マルケヴィチを聴く その1

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 マルケヴィチ。1912年にキエフで生まれ、1983年にフランスで死去。名声の割にはマイナーなオケを転々としたことで知られる。理由はともかく、本当に各地を転々としたようだ。主要なものを列挙してみると、以下のとおり。

  • ストックホルムフィル(1952-1955)
  • ハヴァナ管(1957-1958)
  • モントリオール響(1956-1960)
  • ラムルー管(1954-1961)
  • モンテ・カルロ・歌劇場管(1967-1972)
  • ローマ・聖チェチーリア音楽院管(1973-1975)
  • イスラエルフィル(客演?1951-1977)

 これが指揮をした主要オケであったわけだから、実際はもっとマイナーなオケばかりであったろう。何しろ世界50カ国で指揮をしたという。もちろん、極東の島国日本にも来ている。

 そのマルケヴィチといえば、やはり「春の祭典」。これはマルケヴィチを語る際の枕詞である。古くからマルケヴィチの「春の祭典」は名盤として知られており、私がクラシック音楽を聴き始めた20数年前から評価は微動だにしていない。実際に今聴き直してみても、非常にすばらしい。いろいろな形で再発が繰り返されたようだが、TESTAMENTから出ている新旧両盤の組み合わせは大変重宝している。以下がそのCDである。

CDジャケット

ストラヴィンスキー
「春の祭典」
マルケヴィチ指揮フィルハーモニア管
録音:1951年(モノラル)、1959年(ステレオ)
TESTAMENT(輸入盤 SBT 1076)

 このような組み合わせのCDは珍しい。「春の祭典」をおかわりする気にはとてもなれない人がほとんどだろうから、多分マニア向けに作られたのだろう。しかし、聴き比べというのは実に楽しい。だいいち、同じ指揮者が同じオケを振って指揮した演奏など、カラヤンの場合ならともかく、あまり制作されないのではないか?

 TESTAMENT盤の解説によると、1959年盤は意外にもクレンペラーに関わりがある。絶頂期のフィルハーモニア管の録音セッションがクレンペラーの病気によりキャンセルされると、それを埋めるために急遽マルケヴィチに声がかかり、「春の祭典」の録音が敢行されたという。51年録音がモノラルであったために、ステレオで収録すれば意味があると考えられたようだ。もっとも、51年録音でも優れた録音であるから、不満はない。

 さて、51年録音がよいか、59年録音がよいかという選択は今回は止めておこう。このまま「春の祭典」の話をしたいわけではないからである。

 マルケヴィチについて考えたい。「春の祭典」を聴くと、知性の固まりのように見えるマルケヴィチが野蛮な音楽を奏でることに驚く。いかにも端正な音楽を作りそうに見えながら、そうではなく、原始の響きを徹底的に表現しようとしている。TESTAMENT盤ではこれ以上の時期は考えられないと言ってもよいほどのフィルハーモニア管の絶頂期の録音だけに自分の目指す音楽を音にできたのだろう。

 どうもマルケヴィチは見た目とは裏腹に野蛮さが売りなのではないか。最近聴いたCDでもそうだった。

 

 

CDジャケット

ムソルグスキー
「展覧会の絵」(ラヴェル編)
交響詩「禿山の一夜」(リムスキー・コルサコフ編)
マルケヴィチ指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管
録音:1973年
徳間ジャパン(国内盤 TKCC-15166)

 これも名盤の誉れ高いCDである。解説によると、「それまでマルケーヴィッチのあまり芳しくない評判を一掃しただけでなく、彼の録音の中で最高の出来という声もきかれたほどの話題の1枚である」そうだ。

 はじめに書いてしまうと、これは「展覧会の絵」の初めて聴く人にはお勧めできない。オケの力量にやや問題があるからだ。少なくともCDの「展覧会の絵」はシカゴ響やベルリンフィルなど、強力なオケで聴きたい。ただ、マルケヴィチの演奏で聴くと、山場が目白押しで、とても面白い。曲をよく知っている聴き手にはマルケヴィチの指揮ぶりが分かる格好のCDになるだろう。

 マルケヴィチは「禿山の一夜」を含め、この曲を録音するのに5日もかけている。容易に想像されるが、徹底的なリハーサルがあったに違いない。演奏を聴いていると、どのフレーズにも指揮者の意図が感じられてくる。「何となく」流したようなフレーズがないのである。きっと「ここはこうして、あそこはこうして」と細かい注意をしたのだろう。一聴してすぐ感じたのはそうしたきめ細かな配慮があることである。そして聴かせるべき所をきちんと作っておきながらも、それがわざとらしくないことであった。そうした演奏をするのは難しいだろう。おそらく普通の指揮者では、息苦しい窮屈な演奏になるか、見え見えの底の知れた演奏になってしまう。きめ細かな配慮がこれほどプラスに現れるとはすばらしいことだ。

 しかし、このCDの聴き物は「展覧会の絵」ではなく、「禿山の一夜」である。これは面白い。その面白さは「展覧会の絵」の比ではない。グロテスクな感じをこれでもか、これでもかと出してくる。しかも、嫌味でない。野蛮な音楽だけではなく、グロテスクな音楽に妙な適性があるようだ。オケもこちらの方が調子いい。この演奏なら初めての人でも十分楽しめそうだ。

 

1999年7月26日、An die MusikクラシックCD試聴記