胸が熱くなるシューベルト&みどりの冴えるヴァイオリン

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CDジャケット

シューベルト
ピアノ五重奏曲イ長調 D.667「ます」
アルペジオーネ・ソナタイ短調 D.821
ノットゥルノ変ホ長調 D.897(ピアノ三重奏のためのアダージョ)
フォルテピアノ演奏インマゼール
チェロ演奏ビルスマ
ラルキブデリ
録音:97年 SONY

 最近日本先行発売のCDが増えた。輸入盤が入るのが3ヶ月先だったりする。安くて音質がいい輸入盤しか買いたくない私としてはたいていは輸入盤が出るまで待つのだが、時たますごく良さそうな新譜が出てくるので、大変頭を悩ませてしまう。このインマゼールのシューベルトも待ちきれなかった!そりゃそうだろう、インマゼールがビルスマ率いるラルキブデリ(古楽器による演奏家集団)と一緒にシューベルトを演奏、しかも「ます」と「アルペジオーネ・ソナタ」のカップリングときたら誰だって待てない。ああ、SONYの術中にまんまとはまってしまった。しかし、買って良かった!すごく良かった!こんなも音楽を聴いて胸が熱くなるような思いをしたのは久しぶりだ。

 「ます」。「私が選ぶ名曲・名盤」にはあえて入れなかった曲だ。余りに屈託のない明るい曲なので「どうかな?」と二の足を踏んだのだが、考えを改めた方がよさそうだ。やはり名曲で、聴いていてこんなに楽しくなる曲はそうざらにはない。シューベルトの明るく楽しいメロディーがたくさん聴けて、いい気持ちになってしまう。そうした曲の雰囲気にこのCDの演奏は実にぴったり。まったく「ます」とは関係のない第1楽章からして、ますが水面に飛び跳ねてくるような躍動感があるうきうきとした演奏だ。演奏している面々も楽しみながら演奏しているに違いない。スタジオ録音なのに、こんな演奏ができるとは!ああ、ライブで聴けたらどんなにいいことか。

 「ます」に続く「アルペジオーネ・ソナタ」。これもいい。過度にしっとりした演奏でないところが好感が持てる。現代のチェロで弾けばそれこそ深く陰影のある音色を聴かせただろうが、ここでビルスマは「チェロ・ピッコロ」という1700年頃にチロルで作られた古楽器を使っている。この楽器はチェロ・ピッコロという名のとおり軽い響きがしているだけでなく、シューベルトの歌を奏でるのにとても自然な感じがする。

 だが、最大の聴きものはわずか10分の「ノットゥルノ」だ。かつてこの曲は「いくらかのコントラストと転調を持つだけの、異様にも空虚なアダージョ(シュヴァイツァー)」と言われていたそうだ。そんな馬鹿な!確かに単純と言えば単純な曲だけど、これほど暖かい曲があろうか。シューベルトが心を込めてこの麗しいアダージョを作ったであろうことは聴けば誰でもわかるではないか!私はこのCDを聴き進み、「ノットゥルノ」まで来たところで胸が熱くなってしまった。もし冬の寒空の中でこのプログラムどおりのコンサートが催され、アンコールに「ノットルノ」を聴いたら聴衆は全員幸せな気分に浸って家路に向かうことはまず間違いない。CDを作る際にはこの曲を入れなくたって支障はなかっただろうに、誰かがこのアダージョを入れたのだ。誰だろう? インマゼールか、ビルスマか、プロデューサーか?誰にせよこれはすばらしい音楽の贈り物だ。我々はその人に感謝しなければならない。 

 

 

CDジャケット

チャイコフスキー
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
ショスタコーヴィッチ
ヴァイオリン協奏曲イ短調作品99
ヴァイオリン演奏五嶋みどり
アバド指揮ベルリンフィル
録音:95,97年 SONY

 五嶋みどり。実は呼び捨てにしたくないのだが、他の演奏家との公平性を考えて、あえて呼び捨てにする。彼女は私が尊敬する日本人である。天才であるからという理由だけではない。このうら若い女性の生き方がすばらしいと思うからだ。ご存じの方も多いと思うが、彼女は92年5月に「みどり教育財団」を設立、無料で小学校や病院などを回ってレクチャーコンサートを行っている。みどりは1971年生まれであるから、わずか21才でこのような活動を開始したわけだ。普通ではできないことだ。その年齢の私はまだ親のすねをかじるただの小僧であった。

 かつてテレビでみどりの活動の模様と、このCDに収録されているチャイコのコンチェルトが同時に放送されたが、それはクラシック音楽をコンサートに行くお金がなくて行けないという恵まれない子供たちに聴かせたいというみどりの思いがひしひしと伝わってくる充実した内容であった。

 そんな私の尊敬する五嶋みどりが演奏するCDだからもちろん買わずにはいられない。

 さて、演奏についてなのだが...。これまでの書きぶりでもおわかりかもしれないが、私は音楽を聴く前に人間としての五嶋みどりが好きなので平常心では聴けない!これは困った!このチャイコフスキーが始まると、いくら天才とはいえあの小さな体でアバド指揮のベルリンフィルを相手に堂々と演奏する姿を思い出してしまい目頭が熱くなってくるのである。このような聴き方に問題があるのは承知している。私が聴いているのは音楽ではなくて、「人」になってしまっているからだ。これはどうすればいいのだろうか?

 仕方ないので、心を鬼にして演奏について書くことにする。実はこのチャイコ、テレビで見た時もそう思ったのだが、どうも洗練されすぎている。ちょっと線が細い感じも拭えない。この曲はかつてハンスリックが「臭ってきそうな曲だ」とこき下ろしたことで知られているのだが、実はハンスリックは正しくこの曲を把握している。さすがというしかない。私も、ちょっと言い過ぎかもしれないが、まさに「臭ってきそうな演歌」がこの曲だと理解している。だが、これはどうもそういう演奏ではない。高度な技巧と洗練さが売り物のみどりのヴァイオリンだが、ここでは裏目に出たような気がする。伴奏を勤めるアバドも「臭ってきそうな」演奏はまずしない人だろうから、このようになったのだろうが、私としてはやや物足りない。

 しかし、しかしである。このあとに収録されているショスタコを聴くと、そんな不満は飛んで行ってしまう!演奏、録音ともにこちらの方が明らかにいい。

 ショスタコの曲は相変わらず暗く圧迫感のあるイントロで始まるのだが、みどりの技巧とベルリンフィルの完璧な伴奏が見事にマッチしていてすばらしい。第4楽章まであるこの曲のどこをとっても生々しい生命力が宿っていて、みどりの艶やかなヴァイオリンの音色と高度な技術を堪能できる。これは名演だ。

 このCDを買う人はまず間違いなくチャイコを目当てにしていると思うが、このショスタコを聴くべし。メインはショスタコだと思っても間違いではなかろう。静寂の中に展開される鬼気迫るすごい演奏が聴ける!やっぱりみどり、ほれぼれするねえ!

 

1998年11月9日、An die MusikクラシックCD試聴記