何に対する「熱情」か?
ベートーヴェンのピアノソナタ第23番は「熱情」という愛称で広く知られている。この愛称はベートーヴェン自身がつけたものではなく、楽譜の出版社によるものだが、言い得て妙だ。この曲にニックネームを付けるとして、これ以上ふさわしいものを私は思いつかない。
ところで、私はこの曲の存在を所与のものとして受け入れてきたが、最近ちょっと疑問を感じたことがある。なぜこのような曲が生まれたのかということである。ベートーヴェンのピアノソナタ32曲はおろか、他の作曲家のピアノ曲を見渡しても、これほど激しい感情を秘めた曲は見あたらない。ピアノ曲に限らなくても、クラシック音楽の世界でこれに匹敵する激情を内包する曲は、マーラーが現れるまで書かれなかったように思う。一体この曲を書いた頃のベートーヴェンには何が起こっていたのか。何に対する「熱情」なのか。
人が、対象もなく何とはなしに激しい熱情を持つということは考えにくい。音楽にあれだけの激しい「熱情」を込めるというのなら、必ずその対象があるはずである。
「熱情」ソナタは1804〜1805年に作曲され、ブルンスヴィク伯爵(1777〜1849)に献呈されている。ブルンスヴィク伯爵には姉テレーゼ(1775〜1861)と妹ヨゼフィーネ(1779〜1821)がいて、この姉妹はそれぞれベートーヴェンの生涯に重要な影響を及ぼしている。どうやら「熱情」ソナタは、ヨゼフィーネに絡む曲らしいが、ベートーヴェンはどんな愛し方をしていたのであろうか。天才の感情表現は凡人とはかけ離れているのだろうが、それでもすさまじすぎる。「熱情」ソナタには「運命の動機」まで現れ、闘争的でもあり、破壊的でもあり、悲劇的でもあり、破滅的でもある。女性に対する愛が源になって生まれているとすればあまりにも型破りだ。もし女性が絡んでいるとすれば、普通の恋愛ではなかっただろう。例えば、禁断の恋。第1楽章の「運命の動機」は、それこそ禁断の恋に陥った男の激しい心の動悸とも受け取れる。
実際にベートーヴェンはヨゼフィーネと恋愛関係にありながらも結局は結ばれなかった。身分の違い、彼女の子供達が二人の間に問題として横たわっていたようだ(詳しくはこちらをご参照下さい)。
本当はどうなのだろう。もしかしたら特定の女性とは無縁にこの曲が生まれたのかもしれない。この傑作ソナタを、むりやり女性と関連づけるのは、曲を矮小化することになりかねない。また、私のように「禁断の恋」などという言葉を書くのは、下世話すぎる。しかし、それならば、何に対する「熱情」なのか。下世話な私は、この曲を聴いて人間としてのベートーヴェンをつい想像してしまう。
(2004年12月19日、An die MusikクラシックCD試聴記)