交響楽的?室内楽的?それとも?
マーラー
交響曲第4番 ト長調
「子供の魔法の角笛」から
- 「うき世の暮らし」
- 「高遠なる知性のおほめの言葉」
- 「美しいトランペットの鳴り渡るところ」
ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ
ソプラノ:ドロテア・レシュマン
録音:2004年1月27-28日、トリノ
Virgin Classics(国内盤 TOCE-55677)随分素敵な音のするCDが出たものだ。
交響曲第4番を聴いていると、各楽器が登場する際、それぞれがあたかもスポットライトが当たっているかのように「浮き上がって」聞こえる。演奏も録音も大変クリアであり、夾雑物がまるでない。演奏者および録音スタッフが共通認識をもって取り組んだことを窺わせる。特に録音に関しては、相当音量を上げてもうるさくなってこない。私の装置で聴いてさえオーディオ的に面白い。
スポットライトが当たっているように浮き上がって聞こえるのだから、この曲の場合、各セクションのソロを次々と聴き続けているような気になる。その各パートも、複数の奏者がいるように聞こえてこない。チェンバー・オーケストラというのだから大所帯の団体ではないだろうが、それにしても少人数で演奏しているように感じられる。マーラー・チェンバー・オーケストラの公式ホームページを見ると、楽員は48名らしいが、そのうちこのマーラー録音には何人が参加したのだろうか?
通常の編成であれば、マーラーの交響曲第4番は以下のような編成になるはずである。
フルート4、オーボエ3、クラリネット3、ファゴット3、ホルン4、 トランペット3、
ティンパニ、大太鼓、トライアングル、シンバル、タムタム、グロッケンシュピール、鈴、ハープ、
弦5部上記の編成だと木管楽器だけで20人を要するが、ハーディングはその人数を投入したのだろうか? 聴感上はこの人数には聞こえない。弦楽器もそれぞれのパートが「浮き上がって」聞こえることに変わりはなく、人数もできる限り絞り込まれているようだ。公式ホームページ上では第1バイオリン9、第2バイオリン7、ビオラ5、チェロ5、コントラバス2の合計28人の陣容となっているから、おそらくそれを超えない人数で演奏・録音されたはずだ。
問題があるとすれば、これは大編成のオーケストラを前提に書いたマーラーという毒気のある作曲家の表現様式にかなっているのかということだろう。私の部屋で聴いていると、このCDはオーケストラ演奏とは思えないし、交響曲を聴いているという気もしない。ひとつの有機体が演奏しているようには感じられないのである。小編成であれば室内楽的と形容される有機的結合もなし得ると私は思うのだが、このCDは室内楽的と単純に表現していいものだとは思えない。
ハーディングがこの曲をマーラー・チェンバー・オーケストラを起用して録音したのは、室内楽を超えたところにある各楽器の響き、その美しさを徹底的に引き出すことだったのかもしれないと私は考えている。良くも悪くも蒸留水のような演奏であり、録音である。実際にホールで演奏をする場合、ハーディングは本当にこのように響かせるのであろうか?
(2005年3月6日、An die MusikクラシックCD試聴記)