ストラヴィンスキー
「春の祭典」
マルケヴィチ指揮フィルハーモニア管
録音:1951年(モノラル)、1959年(ステレオ)
TESTAMENT(輸入盤 SBT 1076)
このような組み合わせのCDは珍しい。「春の祭典」をおかわりする気にはとてもなれない人がほとんどだろうから、多分マニア向けに作られたのだろう。しかし、聴き比べというのは実に楽しい。だいいち、同じ指揮者が同じオケを振って指揮した演奏など、カラヤンの場合ならともかく、あまり制作されないのではないか?
TESTAMENT盤の解説によると、1959年盤は意外にもクレンペラーに関わりがある。絶頂期のフィルハーモニア管の録音セッションがクレンペラーの病気によりキャンセルされると、それを埋めるために急遽マルケヴィチに声がかかり、「春の祭典」の録音が敢行されたという。51年録音がモノラルであったために、ステレオで収録すれば意味があると考えられたようだ。もっとも、51年録音でも優れた録音であるから、不満はない。
さて、51年録音がよいか、59年録音がよいかという選択は今回は止めておこう。このまま「春の祭典」の話をしたいわけではないからである。
マルケヴィチについて考えたい。「春の祭典」を聴くと、知性の固まりのように見えるマルケヴィチが野蛮な音楽を奏でることに驚く。いかにも端正な音楽を作りそうに見えながら、そうではなく、原始の響きを徹底的に表現しようとしている。TESTAMENT盤ではこれ以上の時期は考えられないと言ってもよいほどのフィルハーモニア管の絶頂期の録音だけに自分の目指す音楽を音にできたのだろう。
どうもマルケヴィチは見た目とは裏腹に野蛮さが売りなのではないか。最近聴いたCDでもそうだった。
|