ターリッヒ指揮の「わが祖国」を聴く

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CDジャケット

スメタナ
連作交響詩「わが祖国」全曲
ターリッヒ指揮チェコフィル
録音:1954年
SUPRAPHON(国内盤 COCO-78733)

 クラシック音楽を聴き始めた頃、私はメジャーレーベルのスター指揮者による録音ばかりを聴いていた。お金がなかったから、下手な買い物はできない。有名な演奏家の録音であれば大丈夫だろうと安心していた。今でこそマイナーなレーベルのCDでも安心して買うようになったが、やはり最初は恐いものだ。それと、昔私が買うのを避けていたものには「古い録音」もある。要するにモノラル録音である。何も好きこのんで音の悪いモノラル録音を聴く必要などないと考えていた。そんな有様であるから、長い間私のLP、CDラックにはメジャーレーベルのスター指揮者による、ステレオ録音ばかりが並んだ。これが如何に馬鹿げたことであるか分かるようになったのはそれなりの投資をしたお陰だと思っている。であるから、現在同じような選択をしている人に、「そんな馬鹿なことは止めたら?」とは言えない。

 今回取り上げたターリッヒのCDは国内販売が日本コロムビアであるため、買う方は別に怪しげなレーベルだとはゆめゆめ思わないだろうが、今ではほとんど忘れ去られた大指揮者による古いモノラル録音である。それだけでも拒否反応を示す人がいるかもしれない。でもこのCDは現役盤としてずっと存在し続けてきた名盤中の名盤であり、今後も聴き継がれて行くに違いないのだ。今興味がなくても、そのうちにこのCDのことを思い出していただき、聴いて下されば、誰もが感嘆の声をあげるだろう。

 スメタナの「わが祖国」といえば、クーベリックが盛んに録音を重ねており、私も1971年のスタジオ録音を愛聴している。が、このターリッヒのCDはそのクーベリック盤を凌駕するほどの出来映えである。私は両方好きなので困ってしまう。片方を聴くと、もう一方も聴きたくなる。全曲を聴き通すには70分近くかかるのに、長さを微塵も感じさせないし、感動してしまう。こんな演奏を聴かせてくれる両巨匠に深く感謝したくなる。

 さて、ターリッヒの録音を聴くたびに思うのは「これは本当にライブでないのか」ということだ。聴き終わるたびに拍手をしたくなる。迫力といい、詩情といい、申し分がない。音楽が直接聴き手に訴えかけてくる。現在では録音セッションがエンジニアのパッチワークの場に堕しているが、おそらくこの録音が行われた当時は、「録音」という行為が今とは比較にならないほど重みがあったはずだ。一流の音楽家達が真摯になって取り組み、祖国の大作曲家の大曲を録音する。いい加減であったわけはない。指揮者とオケが渾然一体となって作り出す怒濤のような音楽はとてもスタジオにおける切り張りで出来上がった代物ではない。多分、ターリッヒも一曲毎に精神を集中して渾身の力を込めて指揮をしたに違いない。指揮者の感情移入が甚だしいのは言うまでもない。音楽は激情となって流れ、高ぶり、詩的に歌う。だから、とても録音の古さなどを感じている暇などない。ターリッヒは少し速めのテンポでオケをぐいぐい引っ張っていく。曲の隅々まで知りつくしているだろうチェコフィルのメンバーでも、ターリッヒの猛烈な指揮にはついていくのに苦労したかもしれない。さすがのチェコフィルといえどもバランスが最良であるとは言い切れない部分もある。「本当はライブなのではないか」といつも思わせられるのはそうした臨場感が至る所に見られるからである。が、下らないことは言いっこなしにしたい。音楽の持つ途方もない生命力が聴き手を完全に黙らせてしまう。これを聴かないのは余りにももったいない。もし時間が許すなら何度も何度も聴きたい。そんなCDである。

 

1999年5月19日、An die MusikクラシックCD試聴記