短期集中連載  An die Musik初のピアニスト特集

アルフレッド・ブレンデル 第7回
リスト「孤独の中の神の祝福」を聴く

語り部:松本武巳

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CDジャケット

リスト
詩的で宗教的な調べ第3曲「孤独の中の神の祝福」

他に
「泣き、悲しみ、悩み、おののき」のコンティヌオによる変奏曲、
死者の追憶(詩的で宗教的な調べ第4曲)、
BACHの主題による幻想曲とフーガ、
以上所収のオリジナル・カップリングで、標記の曲が最後に収録

アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音:1976年5月
PHILIPS(国内盤 PHCP-3579)

 

■ 私の超推薦盤

 

 ブレンデルは数多くのリストの作品集を残しています。大作のピアノソナタロ短調も3回録音を残しておりますし、巡礼の年の名演(第1年「スイス」と第2年「イタリア」は全曲、第3年は抜粋)はピアノ音楽の愛好家の間では非常に有名な録音ですね。さて、詩的で宗教的な調べは全部で10曲の中規模の作品群からなり、全曲を録音した場合はCDでも2枚組になってしまいます。実際全曲を録音しましたピアニストは数少なく、ブレンデルもVOXに抜粋盤を1枚残したほかは、単独に何度か取りあげているにすぎません。この曲集の中で最も有名な曲は、第7曲の「葬送曲」です。これは、SP時代にヴラディミール・ホロヴィッツが超絶技巧録音を残しましたために、10曲のなかで飛びぬけて有名になっておりますが、曲自体の深さでは、ここに取りあげました「孤独の中の神の祝福」が最も重要な楽曲であると思います。私は「リストのピアノ曲はさして好きではないが、1曲だけ薦めて欲しい」と尋ねられた場合は、この曲をお薦めしています。理由は、ソナタは30分もかかる大作ですし、著名な巡礼の年第2年に含まれております「ダンテを読んで」は、あまりにもテクニカルな要素が強いために、むしろ、作品の深さと曲の長さが適当であることとか(17分程度です、長さだけですと「ダンテを読んで」とほとんど同じです)を総合的に考えまして、お薦めしているのです。

 

■ この曲の3つの名演

 

 ブレンデルのフィリップスへの録音のほかに、私がぜひお薦めしたい録音が他に2点あります。ひとつは、クラウディオ・アラウが1970年にフィリップスに残したもの、もう一つは、ホルヘ・ボレットが晩年にデッカに残したものでして、しかもこの3人の名ピアニストは、完全に三者三様のこの曲へのアプローチの結果として、いずれもが推薦するに値するような名演となっているのですね。従いまして、可能でしたら3点ともお聴きくだされば大変うれしく思います。ここで、私が録音を聴いて分かりました範囲での、3人の演奏を行っている視点を書かせて頂きますと、ブレンデルはこの楽曲を「純音楽」として、余計な思い入れを完全に断ち切って演奏した結果、名演奏となっていると考えます。アラウは、「宗教的な調べ」に重きを置いた、敬虔な祈りを捧げる演奏を行っておりまして、感動的な名演奏となっておりますが、キリスト教への理解度が低いリスナーが聴き取れる限界もある演奏ですので、日本人には若干つらいスタンスでのピアニズムに徹しています。ボレットは、「詩的な調べ」に重点を置いたとてもエレガントな名演でして、社交界の花形の登場を思わせるような、グランド・マナーな演奏となっています。まさに、3人の切り口が完全に違っていますので、私には3枚ともに絶対に手放せないのです。録音が多くないこの曲は、しかしとても幸福なことに、あらゆるアプローチにおいてすべて名演奏が残されている幸福な曲であるのです。まさに、リストのこの楽曲自体が「神の祝福」を享受しているのです。

 

■ 厖大な録音に比して非常に少ないリストの名演奏

 

