ムラヴィンスキー指揮ショスタコーヴィチの交響曲第8番

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CDジャケット

ショスタコーヴィチ
交響曲第8番ハ短調作品65
ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル
録音:1960年
BBC LEGENDS(輸入盤 BBCL 4002-2)

 私は非常に暗い高校生であった。本当である。その証拠に、一時、ショスタコーヴィチの交響曲第8番にはまってしまい、毎日毎日聴き続けていたのである。誰の演奏かはもう忘れてしまった。でもよく聴き続けたものだ。これほど暗い曲を毎日聴くのは結構辛い。にもかかわらず、恐いもの見たさに近い欲求が働くのか、どうしても聴きたくなる。何とかこの陰々滅々とした音楽と離れることができてからは、もう近づくまいと堅く心に誓った。しかし、BBC LEGENDSからこのCDが出たときは、困ってしまった。どうしてもまた聴きたくなるのである。聴いてみて、また病みつきになりそうになったので弱った。それはともかく、ムラヴィンスキーによるこの超絶的演奏は、私が高校生の頃聴いていた演奏とは演奏のレベルにおいて、おそらくは雲泥の差がある。

 さて、これは極めて歴史的価値が高い記録である。1960年9月23日、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールにおけるライブである。交響曲第8番のイギリス初演でもある。指揮をしているムラヴィンスキーはイギリスでの初演どころか、作曲家から交響曲第8番の献呈を受けており、しかも世界初演を担当している。ムラヴィンスキーにとっては自信満々のプログラムであっただろう。

 その自信の程は演奏にはっきりと現れている。どこにも曖昧さがない。緩みがない。贅肉がない。ムラヴィンスキーの真骨頂を味わうには打ってつけの演奏である。しかし、おそらくロンドンの聴衆は交響曲第8番がこれほど暗く、恐怖に満ちた音楽であったとは知らなかったのではなかろうか。知っていて聴きに来ていたのであれば、一体どんな気持ちで家路についたのであろうか。完全に打ちのめされ、落ち込み、暗い気持ちになって帰ったに違いない。

 ムラヴィンスキーは情け容赦もなく、この交響曲の真の姿をさらけ出している。やろうと思えば、もっとソフトに演奏することだって可能だったろう。にもかかわらず、ムラヴィンスキーは音楽の本質に迫り、心臓を鷲掴みにし、その血の滴る姿を見せつけている。音響面もただごとではない。強奏部分では地獄の使者が現れたような気がする。また、静寂が続くと、周りに死体が転がっていそうな気配になる。これでは聴衆はたまったものではない。「ソ連のオケが来たから聴きに行くか?」などと軽い気持ちでロイヤル・フェスティバル・ホールに足を運んだ聴衆は、恐怖シーンが連綿として続くこの交響曲を聴かせられて、ほとんど金縛りになったのではなかろうか。

 レニングラードフィルの音色はムラヴィンスキーカラーに完全に染まっていて、ブラス・セクションはまるで白刃を揃えて一斉に斬りかかる近衛兵を思わせる。近づけばあっという間に首が飛んでしまいそうだ。ムラヴィンスキーという独裁者の元で鍛えに鍛え抜かれたオケの途方もない技量には感服したいところだが、こうなると空恐ろしさを感じる。

 こんな強烈な演奏をムラヴィンスキーは生涯に何度行ったのだろうか。きっと数限りなくこのような背筋がぞっとするような演奏をしてきたのであろう。独裁者ではあったかもしれないが、ムラヴィンスキーは音楽の本質だけを抽出し、それを音にできる類い希な指揮者だったと私は思う。

 録音は60年のライブだというのに、高水準のステレオ。高音質過ぎて、左のチャンネルから特定の人物の咳が頻繁に聞こえてくる。もっとも、それはほとんど気にならなくなるほどすごい演奏である。

 なお、ボーナスCDとして、同日に演奏されたモーツァルトの交響曲第33番が付いている。しかし、あまりに強烈なショスタコーヴィチを聴いた後では、気持ちが上の空になってしまい、とても気持ちよくは聴けない。できれば、当日のプログラムどおりに(多分)、モーツァルトを先に聴くのがよいだろう。

 

1999年7月19日、An die MusikクラシックCD試聴記