版は聴けなくなってしまう。これほど面白い原典版があるにもかかわらず、ずっと埋もれていたというのは全くもったいないことだ。私の記憶では、「はげ山の一夜」は中学校あたりの音楽の時間に無理矢理聴かせられたと思う。それはまず間違いなくリムスキー・コルサコフ版だっただろう。もし、今私が音楽の先生であれば、リムスキー・コルサコフ盤に加え、ムソルグスキーの原典版2つも聴き比べさせ、さらに、子供達に「魑魅魍魎になれ!」と言ってこの曲を歌わせるだろう。そうすれば、この曲を芯から味わえるのだ。いや、子供達にそんな面白いことをさせてはいけない。これは自分で歌いたい! どこかの合唱団でこの曲をやらせてもらえないものだろうか。キャッチフレーズは「あなたも魑魅魍魎になりませんか?」だ。

 合唱曲には歌い手の心をくすぐるものがいくつかある。今も歌い継がれていると思うが、大学グリークラブには、「ウボイ」という名曲がある。私の微かな記憶によれば、クロアチア語の歌詞だったはずだ。確か、とあるオペラの終曲で、敵軍に包囲された防衛軍が絶体絶命のピンチの中、「今まさに打って出るぞ」という状況を歌ったものだ。無論、非常に勇壮な音楽である。低声部が「ヴィ・サ・ブラッチョ・プンモ・プシュケ...」とぶつぶつ唸っている間、テノールが朗々と突撃ソングを歌うのである。それが終わると、四声がホモフォニックに大団円を作る。私は合唱曲の中で最も気持ちよく歌えるのは、その「ウボイ」だと思っていた。しかし、アバド指揮の「はげ山」を聴いてからは、気持が大きく揺らいできた。突撃するよりも、魑魅魍魎になりたいのである。

 ただし、断っておくが、このCDはキワモノではない。アバドはとても真面目にムソルグスキーの音楽に向かい合っていると思う。その証拠に、「はげ山」に続く曲の全てがすばらしいのである。上記DG盤と同様、選曲はここでも冴えている。アバドの十八番らしい「ホヴァンシチナ」からの抜粋は、ロシアの大地やロシア人の怨念が伝わってくる名演奏だ。「ゴリツィン公の流刑」など圧倒的なオケの迫力に身体を金縛りにされそうだ。アバドにはウィーン国立歌劇場管弦楽団(CDの表記はこうなっている)を指揮した「ホヴァンシチナ」全曲があるが、私は10年ほど前に買ったにもかかわらず、未だに全曲を聴き通していない。いい加減に聴いていたのだろう。アバドのムソルグスキーは真剣に聴き直してみたいものだ。

 その他、オケだけで演奏される熱狂的な凱旋行進曲も聴き応え十分。私はベルリンフィル以降のアバドはちょっとつまらない、などと思っていたのだが、いいCDを作っていたのである。また感心してしまった。

 

2000年12月5日、An die MusikクラシックCD試聴記