リリー・クラウスのモーツァルト全集を聴いて
モーツァルト
ピアノソナタ全集
ピアノ:リリー・クラウス
録音:1967〜68年、ニューヨーク
SONY(国内盤 SICC 485-8)Stereo Sound誌162号を眺めていたら、リリー・クラウスのピアノソナタ全集が「オーディオファイルのための珠玉のディスク」欄に掲載されていました。見出しには何と、「最新録音盤にも引けを取らない音質の良さに驚嘆」とあります。
これを読んで私は首をひねりました。その全集の抜粋盤を持っていたからです。私の手元にある抜粋盤はピアノソナタ第11番イ長調 K.331「トルコ行進曲付」、第8番イ短調 K.310、第15番ハ短調 K.545、第10番ハ長調 K.330が収録されています(SRCR 1533)。あまり良い音質のCDとは言い難いです。アナログ全盛期、1967年から68年に録音した割に、ノイズがひどく、高音がきついため、長時間はとても聴いていられません。昨年のモーツァルト・イヤーで、SONYから全集盤が再発されたのは知っていますし、店頭で手に取ったこともあるのですが、抜粋盤の音を知っているだけにとても買う気にはなれませんでした。
Stereo Sound誌の記事に戻ります。同誌が紹介するCDはオーディオマニア向けなので、私の嗜好と大きく異なる場合が多く、しかも私の部屋では全然いい音で鳴ってくれないものが含まれているのでいつも読み飛ばすのですが、リリー・クラウスの記事を書いているのが菅野沖彦氏なので「うーむ」と唸ってしまいました。いい加減なことを書く人ではないからです。そこで私は仕方なく、半信半疑のままクラウスの全集を買って聴いてみることにしました。
スピーカーから流れてきた音は抜粋盤とは全く別物でした。「最新録音盤にも引けを取らない音質の良さ」だとは必ずしも思わないのですが、全く別の音です。これなら全曲を何度でも楽しめそうです。クラウスは稀代のモーツァルト弾きと賞賛されるのに、名高い1956年の全集(EMI)もガラスかブリキの板でもカンカン叩いているような音質で、実に気の毒なのですが、SONYの再発全集は少なくとも音質面でEMIの旧全集を完璧に凌駕しています。演奏に対する評価も変わってくるかもしれません。
SONYの再発新全集には「新たにDSDリマスタリングしました」とかいった表記は全くありません。パッケージの外にも中にも音に対する言及は一切ないのです。前の音を知っている人であればわざわざ買い直すことは考えられません。実にもったいないことです。
それにしても、おかしな話だと思いませんか? 私が持っていた抜粋盤は誰が、何を元にして制作したものなのでしょうか? 何度もコピーを繰り返して何世代も下ったマスターを使っていたのでしょうか? あるいはCDの製盤行程に不備があったのでしょうか? 仮にも天下のSONYで? それとも、今回は本当にマスターからきちんとリマスタリングしたため、菅野沖彦氏までを驚嘆させる水準に仕上がったということなのでしょうか。制作者側からのコメントがないのは不思議でなりません。
このところ、CDの音とは何なのだろうかと考えながらCDを聴くことが多くなりました。CDに入っている音を演奏者は聴いているのか。制作の工程で、もしかしたら最高音質のマスターを聴いている可能性は高いと思われますが、商品として一般家庭で聴かれるCDの音を知っているのでしょうか。
リリー・クラウスは1986年に亡くなっています。CDの音を知らなかったかもしれません。彼女が生きていて、自分が演奏したモーツァルトの演奏を「普通のCDで」聴いていたとしたら、一体どの盤を選ぶのでしょうか。
演奏家はおろか、昔の録音を再発する際には、当時のプロデューサーやエンジニアさえ他界していることがあります。そうなると、どの音が演奏家の演奏、音を最も正確に伝えているのかを判断できる人がいなくなってしまいます。後は「きっとこうだろう」と憶測しながらCDを作っていくことになりかねません。これは致し方ないことだと思います。しかし、その作られた音で我々リスナーは演奏家の演奏を判断し、その評価までをしてしまうのです。それほどの力を持つCDの制作行程が完全にブラックボックスになっていて、今聴いているのが演奏家の演奏をきちんと伝えるものなのか、CD制作工程で制作者の恣意がかなり入ってねじ曲げられたものになっているのかどうかはっきり分からないというのは何とも奇妙だと思っています。
過去の録音がこうして再発されるたび、「これは本当なのだろうか」と考え込まずにはいられません。まあ、気にしすぎなのでしょうけど。
余談
先日、上野で開催されている「オルセー美術館展」に行き、マネ、モネ、セザンヌ、ゴーガンなどの名画を楽しんできました。私はいつも美術館展の帰りには詳しい解説入りの画集を購入しているのですが、そこに綺麗に掲載されている原画の写真を見る度に、「なんてチンケになってしまうんだろう」と思わずにはいられません。本物の絵と解説書の写真では大きさ、質感などありとあらゆる面で違っているからです。
これはクラシックの生演奏とCDの間でも、ある程度当てはまることだと私は思っています。私がありがたがって聴いているCDは、解説書の中に入っている絵のようにチンケに成り下がっていて、それで演奏を評価して良いものではないかもしれません。
しかし、絵と違うのは、演奏家は録音媒体を通じて多くの人に自分の演奏を聴かせようと意図し、制作者もそれ相応の努力をしていたと考えられることです。そうであれば、CDには重要な意味があると言えます。少しでも演奏家や当時の制作者達の思いが伝わるCDを手にしたいものですね。
(2007年3月25日、An die MusikクラシックCD試聴記)