ミレニアム企画 アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く

交響曲第8番 へ長調 作品93

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 交響曲第8番。これまた扱いにくい曲である。演奏時間はわずか25〜26分。オーケストラ編成も大きくはなく、ベートーヴェン傑作の森時代を象徴する無骨さも少ない。20代までの私は、この曲はベートーヴェンの軽妙洒脱さを表す小粒なBGM的音楽だと考えていた。でも、そうなのだろうか?

 外見的には小規模で、軽い曲と受け止められるのだが、内容は他の交響曲に比べても全く遜色がないほど充実している。外見が瀟洒にできている分、重い演奏は野暮ったく感じられるだけで、両端楽章は特に内面的に熱いパッションを感じさせるものがある。第2楽章のアレグレット・スケルツァンドが有名な曲だが、その繊細さに気を取られていると、この曲の本当においしいところを聴き逃してしまうような気がする。

 それはさておき、まずは、アバド盤から聴いてみよう。

 

 アバド盤

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第8番 ヘ長調 作品93
アバド指揮ベルリンフィル
録音:2000年3月、フィルハーモニー

 これは切れ味鋭いベートーヴェンだ。交響曲第1番同様、この曲を録音するに当たって、アバドは弦楽器の編成をかなり縮小している。現代楽器を使い、最小規模の人数で演奏しているわけだが、ベルリンフィルの合奏技術が極度に高いため、響きの薄さはほとんど感じられない。その上でアバドは音楽の輪郭が丸くならないように、常にエッジを立てるように揃いに揃った演奏をさせている。最も面白い演奏をしているのは第4楽章で、アバドは非常に速いテンポを取りつつ、弦楽器に正確この上ないアクセント付けとアインザッツ(入り)の切れ味を要求している。そのためか、非常なアップテンポで演奏しているにもかかわらず、熱く燃える、というよりは冷たい演奏を聴いているような印象を受ける。音楽が冷たく光り出しているのだ。

 第1楽章から第3楽章も傾向としては同じことがいえる。聴き手に、熱狂とはほど遠い冷たさを感じさせる。軽さやユーモラスな表情は極めて少ない。おそらくアバドは、そうなるように演奏したのだ。アバドのことだから、この曲にはそうした解釈もまた許されると確信していたのではないだろうか。賛否両論あるだろうが、すごいことだ。ベートーヴェンはこの交響曲第8番において従来の交響曲像を超えたわけだが、アバドもまた確信的に、いや、革新的に伝統的な演奏様式を捨てている。

 ケンペはどうか。

 

■ ケンペ盤

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第8番 ヘ長調 作品93
ケンペ指揮ミュンヘンフィル
録音:1972年12月15日〜20日

 こちらは熱く燃え上がる情熱のベートーヴェンである。こちらの演奏でも、アバド盤ほどの切れ味には不足するものの、リズムとダイナミズムの強調は十分に行われている。さらに、ケンペは音楽の骨組みをがっしりと形作っている。音楽設計には山があり、ケンペは自分が目指す頂上めがけ、一気呵成に突き進む。第1楽章の再現部に突入する場面では、音楽が内包する情熱の巨大さに圧倒される。単に音量が増大するという以前に、指揮者とオケの興奮が伝わってくるのだ。これはとてもスタジオ録音とは思えない素晴らしい臨場感である。第4楽章も体位法的書法が見事に描かれ、オーケストラの各セクションが有機的に響きあっている。中間楽章においては管楽器群の華麗さが際立つ。全曲を通して聴いても、オケの豊かな色彩感は隠しようもない。この曲でこれほど華やかな音色の木管を聴けるとは非常に嬉しい。このような演奏をされると、私はどの点にも不満を発見できない。

 ケンペは地味で渋い演奏をするときもあるが、やはり「華」がある指揮者だと思う。この交響曲第8番を聴いていると、ケンペの「華」を感じずにはおれない。ケンペが指揮台に立つだけで、このような色鮮やかな色彩感に満ちたオケの音色が得られ、感動のベートーヴェンが演奏できる下地ができるのではないか。これは残念ながら現在のアバド盤にはないものだろう。

 ただし、ケンペ盤は伝統的というべきか、余りにもロマンティックなベートーヴェン解釈なのではないかとも思う。私は何回聴いても興奮し、感動したが、これを前近代的と切り捨てる音楽評論家もいるかもしれない。

 

参考盤 その1

非正規盤につきCDジャケットは掲載いたしません。

チャイコフスキー
交響曲第5番 ホ短調 作品64
ベートーヴェン
交響曲第8番 ヘ長調 作品93
ケンペ指揮バイエルン放送響
録音:不詳
ORIGINALS(輸入盤 SH 809)

