短期集中連載  An die Musik初のピアニスト特集

アルフレッド・ブレンデル
ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を聴く

第2部「ピアノ演奏の視点から捉えた西洋音楽史概略」
『後編』

語り部:松本武巳

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■ 現代型のピアノの出現と、ピアノ音楽作曲界の停滞

 

 さて、時代は一気に現代に接近します。みなさまは、バロック時代からロマン派にいたるまでに、ピアノのために作曲されました極めて有名な楽曲を数多くご存知でしょう。そして、どなたでもこの時代は、同時にピアノという楽器の性能が飛躍的に発展した時代であることもご存知でしょう。たとえば、ピアノの鍵盤の数が88鍵で定着しましたのは、ベートーヴェンがピアノソナタをひたすら書き続けていたまさにこの時代のことですし、前回お話しました右ペダルの性能にしましても、この時代に大きく向上しました、と言うよりも、今のようなペダルの踏み方になったのが、そもそもベートーヴェンの生きていた時代なのですね。私が今書いております本来のテーマであります「ハンマークラヴィーアソナタ」は、もとよりこの曲が作られた時代よりも以前のピアノでは、とても弾くことが難しかったのですね。その意味では、ほとんど実験音楽に近かったとも言えるでしょう。このことを忘れてしまいますと、逆に古典派から近現代にいたる音楽史を曲解することにつながってしまうのです。

 なぜそうなるのでしょうか? それは、当時の作曲家が、楽器の性能向上を目指す楽器職人とつねにタイアップして、音楽自体のレベルアップに両者が一体になって取り組んだからに他ならないのです。この歴史を反対側から考察してみますと、作曲家が書きたいと念願している方法で弾けるような楽器の改良を、楽器職人も同じように目指し、そして実際に弾ける楽器に改良することを達成し続けてきたと言い換えることで、作曲家が楽器の歴史自体も楽器制作職人とともに歩んだことを実証できるのです。いえ、むしろこのような見かたをするほうが、音楽史を実は正しい視点で捉えている可能性が高いのではないでしょうか? そして、ロマン派の時代にいたると、現代型のピアノがほぼ完成状態で登場してきました。たとえば、ショパンの時代に最大のピアノメーカーの一つでありましたエラール社のピアノは、何とショパン自身がたいそう好んで弾いたにもかかわらず、ショパンの死後は、そのショパンの楽曲をうまく弾ける楽器として、現代の2大メーカーのスタインウェイやベーゼンドルファーでありますとか、さらにその他のピアノメーカーに取って代わられてしまいました。そして、20世紀に突入しますと、個性派楽器として各地に根ざしておりました、エラール・ピアノのような世界に幾つかあった、職人芸の象徴のような伝統的なピアノが消滅していくことになりました。もちろん、ピアノの制作行程は今でも手作業の部分が数多くあるものの、ある職人のみの個性で作り上げることは現在ではほとんどありえません。一般社会における『産業革命』から端を発した、大量生産の方法論たる「マニュアル」と、楽器の世界も現代では決して無縁ではありません。もちろん、ピアノの基本的な性能の向上と一定の水準の維持といった側面から考えますと、この事実は大変にすばらしく、そして好ましいことではありましたが、結果として一方では、例えばスタインウェイとベーゼンドルファーの楽器の奏でる音を、瞬時に判断し聴き分けることすらも、実際にはかなり困難な状態にいたってしまったのですね。

 これは、作曲家にとってのもう一つの楽しみ=自らの作曲行為によって、楽器の性能向上や新しい楽器の創出に参画する楽しみ=がほぼ全面的に奪われてしまう結果ともなったのですね。そのような経緯で、ピアノ音楽の作曲自体が20世紀に入る頃から明白に停滞感が漂い、実際に後世に残るだけの楽曲は19世紀までに残されました数に比べて激減してしまいました。

 多分、みなさまは、それはどの楽器にもあてはまるし、第一20世紀の著名な楽曲の数は全体を通して減っているのではないか? との疑問が出されると思います。しかし、実はピアノの特性からくる理由から、20世紀に活躍しました作曲家に取りまして、その他の楽器以上にピアノ音楽を作曲し難い状況になってしまったのですね。それは、ごく単純化して述べますと、ピアノが最も完成された楽器であることに関連します。これを複数の視点から捉えてお話をしますと、

第一:

ピアノという楽器だけが、原則として演奏家の手によって調律ができないこと。これは、演奏家を縛るだけではなく、作曲家の創造性をも大きく拘束していることになってしまうこと。

第二:

ピアノの調律が「固定ド」によって調律しなければならない宿命を負っていること。通常の楽器は「移動ド」によって演奏家がその場で弾く楽曲の調性に合わせて調律できるし、またそのようにしなければちゃんと弾けないものですが、ピアノという楽器のみ、ハ長調であろうが、ニ短調であろうが、どんな場合でも同じ音として調律した上で弾く以外に原則として方法がないこと。

