クーベリック若き日の演奏

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CDジャケット

モーツァルト
交響曲第35番ニ長調KV.385「ハフナー」
録音:1961年
シューベルト
交響曲第4番ハ短調D.417「悲劇的」
交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」
クーベリック指揮ウィーンフィル
録音:1960年 新星堂/EMI

 新星堂の企画による「栄光のウィーンフィルハーモニー管弦楽団」シリーズの一枚。原盤はEMI。

 まずジャケット写真にびっくり。お茶の水博士のようなヘアスタイルになったクーベリックしか知らないと、とても違和感があるだろう。録音当時、クーベリックは40代半ばだったから、まだ髪の毛がこのくらいはあったのだろう。

 それはさておき、クーベリックは私が非常に敬愛する指揮者である。このホームページの「私が選ぶクラシックの名曲・名盤」の中でもベートーヴェンの交響曲全集とモーツァルトの後期6大交響曲集は結果的にはクーベリックの演奏を推薦してしまった。ムラがなく最高水準の演奏揃いで、繰り返し聴くに足る演奏だからだ。もっとも、恥ずかしい話だが、実はいずれも最初は良さが分からなかった。ベートーヴェンは最初一度聴いただけで、しばらくほったらかしにしていたし、モーツァルトは最初平板な演奏だと思った。なぜか。私の理解力が足りなかったのが最大の原因であることはいうまでもないが、クーベリックは大衆受けする演奏を全くしていないから、真剣に聴かないと良さが分かってこないのである。派手な演奏、刺激的な演奏はクーベリックにはない。しかし、地味でも演奏の質は極めて高い。常に音楽の自然な流れが感じられるし、楽器間のバランスがすばらしい。ひとたびクーベリックの音楽が分かり始めると、今度はその音楽を手放せなくなる。奥の深い指揮者だ。噛めば噛むほど味が出てくるスルメに似ているとも言える。

 さてこの録音。CDに付いていた「たすき」には”クーベリック=ウィーンフィルの安定した豊かな響きが「ハフナー」「未完成」の大きな満足を呼ぶ”と書いてあった。売り文句としてはそうだろう。カップリングされているのに売り文句の中で言及されていないシューベルトの4番は「悲劇的」というニックネームが付いてはいるが地味な存在である。キャッチフレーズに入れる気にもならないのだろう。

 が、このCDで最も面白いのはこの「悲劇的」である。クーベリックはウィーンフィルの高い合奏能力を最大限に活かし、実に彫りが深く密度が高い演奏をしている。

 第1楽章は緊張感の中に悲愴な情緒が横溢していて、すばらしい。第2楽章ではシューベルトの歌の世界が憧れをもって表現されている。大変感動的だ。指揮者とオケの両方の美質が幸福な出会いを見せたケースだと思う。

 第3楽章では弦楽器の猛烈に分厚い、そして鋭い入りに驚く。このCDの演奏全体に言えることだが、ウィーンフィルの弦楽器群の響きには本当に驚く。ある時は信じがたいほど分厚い響きを出したかと思うと、またある時は絹のような繊細な音まで幅広く表現する。単純なリズムを刻む時でさえ、生き生きとした音が聞こえてくる。もはや壮観としかいいようがない。この録音だけで判断する危険は承知しているが、今のウィーンフィルよりもずっと優秀なのではないだろうか?

 第4楽章。手に汗握る白熱の演奏。オケは絶好調のようで、もし目の前で演奏しているのを見れば、音楽が今生まれ、生命が宿っていく様を体で感じてしまうだろう。これはいい。すばらしい演奏だと思う。

 モーツァルトの「ハフナー」。晩年にバイエルン放送響と録音した演奏も充実した演奏であったが、こちらは若いクーベリックの溌剌とした姿が彷彿とされる名演である。特に両端楽章はスタジオ録音とは思えないノリで、実に躍動感に富んでいる。晩年の演奏とは違い、ややアクセントが強く、ダイナミックスが大きい演奏だとも言える。ウィーンフィルがこの曲でもすさまじい演奏を繰り広げていることはいうまでもない。

 最後に「未完成」。これはどうしたことか。ちょっと指揮者の存在が希薄な演奏だ。表面だけ見ればかなり激しい演奏のようにも感じられるのだが、ウィーンフィルなら「未完成」を指揮者なしでこのくらい高水準の演奏は可能だろう。クーベリックの気分が乗らないうちに録音セッションが進行したのかもしれない。

 

1999年2月9日、An die MusikクラシックCD試聴記