金聖響さんの「田園」を聴く

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 先日『ベートーヴェンの交響曲』(金聖響+玉木正之、講談社現代新書)を読みました。新進気鋭の指揮者金聖響さんがベートーヴェンの交響曲第1番から第9番までを1曲ずつ解説しています。音楽学者が楽曲解説をしているのとは違って、音楽を作り上げる現場にいる人の言葉が散りばめられていて大変面白かったです。金さんは本当にベートーヴェンが好きなので、自ずと語り口にも熱が入ります。この本を読んだらベートーヴェンの交響曲を全部聴き返してみたくなること必定です。

 金さんは音楽評論家に対してはっきりとした物言いもしています。少し長くなりますが交響曲第6番「田園」に関して述べられた文章を引用します。

 大オーケストラで第1ヴァイオリンの14人か16人のメンバー全員が、思い切りヴィブラートをきかせて奏でる美しさもあれば、少しピッチの低い古楽器を手にした6〜8人程度の第1ヴァイオリン奏者が、ノン・ヴィブラートで奏でる美しさもあります。じつは、私がOEKを指揮して録音した『田園』は、かなり後者に近い演奏法を採用しました。するとある音楽評論家に「気持ち悪い音色」と書かれてしまったのです。これはもはや評論でも批評でもありません。単なる好みの問題です。音楽を楽しんでいる人が、音楽を聴いていろいろな気持ちを抱き、なかにはこんな演奏は気持ちが悪くて嫌だ、と思うのは勝手ですが、同じ言葉を評論家が口にするとなると、それはもう音楽評論とはいえない行為で、悪意に満ちた中傷というほかありません。
p.140-141

 その少し後にはこう書かれています。

 もちろんベートーヴェンの音楽を楽しもうとしている皆さんは、どんな印象を抱かれようと自由です。しかし、その感想なり意見を公に発表しようとされるときは、どうか個人的な感想文でなく、誰もが納得のいく普遍的な批評や評論に昇華されるようお願いします。でないと、日本で「大家」と呼ばれている割には日本でしか通用しない音楽評論家のようになってしまいますから。

 「気持ち悪い音色」と書いた音楽評論家が誰なのか私は知りません。ですが、一体どんな音なのかと気になります。早速CDショップに走ってみました。これが件のCDです。

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第6番 ヘ長調「田園」 作品68
バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲 作品43
金聖響指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
録音:2006年1月25,26,29日、石川県立音楽堂コンサートホール
avex(国内盤 AVCL-25098)

 「田園」はセッション録音されたお陰で大変クリアな音質で収録されています。そのため、指揮者が目指した音色は明確に聴き取ることができます。

 ピリオドアプローチによる演奏であることは最初の数小節、それこそ第1音を聴くだけで明らかになります。ビオラとチェロがブーンと低音で入ると第1バイオリンがすぐさま第1主題を奏でます。クラシック音楽ファンならすぐ口ずさめるあの旋律ですね。

 面白いのはビオラとチェロで奏される出だしの音です。楽譜には p と書いてありますが、金さんはもう少し強めの音ではっきりと、しかも長めに演奏させているように感じられます。これは大変強い印象を残します。私は最初びっくりしました。しかし、そこを過ぎると、演奏自体は全曲を通し極めて清冽で、金さんが「地上に舞い降りた天国」と解説したとおりになります。OEKは小振りな編成のオーケストラでしょうが、全員腕達者で、音だけでも十分天国的です。艶やかできらきらと輝かんばかりの木管楽器のソロにはしばし聴き入ります。

 さて、なぜこのCDで聴く音が気持ち悪いのかと私は首を傾げていました。ノン・ヴィブラートだからといって気持ち悪くはありません。ピリオド・アプローチによる演奏は既に長い歴史を誇り、私たちは今さら驚き慌てることはあまりありません。むしろ、金さんが指揮するOEKをはるかに超えて違和感さえ感じさせる音に出くわしたリスナーだっていると思います。音楽評論家ならピリオド・アプローチの演奏に接するのは日常茶飯事と言えるのではないでしょうか。

 そのうちに、あくまでも私の勝手な想像ですが、もしかしたら冒頭のインパクトが強すぎて拒否反応を示したのかもしれないと考えるようになりました。実際に私も一瞬ドキッとしましたから。確かに好き・嫌いが分かれるところかもしれません。冒頭の一瞬で「気持ち悪い」となった可能性はあります。

 私は最初、金さんも変わったことをするものだ。こういう演奏はあまり覚えがないななどとのたまわっていたのですが、待てよ・・・と考え直しました。手持ちのCDをいくつか取り出してチェックすることにしました。

 まずはピリオド・アプローチの演奏から。ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(EMI、1987年)、マッケラス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィル(EMI、1987年)、アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管(TELDEC、90年)、ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク(ARCHIV、92年)などを聴いてみると、スッと第1主題に入っています。あまり意味のないチェックをしてしまったかなと切り上げようとして大指揮者時代の演奏を聴き始めると、意外にもそれらしい音が聞こえてきます。

 フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル(EMI、1952年)、クレンペラー指揮フィルハーモニア管(EMI、57年)、ベーム指揮ウィーンフィル(DG、71年)、クーベリック指揮パリ管(DG、73年)などが程度の差はあれ、ビオラとチェロの低音を響かせながら第1主題に入っています。ただし、これらはピリオド・アプローチを取っておらず、全く耳に違和感がありません。私の世代のリスナーは、こうした大指揮者達による演奏を何十年も聴き続けているのでその響きが身体に刷り込まれているのではないでしょうか。

 最も似通っていたのはワルター指揮コロンビア響(SONY、1958年)でした。弦楽器の人員と奏法の違いはありますが、実によく似ています。意外にも50年も前の録音にルーツを発見したような気になりました。その後、ピリオド・アプローチの中にも見つけました。マッケラス指揮スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ(HYPERION、2006年)がそうです。手持ちの録音をすべてチェックしたわけではありませんのでもっとたくさん出てきそうです。

 最初の音だけに聞き比べはしやすいのですが、こうして見ていくとたった1小節、いや1音の響かせ方、演奏だけでもどうするのかと指揮者が考えて指示を出していることが分かります。指揮者やオーケストラの団員は少しでもベートーヴェンに近づきたい、ベートーヴェンの音楽を再現したいと念じて演奏しているわけで、セッション録音に際してはその成果をしっかりと焼き付けておきたいと考えているに相違ありません。そうやって作り出した録音にはやはり敬意を払わなければいけないのですね。私も好き・嫌いはあります。感想を述べるにせよ、演奏家がやりたかったことに対してはその意味を考えてからの方が良さそうです。「田園」も、熱血漢の金さんによるこだわりのCDだったのだと思います。楽譜を丹念に読むだけではなく、過去の演奏もかなり聴き込んでいる金さん。面白い演奏をこれからも聴かせてくれそうです。本『ベートーヴェンの交響曲』を読み、「田園」のCDを聴いてすっかりファンになってしまいました。

 

(2008年5月3日、An die MusikクラシックCD試聴記)