第三:

その結果、予定された弾き方以外の、即興性を求めることが作曲する当初段階から非常に困難になってしまったこと。要するに音痴でも弾ける楽器として完成されたために、逆に音にとても敏感な方が聴くと、楽器自体が音痴な楽器=つまり音が合っていない=になってしまったこと。

第四:

もとより、「ド」のシャープと、「レ」のフラットは、同じ音ではありえませんが、ピアノでは全く同じにしか弾けないこと。これは、作曲家に取っては「臨時記号」を多用することで、楽曲に変化を持たせ生命力を強める方法を取ることが、ピアノ曲を作る場合にはたいへん困難になってしまったこと。

 以上のように、ピアノが古代ギリシャの時代から営々として築きあげてきた、多声部を同時に奏でることができるために、色々な楽器がそろわなくてもピアノさえあれば、ほとんどあらゆる楽曲が演奏できる利点が、20世紀にいたって全く逆方面に作用し始めたのですね。分かりやすく言いかえますと、ピアノがあればあらゆる楽器の代わりを果たせた歴史上の経緯が、ピアノ自身の完成度が高まった近代にいたると、ピアノでしかなしえないような楽曲を反対に書けなくなってしまったのですね。大変便利な楽器であることが災いしまして、20世紀には不幸にもピアノでしか演奏しえないような楽曲が、ほとんど作れなくなってしまったのです。

 結果として、他の楽器に比しても、20世紀はピアノ音楽の作曲が停滞したといえるでしょう。そのために、非常に滑稽なことに、ピアノの機能に制限を加えることによってピアノ曲を作るようなうごき=例えばプリペイド・ピアノであるとか、極端な場合はJ.ケージのようなピアノ音楽!を作曲するうごき=までもが現れたのは、決して故なしとはしないのです。彼らが、後ろ向きにピアノを捉えたり、非常に屈折した現代音楽作曲家の思想の表われだとおっしゃる方もいらっしゃいますが、多分そのような訳だけでは決してないと信じます。そこまで20世紀の作曲家は自虐的ではないと思います。

 

■ 現代のテクノロジーとピアノ伝統音楽の復権

 

 さて、ごく最近、またピアノ曲の創作が若干ですが増えてきているように見受けられます。何故でしょうか? 一方では、ピアノが完成途上にあった時代に書かれた楽曲を現代の視点で改めて見直して、原典版の楽譜の編集とともに曲の捉え方や弾き方も多様化することで伝統音楽の蘇生が図られてきたこと、他方では電子楽器の登場で、たとえばクラヴィノーヴァを批判的に捉えることは簡単ですが、その他エレクトーンのように鍵盤楽器なのか、総合的な電子楽器なのかも曖昧であるような楽器が盛んに作られ、クラシックの演奏に割り込んできたことが良い意味で発端になったと言える部分もあるのではないでしょうか? なお、有名なクラヴィノーヴァもエレクトーンも実は単なる「商品名」でして、正確には前者が「電子ピアノ」後者が「電子オルガン」ですが・・・ 

 しかし、これらの楽器のピアノに対して持っている決定的に優れた特性まで批判して、これらの取り組みを相手にしないのでは、偏屈な古代人に過ぎないのではないでしょうか。まず、ピアノの欠点として挙げました前述の第一から第四だけを見ましても、何とクラヴィノーヴァは全てを論理的にはクリアできるのですね。もちろん、だから今後はピアノが廃れて、電子ピアノで十分だなどと短絡しているのではありません。しかし、現代のテクノロジーが、19世紀末に一応完成された形で提示されたピアノの特性を、再び見直す契機となった上に、両者の融合した世界を創出し、古典的な楽器としてのピアノの大変に優れた面が再評価され、伝統音楽の復権をもたらすとともに、新たな側面を加味した鍵盤楽器の生命が付与されたことで、現代作曲家の創造性が再びピアノに対しても沸いてくることにつながっているとしましたら、現代のテクノロジーである「電子ピアノ」と古典的な「ピアノ」がともに今後、鍵盤楽器の新しい歴史の形成と発展に寄与していくことも可能なのではないでしょうか? そのような期待感からか、伝統的なピアノ音楽も現代風の新しいピアノ音楽も、そして古楽器による演奏までもが近時再び盛んになってきているとしましたら、21世紀は大変に充実した音楽の歴史を、後世に対しまして刻んでいくことができるのではないでしょうか。そのような期待を胸に抱いて、この第2部を閉じさせていただきたいと思います。あい変わらずつまらない話になったかも知れませんが、何卒ご容赦くださるようにお願い申し上げます。

(2005年3月13日記す)

 

(2005年3月15日、An die MusikクラシックCD試聴記)