シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー交響曲第9番

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非推薦盤

ブルックナー
交響曲第9番ニ短調
シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1997年 DG

 私はシュターツカペレ・ドレスデンを偏愛しているので、CDが出るとついつい買ってしまう。このブルックナーもそうだ。演奏は1997年3月、ドレスデンのゼンパー・オパーでのライブ。拍手をはじめ、相変わらずノイズはきれいにカットされている。ライブの表記がなければほとんどライブだとは分からないだろう。

 シノーポリとシュターツカペレ・ドレスデンのブルックナーは既に3,4,7,8番が出ている。8番を聴いた時にはもうこの組み合わせのブルックナーは二度と買うまいと堅く心に決めたはずなのだが、性懲りもなく買ってしまった。聴いてから改めて思ったのは、この人はブルックナーには向いていないということだ。私が思うに、この指揮者は熱血音楽(例えばシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したものではリストのファウスト交響曲)に向いているが、ブルックナーのように抽象的な音楽はまるでだめだ。この人自身は病理学的な見地からの音楽分析を売りにしているようだが、現実的には勝手に体が動いてしまうような、極端に言えば頭を使わないで演奏できる曲がいい。ブルックナーの交響曲の中でも最も抽象性が高い第9番など、彼には全く向いていない。

 録音にも不満がある。大変鮮明な音で、ライブとは思えない精妙さだ。しかし、グラモフォンが誇る4Dオーディオ・レコーディング・システムによる音作りはいただけない。どのセクションの音もてんでバラバラに聞こえてくる。全く音楽的でないのだ。このブルックナーでも弦楽器と金管楽器は全く別々に録音されたものを編集してあるように思えてならない。弦楽器だけでもバラバラに聞こえるという不気味さである。そんな演奏は実演ではお目にかかったことがない。ところが、よりによってライブを謳い文句にしているこのCDでそんな音作りになっているのだ。こんな音が最近の流行なのかもしれないが、音が死んでしまっている。いくらオケが優秀であったとしても、これではブルックナーに必要なオルガン的な響きは得ることができない。

 さて、演奏内容について。ブルックナーの9番は天才の筆が冴え渡った傑作中の傑作である。大げさな表現だが、私はこの曲は「神との対話」を表現しているのではないか。余りにも高い世界なのである。だが、シノーポリの演奏では、「神」は最後まで現れない。一体何を表現したいのかよく分からない、長いだけの演奏になってしまった。

 第1楽章:シノーポリはゆっくりとしたテンポをとって重厚なブルックナーを作り出そうとしている。重厚なのは重厚なのだが、間延びした感じがする。どうせ重厚さを出すのなら、ジュリーニ=ウィーンフィル並みに徹底的にやるべきだ。シノーポリはこの曲が好きではなかったのではなかろうか。末端肥大症的に重々しいだけで、演奏に気合いが感じられない。緩急の付け方もわざとらしい。シノーポリがやろうとしたところで成功した点はおそらく全くない。オケが力演しているだけにもったいなくなる。音響だけが空回りしているのである。シュターツカペレ・ドレスデンという名門オケを振っているにもかかわらず、情けないことだ。このオケがあればもっと宇宙的な響きを出すことだって可能なのに。

 第2楽章:このブルックナーで唯一まともに聴けた演奏。こうした音楽がシノーポリに向いているようだ。会場はシノーポリとシュターツカペレ・ドレスデンが作り出す異様な轟音が支配したことであろう。

 第3楽章:すばらしく壮麗な音響は聴けるが、最後まで聴き続けるのが辛い。だらだらし、抑揚もなく、一体何を表現したくてこの曲を演奏しているのか皆目見当がつかない。CD制作を指揮したプロデューサーはこの演奏を聴いてから市場に出したのであろうか? そもそもこのCDはなぜ作られたのだろうか。シノーポリが作りたかったのだろうか。おそらく違う。多分年に何枚かCDを作るという契約があって、その契約が単純に履行されたに過ぎないのではなかろうか。そんなルーティンっぽい印象が濃厚なCDである。

 

1999年3月8日、An die MusikクラシックCD試聴記