ラトルのベートーヴェン交響曲全集を聴く

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CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲全集
ラトル指揮ウィーンフィル
録音:2002年4月29日〜2002年5月17日、ムジークフェラインザール
EMI(輸入盤 7 24355 74452 4)

 ラトルによるベートーヴェンの交響曲全集がついに発売された。オケは手兵ベルリンフィルではなくウィーンフィルで、短期間に集中的にライブ録音されている。使用楽譜はベーレンライター版。これほど話題性に富み、実際に聴き応えのあるCDは今年は現れない可能性がある。演奏は聴き手の*好き・嫌い*を別にすれば非常に刺激的あるいはユニークであるから、おそらくこの5枚組CDを買えば、短くても3ヶ月から半年は十分楽しめるだろう。もしかしたらもっと長くなるかも。

 はじめに白状しておくが、私はこのベートーヴェン全集に大変困惑した。私は15歳からクラシック音楽を聴き始め、それから惰眠をむさぼるうちに4半世紀が経過したが、よもやこの年になった時ベートーヴェンがこのような姿で目の前に現れるとは想像もしていなかった。ラトルはベーレンライター版を使用しているだけではなく、ウィーンフィルにピリオド奏法を徹底させているらしく、やや乾いた響きによるベートーヴェンを聴かせる。しかも、仄聞するところによれば、ベーレンライター版にラトルは独自の解釈でアクセントをつけたりしているらしい。もう刺激的で刺激的で、なかなか落ち着いて聴いていられないのである。

 面白いのは、乾いた響きとはいいつつも、全体的には極めて重厚な演奏となっていることだ。おそらく、通常の古楽演奏団体ではこうはいかないだろう。交響曲第1番から重量感溢れる演奏になっているし、交響曲第3番「エロイカ」は超重量級と呼んでしまって差し支えないと思う。ラトル指揮のウィーンフィルが聴かせる音量のダイナミックさは激しいし、各楽器がそれこそ即興的にきらめくフレーズが続くので、聴いていて飽きることはまずない。「第九」の第2楽章の激烈さには驚愕する。

 交響曲第5番についてはラトルは、ウィーンフィルと既にライブ録音によるCDを世に問うていた(2001年9月10日に書いた駄文ご参照)。今回の全集ではその録音が加えられたのではなく、全くの新録音である。それも、解釈は旧盤をより先鋭にしたものである。私は旧盤のレビューの中で、極めて先鋭的と書いたのだが、それを上回っているのである。ラトルはウィーンフィルというオケを使うことによって自分の解釈をより徹底的に突き詰めていったのではないかと思われる。

 話は戻るが、ラトル盤はかつて我々が馴染んできたベートーヴェン像とは全く異なる世界を見せてくれるようだ。どの交響曲を聴いていても、1分以上驚きがない演奏がない。「え?今のは何?」という驚き、新たな発見がずっと続く。それこそ交響曲第9番のラストまでぎょっとするような違いを見せてくれる。長く伝統的スタイルによるベートーヴェンに親しみ、それが正統的なベートーヴェンだと信じている人が聴けば、少なからずショックを受けると思う。実は、私もショックのあまり、この全集録音をどう評価すべきか最初悩んでしまった。

 我々を考えさせるのは、ラトルがウィーンフィルでこのような演奏を行ったことだ。伝え聞くところによれば、このベートーヴェン全集の企画はウィーンフィルからラトルに対して提案されたものらしい。ラトルから、ではなく、ウィーンフィルから、である。こうした演奏が他のオケで行われた場合、極めて中途半端なものになったのではないか、と我が友人もいう。彼によれば、ウィーンフィルというオケがあったればこそ、ここまで徹底した演奏が可能になったのである。多分そうなのだろう。なにしろ、このCDを聴けば伝統的なスタイルとは何なのかとか、ピリオド奏法とは何なのかとか、ウィーンフィルとは何なのかとか、様々なことを考えはじめてしまう。きっとこのCDをこれから聴くあなたもそうなると思う。そこまで強力な印象を与えるCDは今時貴重この上ない。はじめに申しあげたように「好きか・嫌いか」は別にして、一度は聴いておくべき演奏だろう。

 もしかしたら、ラトルは手兵ベルリンフィルで、全く異なる企画によるベートーヴェン全集を作るかもしれない。今回これだけ刺激的なベートーヴェン全集を作ったラトル、次にどんなことをするのか楽しみになってくる。

 

2003年3月17日、An die MusikクラシックCD試聴記