キーシンのシューベルトを聴く
■ 演目はコンサートと同じ
シューベルト
- ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D.960
- 歌曲集「白鳥の歌」D.957から「セレナード」(リスト編)
- 歌曲集「美しき水車小屋の娘」D.795から「さすらい」(リスト編)
- 歌曲集「美しき水車小屋の娘」D.795から「どこへ?」(リスト編)
- 歌曲集「白鳥の歌」D.957から「わが宿」(リスト編)
リスト
- メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」S.514
ピアノ演奏:キーシン
録音:2003年6月10、11日、フライブルク
BMG(輸入盤 82876-58420-2)私は2003年11月25日に、埼玉県川口市にあるリリアホールで、キーシンを聴いている。キーシンはこのCDに収められている曲をコンサートですべて演奏していた。その日の演奏は非常に印象的だったので、今も会場の熱狂的な雰囲気とともに私の脳裏に焼き付けられている。当日の「WHAT'S NEW?」をご覧いただければ、その日の様子がある程度分かるだろう。
■ 追体験どころではない
私はこのCDを聴くことによって、コンサートを追体験できるという大変な幸せを味わえた。実演では「まだ消化不良なのか」などという感想を持ったシューベルトのピアノソナタが磨き上げられ、練り上げられた演奏で聴けるし、シューベルトの歌曲から選ばれた4曲もこれ以上望みようがないほど「歌」に満ちている。
が、このCDで聴く演奏はコンサートの追体験どころではないのだ。実は、実演よりもすごい。特にキーシンの奏でる弱音の美しさはCDにおいて、より際だっている。
川口で聴いた実演でもキーシンは繊細なな弱音を聞かせてくれたのだが、このCDを聴くと、スピーカーの前に釘付けになるほどの美しさである。もしかしたらあの日もキーシンはこのようなピアノを聴かせていたのかもしれない。しかし、私の席ではここまでの響きを耳にできなかった。ピアノとはこのような美しい音を出せる楽器なのかとため息が出る。
CDとは、何と素晴らしい可能性を持ったメディアなのだろう。もちろん私はコンサートの価値を否定するつもりでこの文章を書いているのでは決してない。コンサートはコンサートで十分な満足を得ることができるものだ。演奏そのものだけではなく、ホールの雰囲気、行き交う聴衆もコンサートを作り上げる重要な要素である。コンサートは「音」だけを聴くのではなく、様々な要素が混在することによって成立している。また、どのようなコンサートにおいてもコンサートはある程度祝典的なものだろう。おそらく多くの音楽ファンにとって、コンサートは行くだけでもある程度の価値があるものだ。
一方、CDは「音」が勝負だ。その「音」をしっかり楽しめるのであれば、それを評価すべきだ。あんな薄っぺらい銀色の板に閉じこめられた「音」を聴くのは歴史的に見れば正しく「音楽」を聴くということにはならないに違いない。多分CDで音楽を鑑賞することを邪道であるとか、あるいは便宜的なものと考える向きが多いはずだ。
しかし、私はこのCDを聴いて、CDは音楽を鑑賞するに足るメディアだと心底感じた。このような体験をすることは滅多にない。録音の魔術に幻惑されているのかもしれないが、それはそれで素晴らしいではないか。私はこのCDでキーシンのシューベルトを堪能している。CDの価値を再認識させるCDである。
(2004年6月15日、An die MusikクラシックCD試聴記)