オーマンディ指揮のプロコフィエフ「ピーターと狼」を聴く
■ ボウイのナレーションに感心する
プロコフィエフ
交響曲第5番変ロ長調 作品100
録音:1975年9月30日、スコティッシュ・カテドラル、フィラデルフィア
ピーターと狼 作品67
録音:1975年10月8日、 スコティッシュ・カテドラル、フィラデルフィア
オーマンディ指揮フィラデルフィア管
BMG(国内盤 BVCC-38295)先日、オーマンディ指揮の「ピーターと狼」のCDを買ってきました。ここ数年かでBMG(RCA)はオーマンディ指揮フィラデルフィア管の録音を続々とCD化・再発売しています。このCDもその中の1枚ですが、このCDを買ったのは他でもない、「ピーターと狼」のナレーターがあのデビッド・ボウイであるためでした。通常、このCDのカップリングならば交響曲第5番がメインでしょうが、私の場合、最初からボウイ目当てでした。いったいあのロックシンガーがどんなナレーションをするのか興味津々だったのです。
さて、ボウイのナレーターぶりですが、これは堂に入った立派なものです。素人芸には思えません。有名人がナレーターを努めたCDは、発売当時であれば人々の耳目を集めるし、売れるのでしょうが、聴くに堪えないものもあります(ここでは触れません)。
この録音は実に四半世紀という長い時間を生き延びただけあって、商品としてはもとより作品としても価値が高いものだと思いました。ナレーションで難しいのは、語りの正確さだけではなく、演技ができるかどうか、という点だと思います。ボウイはこのいずれもよく、特に演技面では聞き惚れるほどです。
オーマンディとフィラデルフィア管の演奏も非の打ち所がなく、目の前で楽器が演奏されているかのような臨場感抜群の録音と相まって全曲を気持ちよく聴かせてくれます。この演奏を聴いていると、フィラデルフィア管の音色、特にこの曲の場合、木管楽器の音色に耳を側立てることしきりでした。
CDの解説を見ても、どういった経緯でボウイがナレーターとして起用されたのか記載がありませんが、これだけのものであれば、さらに歴史の風雪に耐えることができるでしょう。
このCDにはプロコフィエフの交響曲第5番がカップリングされています。BMG側も約2倍の演奏時間がかかる交響曲の方をメインに考えていますから、今回発売されたCDでは左のようなジャケット写真が使われています。これはこれでオリジナルジャケットのようですから意味があるのでしょうが、ちょっと殺風景ですねえ。
私が上に掲載したCDジャケットは、実はこの正式なジャケットの裏面なのです。メーカーには申し訳ありませんが、私は裏面の方が遙かに魅力的なジャケットになっていると考えるのですが、いかがでしょうか?
■ オーマンディ時代の録音風景に驚く
ところで、オーマンディ指揮フィラデルフィア管、それも1970年代のRCA録音を聴くと、不思議なくらい左右に楽器が広がって聞こえます。「さすが1970年代にもなるとこれだけステレオ感がある録音が可能になったわけだ・・・」などと感心していたのですが、これには理由があったようです。左の写真はオーマンディ指揮フィラデルフィア管によるマーラー:交響曲第2番のCDに掲載されているものですが、金管楽器群は弦楽器からかなり離れて座っています。
「ピーターと狼」のCD解説には、以下のような記述がありました。
RCA時代の録音風景を撮影した写真をみれば一目瞭然であるが、1970年代半ばには、ステレオ効果を最大限に引き出すために、金管セクションは、他のセクションから約15メートルも離れた位置に配置されていた。
左の写真を見る限り、15メートルというのは若干大げさな気もするのですが、この配置は録音時の通例であったようです。
録音時にこのように配置を変えるという話は私はあまり聞いたことがありませんが、ストコフスキなどは録音のために自由自在に楽器配置を換えたのだとか。
賛否両論分かれるのでしょうが、私は録音は生演奏とは別のものだと考えています。録音は、演奏が行われる現場とは環境が全く異なる場所で、繰り返し聴かれるものです。したがって、オーマンディ指揮フィラデルフィア管の録音風景にびっくりはしますが、「そういうものなのか」と納得してしまいました。
そんなことを考えておりますと、1950年代にパワフルなサウンドを大量に収録したMercuryの存在を思い出しました。DECCAも。Mercuryや50年代から60年代のDECCAはどのようにしてあのようなステレオ録音を実現したのか、調べてみたくなりました。これは今後の研究にしたいと思います。
(2004年2月1日、An die MusikクラシックCD試聴記)