モーツァルトの天才
モーツァルト
- 「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲 ハ長調 K.265(キラキラ星変奏曲)
- アンダンテ(自動オルガンのための) ヘ長調 K.616
- ロンド イ短調 K.511
- アダージョ(グラスハーモニカのための) ハ長調 K.356
- メヌエット ニ長調 K.355
- 小さなジーグ ト長調 K.574
- アダージョ ロ短調 K.540
- グルックの主題による10の変奏曲 ト長調 K.455
ピアノ:アンドラーシュ・シフ
録音:1986年1月、ウィーン・コンツェルトハウス
DECCA(国内盤 POCL-5183)先日テレビを見ていたら、モーツァルトの人気曲ベスト×曲という企画があった。テレビでやるからには第1位は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」や「トルコ行進曲」のように誰もが知っている身近な曲であろうと予想していたのだが、結果は「レクイエム」であった。演奏されたのはその中にある「ラクリモサ」。テレビには出演者が全員うつむいて聴き入る姿が映し出されていた。
「レクイエム」という宗教曲が日本のテレビにおける企画で第1位になったことに私はちょっと意外な気がしたのだが、「レクイエム」は未完成でありながら大変な名曲であるし、よくよく考えてみると、モーツァルトの場合どの曲が第1位でも不思議はない。だいたい「モーツァルトの人気曲ベスト×曲を選べ」といわれたら、誰もが困惑しそうだ。例えば、同様の企画をAn die Musik上で実施した場合、おそらく特定の曲に票が集中することは考えられない。ある人は「レクイエム」をベストに押すだろうが、膨大なモーツァルトの作品群は傑作の宝庫であり、どれをベストにするか、などという企画自体がナンセンスになる。よほどジャンルを限定しない限り企画が成立しないだろう。例えば、オペラに限る、とか。それでもベストを決めるのは難しい。
モーツァルトの曲を聴いていると、その天才ぶりに驚かされる。他人が作った主題による変奏曲においてさえ神業的だ。上記CDに含まれる「キラキラ星変奏曲」を誰もが耳にしたことがあるだろうが、単純きわまりないあの主題がモーツァルトによって華麗に変奏されていく様、あるいは「グルックの主題による10の変奏曲」におけるやや田子作的な音楽が大きなスケールで、しかも洗練の度合いを加えながら変貌していく様を聴くとその天才ぶりを痛感せずにはいられない。もちろん、モーツァルト自身が最初から最後まで作曲した曲は、神の手になるというか、自然の摂理によってできたとしか思えないような完成度を持っていると思う。
さて、シフの演奏によるこのモーツァルトのピアノ曲集には面白い曲が収録されている。第2曲目の「アンダンテ」である。解説によれば、機械仕掛けのオルガン用に作曲されたとある。機械仕掛けであるためか、ややシンプルな作りである。が、そのシンプルさは、ピアノ協奏曲第27番第2楽章の主題を連想させる。この「アンダンテ」はK.616で、モーツァルト死の年に書かれたらしい。未完の大曲「レクイエム」はK.626。死の直前にモーツァルトは機械仕掛けのオルガン向けに澄み切った音楽を書き上げた。モーツァルトにとってこの作曲はどの程度の労を要したのだろうか? おそらく彼にとってはたやすい作業であったろう。その楽譜が現代にまで残り、我々の耳に届く。ほとんど神秘的とも言えるこの曲を聴くと、有名曲でも何でもないモーツァルトの作品群の中に一体どれだけの傑作があり、音楽の神が乗り移っているのか想像もできない。
シフの演奏は若干お風呂場的な音響の効果もあって夢見心地的な世界を醸し出している。また、シフはいつも淡泊そうに演奏するようだが、その姿勢もこのこの「アンダンテ」にはプラスかもしれない。お風呂場的な音響はシフのバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン録音、それもDECCA、TELDEC、ECMというレーベルを超えて共通のものである。プロデューサーやレコーディング・エンジニアの好みというよりはシフの好みなのだろう。リスナーの評価は分かれるだろうが、「アンダンテ」K.616には悪くないと私は思っている。
2005年3月11日、An die MusikクラシックCD試聴記