ゼルキンのピアノに浸る

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CDジャケット

シューベルト
即興曲 D.935 作品142-4
バッハ
カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに当たって」変ロ長調BWV992
ベートーヴェン
ピアノソナタ第23番ヘ短調「熱情」作品57
ブラームス
ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ 作品24
メンデルスゾーン
ロンド・カプリチオーソ ホ短調作品14
ピアノ演奏:ルドルフ・ゼルキン
録音:1957年
ERMITAGE(輸入盤ERM 110-2)

 1957年5月22日、ルガノでのライブ。全く期待せずに買ったCDであった。山野楽器で確か780円で売っていたので、ダメモトで買ったのである。まさか、この値段で、こんなすばらしい演奏を聴けるとは夢にも思っていなかった。ピアノの歴史を飾る名曲ばかりが並んだコンサートであるのも珍しい。これだけの内容のコンサートであることは、当時ゼルキンが心身共に絶好調であったことを示して余りあるだろう。

 演奏は徹頭徹尾大変詩的である。大曲を演奏しながらも、詩情が横溢し、大変ロマンチックだ。バッハの演奏においてさえロマンチックである。バッハをロマンチックに弾くこと、さらにいえばピアノで弾くことの是非はいうまい。これほど説得力がある演奏であるならば、何の問題もない。

 CDのプレイ・ボタンを押すと、まずシューベルトの即興曲が始まる。いきなりハイスピードの演奏で驚く。それはそれで面白いのだが、違和感が感じられた。解説を読むと、作品142の即興曲第4番の前に同じく作品142の第2番が演奏されていたという。なるほど、ゆったりとした第2番の後で変化をつけてハイスピードで演奏していたのだと分かる。もしその第2番がCDに収録されていたとすれば、このCDの価値はさらに高まっていただろう。惜しい。このCDの収録時間は75分。さらに6分を要する第2番を入れることはできない。制作者もきっと悔しがったに違いない。

 解説によると、プログラムはこのCDの順番だったらしい(この解説もなかなか詩的である。どうやら制作者がゼルキンの演奏に惚れ込んでしまったようだ。)。ベートーヴェンにブラームスの大曲を演奏し、最後にアンコールのようにしてメンデルスゾーンの「ロンド・カプリチオーソ」で終わるが、これもまたAndanteの部分とRondoのハイテンポに分かれている。めくるめくスピードの中で終わるRondoの後では大きな拍手が待ちかまえている。詩情と共に「緩・急」の対照がプログラム全体に徹底しているようだ。

 詩情が溢れているといえば、ベートーヴェンの「熱情」が大変特徴的である。ベートーヴェン弾きとしてならしたゼルキンも「熱情」ではミスタッチが続発するが、それを補って余りある歌い込みがあり、詩的であり、ロマンチックである。暴力的なダイナミズムが全くない演奏で、ゼルキンの演奏は一般的なこの曲の受容のされ方に対して、疑問を投げかけているようにも思える。聴き慣れた曲の全く違う一面を見せてくれる名演奏である。ミスタッチなど、どうでもよくなる。

 ブラームスもフーガまでの歩みが味わい深い。表情の多彩な変化により、変奏曲の醍醐味を味わえる。こんなすばらしいコンサートが、わずか780円で追体験できるとは。モノラルながら、音質は最高級。これで文句を言う人はまずいないだろう。非常に鮮明にピアノの音と、いくばくかのゼルキンの(有名な!)唸り声が収録されている。

 

1999年4月26日、An die MusikクラシックCD試聴記