短期集中連載  An die Musik初のピアニスト特集

アルフレッド・ブレンデル
ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」を聴く

語り部:松本武巳

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■ ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」を聴く

CDジャケット

ムソルグスキー「展覧会の絵」
ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3楽章」
バラキーレフ「東洋風幻想曲イスラメイ」
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
録音:1955年=モノラル
VOX(輸入盤 VOX7203)

 

■ ポリーニのデビュー盤として著名な超絶技巧曲

 

 An die Musikの読者の中には、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」のお好きな方も多くいらっしゃるであろうと存じます。このバレエ組曲の中から、3つの楽章を選んで、ストラヴィンスキーが自らピアノ曲に編曲していることは、ピアノ独奏曲を普段ほとんどお聴きにならない方でも結構ご存知であろうかと思います。このピアノ編曲版は、古今東西のピアノ曲の中でも、超絶技巧で有名な難曲のひとつに数えられており、近年はコンクールの第2次予選あたりで、課題曲に指定されるケースも多くなっています。このピアノ・ピースを著名にしたのは、何と言っても、マウリツィオ・ポリーニの功績が大であることは明らかです。ポリーニは1960年のショパン・コンクールに若干18歳で優勝、直後にショパンのピアノ協奏曲第1番のLPをEMIに録音後、世界の檜舞台から忽然と姿を消しました。1968年にEMIにショパンの小品集で復帰しましたが、本格的にワールドワイドにデビューしたのは1971年にDGに移籍後の初録音で、この「ペトルーシュカ」とプロコフィエフのピアノソナタ第7番「戦争」というカップリングの、ロシア超絶技巧音楽選としか言いようのないLPの録音でした。そして、このLPが世界中のピアノ音楽ファンのみならず、プロのピアニストをも震撼させる恐るべき超絶技巧LPであり、この瞬間『ポリーニ=人間業を超えたテクニシャン』が誕生しました。と言うのは、元来、この作品を弾くだけでも『凄い!』と言われた時代が長く続いたからでもあります。何しろ、20世紀前半の著名なピアニストは、テクニックの面で言えば、逆に『アマチュア並み』のピアニストが多かったのですから仕様がありません。アルフレッド・コルトーやアルトゥール・シュナーベル、ウィルヘルム・ケンプなどは、極めて個性的な名演奏家でしたが、残念なことにテクニックの面では、いずれのピアニストも弱点を抱えておりました。20世紀前半から活躍したピアニストで、今日の水準で見てもテクニシャンの範疇に入るのは、ヴラディミール・ホロヴィッツのみであったと思います。後は、せいぜい若かりしころの、ウィルヘルム・バックハウスぐらいでしょうか・・・ 要するに、当時のピアニストの生命線は、テクニックではなく表現力と曲の解釈力であったのです。ポリーニの登場はまさにピアノ界に革命をもたらしました。

 

■ ブレンデルのデビュー盤もペトルーシュカであった

 

 あの、ピアノの王道を歩む権化とも象徴ともみなされ、ピアニズムを楽しむピアノを聴くもう一方の楽しみとはどう見ても無縁であると決め付けられている向きのあるブレンデルのデビュー盤は、実を言えば、表がムソルグスキー「展覧会の絵」、裏がストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」とバラキーレフの「イスラメイ」と言う、ロシア超絶技巧曲集であったことを、ほとんど信じられないとおっしゃられる方も多いと思います。しかし、プロの評論家が、ブレンデルをヨーロッパのドイツ系の伝統の正当なる継承者として祭り上げたことが、ブレンデルが誤解を受け続けている主たる原因であるのは明らかです。なぜならば、ムソルグスキー「展覧会の絵」のみは、80年代末に再録音していますが、当時レコード会社もプロの評論家も、ブレンデルが「意外な曲を録音した」と騒いだからです。そのときに騒いだプロの評論家の方々の中に、このVOXでのデビュー盤を紹介する評論家の方はお一人もおられませんでした。日本盤のLPが、LP最終期にほんの数ヶ月だけ、オリジナルカップリングで発売された事実すら、評論家もレコード会社(フィリップス)も認知していないように見受けられました。ある芸術家のありようを、レコード会社や評論家が勝手に作り上げてしまった典型例だと思います。

 

■ 肝心の演奏はどんな感じなのか?

 

 若いころのブレンデルが、所謂「リスト弾き」であったことは、意外に有名です。つまりテクニシャンであったこと自体は、世評も認めているのです。しかし、私が、ブレンデルの演奏で強調したいことは、この「ペトルーシュカ」は20世紀の現代音楽としての名演では全くない、と言うことです。ポリーニの「ペトルーシュカ」は、正に20世紀の現代音楽の範疇での凄絶な演奏を繰り広げています。現代音楽の模範と言えるでしょう。しかし、ブレンデルは何とストラヴィンスキーのこの曲を、思いっきりロマンティックに演奏しているのです。演奏時間がポリーニよりも1分以上余計にかかっているのは、ブレンデルのテクニックが落ちるのではなく、ロマンティックに旋律を歌いきっている場面が多くあるからでして、速いパッセージの速さたるや、ポリーニに勝るとも劣りません。何せ、十分にロマンティックに歌った直後のパッセージを、超絶技巧で駆け抜けますから、ポリーニ盤よりもメリハリが強く付いており、壮絶な速さを印象的には持たされます。これは、ストラヴィンスキーの演奏としては、管弦楽における、オットー・クレンペラーの「ペトルーシュカ」と双璧をなす、ある意味では究極の『勘違い盤』『トンデモ盤』と言えるでしょう。

 

■ ブレンデルのこの演奏を取り上げた真意

 

 私はこの演奏を、正当な名演奏であると言う気持ちなど全くありません。ただ、私は、ブレンデル=真面目くさった学者みたいなクソ面白くない講釈を並べ立てる堅物ピアニスト=と言う間違った世評を論破できる、最も極端なディスクとして紹介したかったからに他なりません。そのくらい、この演奏は面白いのです。名演なのは、客観的にも主観的にも、やはりポリーニだと思っています。しかし、誤解に満ちたピアニストであるブレンデルの最も世評が間違っている証拠物件として、ピアニスト・ブレンデル特集の第1回に敢えてこの演奏を挙げたいと思います。

 

(2004年8月3日、An die MusikクラシックCD試聴記)