 ところで、リストのピアノ曲には古今東西に厖大な録音がありますものの、名演奏はとても少ないのですね。若い時分のテクニカルな技術披露を経て、大家に成長しますとリストと縁を切ってしまわれるピアニストとか、もっとまずいことには、デビューの際の戦略としまして、リストの超絶技巧の世界に乗っかりまして、大家になろうと目指す若手(実はこのカテゴリーのほとんどの方は、リストのテクニカルな表面のみを捉えましても、大きな不備や欠陥を露呈してしまわれております)の録音があまりにも多すぎまして、凡演の山を築いてしまっているのですね。リストのピアノ曲が、評論家や専門家からまでも蔑まれている理由の一端は、プロのピアニストの側にも相当大きな責任があるであろうと思います。リストの音楽はそんなにも軽いものではあり得ないと信じておりますが、以前信じられないことも経験しました。それは、ある音楽大学の助教授がリストの協奏曲第1番を演奏しましたが、冒頭の激しい音型ですが、ほとんどまともに弾く事もできなかったのです。これは実際にあったことでして、私は聴くに耐えませんでした。これでは、リストに失礼と言いますか、永遠にリストの音楽性を理解してもらえる日がこないように仕向けている張本人が、プロのピアニストではないのか、とすら感じてしまい、怒りに震えた当時を思い起こします。

 

■ ブレンデルはこの楽曲の筆を折った!

 

 実はブレンデルは、この楽曲に対しまして、近年筆を折ってしまいました。彼によればこの楽曲が大変お気に入りであったのですが、ある年齢に達した時点で、この曲の世界に入り込めなくなって行き、ついにはこの曲の良さを理解できない事態に陥り、弾くことを止めたとのことです。この発言を聞いた私は、ある意味で覚悟をしておりましたので、残念ではありますが、失望はしませんでした。それは、つまるところ、欧州人ではあるものの、典型的な「コスモポリタン」でもありますブレンデルに取りまして、リストが若いときに社交界の花形であった時代を経て、晩年は深い祈りの音楽を書き、ついには宗門に入ってしまった、その経歴のまったく正反対のことが、コスモポリタンであるブレンデルに起こったのだと思います。歳とともに、形式上の信仰心しか持てなかったブレンデルが、リストの宗教音楽と決別することは、無理のないことと思います。クラウディオ・アラウがリストの若い時代のテクニカルな小品を、自身が若い時分に多く弾き、アラウが晩年に至ると、リストの宗教性の強い楽曲を、レパートリーを絞り込んで終世弾き込んだ事実と重ねますと、結果的に、リストの音楽を終世愛して付き合える素養は、キリスト教への演奏家の受容度の深さにかかっていることを痛感します。敬虔なクリスチャンであったアラウと、最後には宗教自体にも懐疑的な方向に向かって行ったブレンデルのどちらが、人生の終着点において、「神の祝福」を得られるのでしょうか? もっとも、いま現時点で、すでに鬼籍に入ってしまわれたアラウには「神の祝福」があり、ブレンデルは「神の祝福」を全く必要としていませんし、祝福を得られなくても、ブレンデルは自身が不幸な人生であったと、死ぬ際に回顧などしないでしょうから、この二人の名ピアニスト(二人とも、日本において真の理解を得られなかったと言う、神ですら恐れるような共通点があります)への私の思いは、現実には全くの無意味ではありますが… 。

 

■ 完全な蛇足かつ余談

 

 上記のリストのピアノ協奏曲で失笑されましたピアニストの次に弾きましたのが、何と私であったのです。私は、普通に弾いただけでしたが、会の終了後に絶賛されました。演奏批評なんてそんなものでもあるのですね。仮に音楽の演奏に点数が付くとしまして、50点の演奏の後に弾いた70点の演奏と、90点の演奏の後に弾いた80点の演奏のどちらが高い評価を得るでしょうか? 間違いなく、演奏会批評では前者(70点)の方が好意的な批評を書いてもらえるでしょう。しかしです、ここで大事なことは、CDとして発売されますと、後者(80点)の方が高い評価を受けることも自明のことなのですね。これが、ライヴCDが発売された場合に、会場の熱狂的な拍手に違和感を覚えたりしますことの、大きな要因の一つであると言えるだろうと思います。要するに、会場で聴く場合の評価は「相対評価」で、CDで聴く場合の評価は「絶対評価」が常に基本となるからだと思っています。蛇足ですみませんでした。

 

(2004年9月5日、An die MusikクラシックCD試聴記)