協奏曲に聴くカデンツァ
モーツァルト
ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K.503
ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537「戴冠式」
ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595シャンドル・ヴェーグ指揮モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ、ザルツブルク
ピアノ:アンドラーシュ・シフ
録音:1987-88年
DECCA(国内盤 POCL-4371/2)協奏曲には、第1楽章の終わり間際などにカデンツァがある。ピアノやバイオリンのソリストが、持てる腕前を披露する見せ場だ。
このカデンツァに面白いものがある。シフが録音したピアノ協奏曲第25番である。第1楽章終盤、いつもの場所にさしかかってくると、ピアノのソロが始まる。最初はごくまともなカデンツァなのだが、突如として「フィガロの結婚」が現れるのだ。第1幕最後に出てくるフィガロによるアリアの一節である。それがいきなりフォルテで登場する。「いきなり」というところがポイントで、かなり聞き手の意表をつく。それはいいのだが、やや唐突な感じも否めない。しかし、ちょっと忘れられないカデンツァだ。目の前でこれをやられたら私など思わず拍手をしてしまいそうだ。
ピアノ協奏曲第25番K.503が完成したのは1786年12月4日。その2日後に交響曲第38番K.504「プラハ」が完成している。そして「フィガロの結婚」K.492はプラハで大成功を収めており、ピアノ協奏曲第25番と「プラハ」交響曲は翌年プラハで同時に演奏されている。ピアノ協奏曲第25番のカデンツァに「フィガロ」のアリアが入ってくることは言われなきことではない。
しかし、このカデンツァについて、添付の解説書には何の表記もない。私が知っている第25番のカデンツァにこのようなものは他にないし、もし何も表記がなければ、ピアニスト本人の自作と考えるのが妥当だろう(2005年3月16日現在真偽は不明)。解説書には演奏の解説書と曲目の解説書の2通りあるようだが、これだけユニークなカデンツァが弾かれたのであれば、それに対するコメントが1行あっても良さそうなものだと思う。
何が言いたいのか・・・。実は解説書に対する憤懣ではない。協奏曲という音楽のジャンルが、現在ではほとんど消滅した「演奏家=作曲家」の一面を垣間見せることに新たな認識を持ったことである。クラシック音楽のほとんどが、100年も200年も前に楽譜に書かれた音符を再現する再現芸術になっている現在にあって、演奏家がわずか数分であっても自分の好きなように作曲・編曲して聴衆に聴かせることができるのは協奏曲の分野くらいになってしまった。そのような状況であれば、協奏曲におけるソリストにはもっと期待したいところだ。
なお、ヴェーグが指揮する「モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ、ザルツブルク」はかつて「ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団」と通称された団体だろうが、日本語での表記は統一されていないのだろうか? ヴェーグのサポートは伴奏という枠を超えて聴き応えがあり、もしかしたらシフはヴェーグの作る音楽に触発されたということもあったのではないかと思われる。
その後、輸入盤の解説書にシフ作曲のカデンツァであることが明記されていることが判明しました。
(2005年3月16日、An die MusikクラシックCD試聴記)