リムスキー・コルサコフ
交響組曲「シェエラザード」作品35
ボロディン
交響詩「中央アジアの草原で」
バラキレフ
イスラメイ
ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管
録音:2001年11月23-25日、マリインスキー劇場
PHILIPS(国内盤 UCCP-1060)
私は、ゲルギエフの録音がすべてすばらしいと思ったことはない。1・2度聴いて、その後2度と聴いてみたいと思わなくなったCDもある。だが、ここしばらくの間、このマッチョマンの仕事っぷりは一体どうしたことだろうか? 超多忙な日常の中で、どうしてこれほど高い仕事の質を維持できるのだろうか?
多分ゲルギエフの「シェエラザード」は、この曲の録音史を大きく変えることになるのではないか? 同じ旋律がずっと登場するこの曲の演奏はややもすると平板になりがちで、私は今までこの曲のCDを聴いていて居眠りをすることが多かった。が、ゲルギエフ盤の登場は私の目を覚ますのに十分であったし、今後このCDを聴く人の度肝を抜くのではなかろうか?
演奏はこの人のマッチョな風貌そのままで、極めてダイナミックである。ゲルギエフは冒頭のトロンボーンからテンポを落とし、強奏させる。ゆったりとしたテンポの中で繰り広げられる音楽は馬鹿みたいに力強く、しかも、パワーにまだまだ余裕がありそうな気配さえ感じられるという恐るべきもの。いきなり冒頭部分で聴き手の胸ぐらをつかんだ後、面白いことに、ゲルギエフはそのまま驀進するのではなく、ヴァイオリンソロに主役を譲り、沈潜していくのである。「シェエラザード」にはヴァイオリンソロを始め、木管楽器による魅惑的なソロが多数あるが、それがまた嵐の前の静けさの中で行われているような静謐感をともなっている。圧倒的なパワーと静謐感の両方を実現した演奏といえるだろう。そうなると、平板さなどあり得るはずもなく、次の展開に耳をそば立てることになる。
ゲルギエフが本領をもっとも発揮するのは、第4楽章である。ゲルギエフはオケに爆発的なパワーを漲らせたまま速いテンポで進めていくのだが、ここは乱痴気騒ぎの一歩手前である。私はその間、不安な気持ちに駆られたが、それがこの第4楽章を聴くカタルシスのもとになっている。何となれば、その後に続く金管楽器による難破シーンはぐっとテンポが落ちて壮大そのもの。ここは先行する乱痴演奏?効果によっていっそう引き立てられるのだ。この部分の壮絶さは聴いていただかないと分からないだろう。聴き手にだめ押しをするように金管楽器の咆哮が襲いかかる。そもそもこのような激しく、無茶苦茶強力で繊細な、さらに恐るべき演奏をスタジオ録音でやってしまうというのは信じがたい。この人は手堅くまとめるということなどきっと念頭にないのであろう。このようなCDが出てしまったからには、この曲のライブ盤を誰か別人が出しても容易なことでは乗り越えられそうにない。
なお、録音会場はペテルスブルクのマリインスキー劇場だが、この録音で聴く限り、残響も豊かで優れたホールのように思われる(本当はどうなのかな?)。ヴァイオリンの水の滴るような音色なども見事に収録されている。PHILIPSの録音スタッフの力もあったのだろうが、録音にも十分満足できた。演奏、録音とも今年の大きな収穫といえるだろう。
ただし、ボロディンの「中央アジアの草原で」は嵐のような「シェエラザード」の後で聴いてしまうと、特にすばらしいとは思えない。このCDに、無理に他の曲を入れて時間を埋める必要はなかったのではないかと思う。
(2002年8月18日) |