スウィトナーのブラームスを聴く

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CDジャケット

モーツァルト
歌劇「魔笛」序曲 K.620
ブラームス
交響曲第1番ハ短調 作品68
スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン
録音:1988年6月13日、サントリーホールにおけるライブ
ALTUS(国内盤 ALT024)

 スウィトナーは頻繁に来日し、日本のオケを振り続けた。が、そのためにかえって有り難みが薄くなり、とてもいい仕事をしていたにもかかわらず、神格化されるには至らなかった。特にモーツァルト演奏で知られていたスウィトナーであったが、それだけではなかったようだ。最晩年に神格化される指揮者に共通のレパートリーであるブルックナーにおいても、スウィトナーは立派な録音を残している。私はスウィトナーのブルックナー演奏は、神格化された老指揮者達のそれに引けを取らないと思っているのだが、いかがだろうか?

 スウィトナーは、ブラームスにおいても80年代に手兵シュターツカペレ・ベルリンとともに大変聴き応えのある録音を残している。80年代には、もしかしたらこの名指揮者も疲れを見せたこともあっただろうが、全4曲が名演奏だ。シュターツカペレ・ベルリンの音もとても魅力的で、木管が浮かび上がって聞こえるところなど、今も変わらぬこのオケの特徴を感じさせる。

 さて、そのスウィトナーのライブ録音がこれなのだが、この指揮者とオケによる重厚な演奏が聴ける。スタジオ録音でも充分立派な演奏だったので、ライブ盤もいいだろうとは予想していたのだが、燃焼度は全く違っている。これは音楽がホールの聴衆相手に演奏されるものだということを如実に示していて、興味深い。音楽は大きなスケールの中で深く呼吸し、うねっていく。実は、モーツァルトの「魔笛」序曲とはうって変わって、ブラームスでは最初から指揮者やオケの意気込みが違っているように聞こえる。

 スウィトナーは、気合いを入れて、聴衆に訴えかけている。今年(2002年)バレンボイムと来日したシュターツカペレ・ベルリンは、軽量級で、あろうことか爽やかな!ブラームスを聴かせたが、88年当時はドイツの質実剛健さを強く感じさせる重厚な演奏を聴かせている。低音の支えの上に木管楽器が浮かび上がるスタイルは伝統的なのかもしれないが、その低音の支えがとてもしっかりとしているし、音に厚みがあるので、オケの響き、音圧を堪能できる。88年といえば壁の崩壊前だから、これはシュターツカペレ・ベルリンの古き良き時代を立証する貴重な歴史的録音といえるだろう。

 オケの音色も良く捉えられていると思う。全般的に、会場で聴くような音が聴けると私は思う。というのは、よくありがちな、左右に音が分離して、ステレオ効果抜群の音にはなっていないのである。コンサートで聴くオケの音は大体真ん中に音がまとまって聞こえる。まとまって聞こえはするが、各楽器の音はしっかり分離して聞こえるのである。このCDはそうしたところまで意識して作られているのかもしれない(勘ぐり過ぎかな?)。

 このブラームスの第4楽章後半で、スウィトナーは息せき切ったような強力激烈なドライブをかける。オケはそこで爆発的状態になり、一挙にコーダに突入する。いかにもありそうなシナリオだとは頭で分かっていても、かなり興奮する。多分サントリーホールでは大変な音で鳴り響いたに違いない。私は「ああ、良い演奏だったなあ...」と最後の和音の中で思ったのだが、そこからがいけない。びっくりするような大きな音で拍手とブラボーが! それは舞台左手から聞こえる。かなりステージに近い席からなのか、あるいは声楽の経験がある人から発せられたからなのか、よく通るすばらしい声だ。いい気持ちで聴いていた私はややフライング気味のこの拍手とブラーボーに冷水を浴びせられたような気になってしまった。さすがに編集段階ではカットできなかったのだろう。これがあるのを知って聴くとまだいいのだが、初めて聴くとびっくりし、本当に怒りを覚えるだろう。このCDのどうしようもない欠点だ。

 東京の聴衆は何とかならないものか。上京してコンサートに行き始めた頃から、私は音楽の余韻をぶち壊しにする拍手やブラボーに閉口してきたが、どこかで撲滅キャンペーンを張るべきではないか? 高い料金を払って聴きに来た他の聴衆を、一体ブラボー野郎とコンサートの主催者はどう考えているのだろうか。

 

2002年3月22日、An die MusikクラシックCD試聴記