モーツァルト
ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271「ジュノム」
ピアノ:グルダ
ブラームス
交響曲第1番 ハ短調 作品68
カール・ベーム指揮バイエルン放送響
録音:1969年9月30日(モーツァルト)、10月2日(ブラームス)。ミュンヘン、ヘルクレスザールでのライブ録音
ORFEO(輸入盤 C 263 921 B)
いろいろなCDをとっかえひっかえしてクラシックCDを聴いているこのページの読者なら、時折、聴き馴染んできた曲に対する認識を全く新たにさせられるCDに巡り会うことがあるだろう。私の場合、最近このORFEOのCDがそうだった。
・・・とここまで書くと、「伊東がベームのブラームスを褒めるに違いない」と予想するだろうが、そうではなくて、私が書きたいのはグルダの弾くモーツァルト演奏の方なのである。ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」という曲を心から名曲だと思い知ったのは、この演奏を知ってからである。このCDを聴いていると、まずグルダのピアノに驚嘆し、ついでモーツァルトの音楽の奥深さに打たれる。「なぜこんなにきれいな音がピアノから発せられるのか? どうしてこんなにきれいな音楽になってしまうのか?」と自問自答し、モーツァルトの音楽のあまりの美しさに陶然とする。全曲を通して聴いてもたかだか30分のこの曲は、聴いているととても儚い。ずっと聴いていたいのに、どの楽章も10分程度で終わってしまう。短調で書かれた第2楽章も、その儚さゆえにとても短く感じられる。
その第2楽章「Andantino」の演奏はもしかすると、情緒的に過ぎると感じる人もいるかもしれないが、一音一音が情に流されて弾かれているというのではなく、グルダが「こうでなければ」と確信を持って弾いているように感じられる。「木を見て森を見ず」という表現があるが、この演奏の場合、グルダのタッチが洗練の極みに達しているので、その「木」を一つ一つ見るだけでも価値があり、しかも倦むことがない。さらに、森として見た場合も、その繊細な美しさは比類がないのである。
ベーム指揮のバイエルン放送響はグルダのピアノを全く邪魔しない見事な伴奏。オケのバランスといい、品の良さといい、申し分がない。ひょっとしたらORFEOがそういう音作りにしたのかもしれないが、もしそうだとしても、こんな音にしてくれたことに私は感謝したい。
グルダはアバド指揮ウィーンフィル及びアーノンクール指揮コンセルトヘボウ管とモーツァルト後期のピアノ協奏曲集を残しているが、それらのどれと比べてもこの録音は優れている、と私は思い込んでいる。
なお、私はグルダの演奏を聴いただけで完全に満足してしまったので、ブラームスの交響曲から特に強いインパクトを得られなかった。世評が高い演奏だったりするかもしれないが、何卒ご容赦ありたい。 |