 ケンペのライブ盤。ORIGINALSという謎の海賊盤である。本来、このような海賊盤はCD試聴記で扱いたくない。首都圏でも滅多に入手できないCDを載せても仕方がないからだ。が、チャイコフスキーにせよ、ベートーヴェンにせよ、素晴らしい演奏である上に、幸運にも正規盤が発売されているので、今回は本当に「参考」盤として掲載する(この記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひ正規盤を当たって下さい)。尾埜善司さんの「指揮者ケンペ」によれば、チャイコフスキーは1975年3月20日のライブ、ベートーヴェンは1975年5月20日のライブである(ORFEO C449961B)。

 多分このCDはチャイコフスキーをメインにしている。これはケンペらしい爆演で、痛快そのもの。だが、それだけで終わらないのがこのCDなのだ。ベートーヴェンの8番は、まさに驚異的。熱狂的演奏であるわけでもないし、重厚な演奏であるわけでもない。鋭い演奏であるわけでもない。何がすごいかというと、音楽の息づかいである。第1楽章を聴き始めてすぐ気がつくのだが、音楽が自分で呼吸しているような生々しさを感じる。それはケンペによるテンポ設定の妙によるものだが、人間が微妙に間合いを取りながら指揮を行っているというよりは、音楽が生き物のように呼吸していると思わずにはおれない。私はこのような演奏がどうして可能になったのか、このCDを聴く度に溜息をつきながら考え込んでしまう。指揮者の力さえあれば、ここまで表現することが可能なのだろうか。バイエルン放送響の技術をもってすれば、指揮者の棒にぴったりついていくことなど造作もないだろうが、機械的な雰囲気は微塵もない。ライブだから、ということもできるだろうが、あまりの生々しさに私は恐くなる。

 この海賊盤では弦楽器の分離が今ひとつなので、私は一度正規盤を聴いてみたいと思っているのだが、正規盤を目にする時はいつも手許不如意で、買える状態にある時には在庫がない。この海賊盤も鑑賞に困る音質ではないが、正規盤はマスターテープからきちんとリマスタリングしているだろうから、さぞかしいい音がしていると思う。正規盤をお持ちの方々の試聴記をいただければ幸いである。

 

参考盤 その2

CDジャケット

 交響曲第8番の全曲が収録されているわけではないのだが、こんなCDがある。

クリュイタンス
交響曲へのお誘い
クリュイタンス指揮ウィーンフィル
録音:1958年12月


収録曲

  • ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」より第1楽章
  • モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550より第1楽章
  • チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36より第3楽章
  • メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」より第4楽章
  • モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」より第1楽章
  • ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」より第2楽章
  • ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93より第2楽章
  • チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」より第3楽章
  • リスト:交響詩「前奏曲」

クリュイタンス指揮ベルリンフィル
録音:1960年11月
EMI(国内盤 TOCE-9244)

 このCDは、「交響曲のお誘い」というありふれた名曲アルバムとして企画されているのだが、正真正銘の名演揃いである。交響曲の断片だけを聴くというのは私の好むところではない。できれば全曲を通して聴きたい。そんな私でもこのCDばかりは大好きなので、すぐに取り出せる場所に収納している。

 収録曲の中でも、とりわけベートーヴェンの交響曲第8番の演奏は忘れがたい。第2楽章の演奏が収録されているが、これは短い楽章だから、わずか3分47秒しかない。しかし、その麗しい響きは一度聴いたら病みつきになるほど強烈な魅力を持っている。それこそ、「時間よ、止まれ」と言いたくなるほどだ。

 第2楽章は、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンが時計の秒針を刻むような音で開始される。そのサウンドからして豊かな香りを湛えている。第1バイオリン、第2バイオリンがすぐに第1主題を奏で始めるが、それも実に優雅な響きだ。ビオラ、チェロ、コントラバスが入ってくると、軽やかだが、しっかりと気持ちよい低音を響かせてくれる。さらにフルートが加わると、天に舞い上るような幸福な気持になってくる。私はこのCDの、特にこの楽章だけを聴くことが多い。いつ、何回聴いても魅力が失われない。

 これほど魅惑的なサウンドは、ウィーンフィルの録音でもなかなか聴かれないものだろう。私見では、EMIの録音技術は決して他の大レーベルを超えていない。70年代以降のEMI録音は耳を塞ぎたくなるほど硬質だったりする。それなのに、1958年という古い時期に録音されながら、このCDはウィーンフィル黄金期のサウンドと、ムジークフェラインザールの豊かな響きを完全に捉えているように思われる。にもかかわらず、有名な「200CD ウィーンフィルの響き」(立風書房)にこのCDは紹介されていない。私だったら必ず取りあげるのだが....。もしかしたら、ただのコンピレーション(切り張り)アルバムだと思われていたのかもしれない。もったいないことだ。

 

(2001年1月31日、An die MusikクラシックCD試聴記)