ファジル・サイによるベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第23番を聴
ベートーヴェン
ピアノソナタ第23番 ヘ短調 作品57「熱情」
ピアノソナタ第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」
ピアノソナタ第17番 ニ短調 作品31-2「テンペスト」
ピアノ:ファジル・サイ
録音:2005年6月、スイス・シオン
naive(国内盤 AVCL-25092)ファジル・サイという若いピアニストがいます。大変個性的な音楽家らしく、このベートーヴェンにも聴き手を驚かせる仕掛けが満載であります。
「熱情」の第2楽章。激しい楽章に前後を挟まれた間奏曲のような音楽ですが、ここでサイは変奏のひとつひとつで聴き手を驚かせます。変奏は半ばデフォルメとも言え、強弱緩急自在のめくるめく世界を作っていき、第2楽章を非常に立体感のある曲に仕立てています。これでは間奏曲どころではありません。呆気にとられているうちに第3楽章に突入しますが、ここでも終結部近くで大見得を切るところがあり、最後の最後まで普通ではありません。しかもこのピアニストは猛獣みたいにうなり声を上げ続け、曲が終わるところでは「ぐはぁぁぁ・・・」と言っています。もう誰も止められないという感じです。穏健に聞こえるのは「テンペスト」くらいで、「ワルトシュタイン」も激烈そのものです。もちろん「ぐはぁぁぁ」がしっかり入っています。
ファジル・サイは売れっ子の作曲家でもあります。そんな人が単純にやりたい放題に暴れ回ったとはあまり思えません。本人にしてみれば、「ここはこうあるべきだ」と熟慮した上で演奏に望んだのではないかと思われます。ベートーヴェン疾風怒濤期の傑作を演奏するからにはと本人も真剣に取り組み、結果的に激烈きわまりない演奏になったのでしょう。
そのため、聴いていると奇抜なベートーヴェンだと思いつつも、ベートーヴェンの熱い息吹を如実に感じます。こういう熱烈さを彼はどうしても表現したかったのでしょう。この表現意欲がサイの場合半端ではなかったのですね。
ちょっと話が横道に入ってしまいますが、皆さんは型通りのスピーチというのをを聞いたことがありませんか? 恥ずかしながら公式の席上だと私も型どおりで逃げることがあるのですが、それをするときには決まって「これは必ずみんなに伝えておかなければ」という強い意欲がないものです。聴いている側にしてみれば退屈この上ありません。もし何か伝達しなければならないことがあれば、その方法を真剣に考え、仮に型をはずれていたとしてもそれを実行してしまうものです。
ファジル・サイのベートーヴェン演奏の激烈さや奇抜さはおそらくそういうところから来ているのだろうと私は思っています。ここまで奇抜にしなくても、彼の演奏であるならば十分立派な内容になり得たと私は思うのですが、彼はその程度では自分に満足できなかったのでしょう。
ただし、サイが今後もずっとこの路線で行くのか私はちょっと気になります。何故かといえば、やはり奇道を用いていると思うからです。彼の比類なきファイティング・スピリットを私はすばらしいと思います。しかし、奇道を用いなくても圧倒的な感銘を聴き手に与えることは可能です。例として挙げるならば、ポリーニがライブ録音した「ワルトシュタイン」がそうです。できればこの強烈な表現意欲を持ったまま常道によるベートーヴェンを聴かせてくれないものかと私は願っています。彼ならできる、と私は確信しています。
(2006年5月3日、An die MusikクラシックCD試聴記)